説教『すべての人と分かち合って生きる世界』(マルコ6:14~44 )

2017年10月1日      世界宣教の日・世界聖餐日・主日礼拝説教
説教『すべての人と分かち合って生きる世界』(マルコ6:14~44 )

◎10月最初の主日を迎えました。先週は遠藤卓兄を天に送りました。教会のために尽くしてくださった兄弟でした。私達は兄弟の信仰をしっかり継承し、神に与えられた使命を果たして参りたいと思います。今日は世界宣教の日・世界聖餐日でもあります。海外で働く宣教師を覚え、また、世界の教会に集う兄弟姉妹が主にあって一つであることを覚え、世界の福音宣教と教会の連帯のために共にお祈りしたいと思います。

 

◎今日の聖句は、世界宣教の日・世界聖餐日にふさわしい御言葉です。今日は二つの話、ヘロデ王が洗礼者ヨハネを殺害した話と、男だけで5千人の群衆に主がパンと魚を分けられた奇跡物語が記されています。それぞれの記事に込められたメッセージを共に聴き、ここに込められたメッセージに耳を傾けて参ります。

 

◎まず最初の記事、6:14~29を見ていきます。ここにはガリラヤの領主ヘロデ王にことが記されています。ヘロデ王とは、主の降誕時のユダヤのヘロデ大王の次男ヘロデ・アンティパスのことです。彼は異母弟フィリポの妻ヘロデヤを奪い、自分の妻としたために洗礼者ヨハネから批判されたためにヨハネを牢に入れていました。ところが、ヘロデ王の誕生パーティーの際に、見事な踊りを披露したヘロデヤの娘(サロメ)に何でもやろうと約束し、サロメが母親と相談して「洗礼者ヨハネの首を」と言ったために洗礼者ヨハネを殺し、その首を持って来たと言う話が続きます。華やかな宮廷の裏に隠された実に冷酷残忍な話です。

 

◎福音記者はなぜ、このような話を載せたのでしょうか。それは第一に権力者の姿を示すためです。権力の下にある欲望・陰謀・策略、神に背き欲望の赴くまま生き、貴い命を簡単に奪う権力者の姿。ここに人間の姿、罪があることを示しています。第二に洗礼者ヨハネが殺害されたことが主イエスの十字架上の死を示唆・予表していると言えます。やがて主も権力者の横暴によって十字架につけられることを示唆・予表している。十字架が危険な道だと知りながらそこに向かって行かれる主の覚悟を伝えていると言えます。

 

◎次に後半の記事、6:30~44を見ていきます。ここには大勢の群衆が主の分け与えたパンと魚でお腹が満たされた話が記されています。この話は4つの福音書すべてに載っています。いかに初代教会の人達がこの話を愛したのかが分かります。では、この奇跡物語にどんなメッセージが込められているのか。その前にどんな話なのか。その内容を見ていきます。まず、冒頭の6:30には主に派遣された使徒達が帰ってきて行ったこと、教えたことを主に報告したとあります。ここには信仰者の生活の仕方が込められています。礼拝から世に派遣された者は、次の礼拝に帰り、主にすべてを報告しなければなりません。その繰り返しが信仰者の生活なのです。続く6:31には、主が弟子達に人里離れた所で休むように言われたとあります。ここには私達には人から離れた所、つまり、神の前で魂を休めることが必要であることが示されています。

 

◎ところが、大勢の群衆が先回りして主を待っていました。主は飼い主のいない羊のような群衆の姿に心を痛め、深く憐れみます。憐れむとは「はらわたが千切れる程、心が痛む」の意味を持ちます。群衆を導く指導者がなく、生きる方向を失い、不正と貧しさの中に困窮している群衆を主は深く憐れまれたのでした。そういう群衆に主が教える内に日が暮れます。群衆の食事のことを心配した弟子達は群衆を解散せるように進言します。すると、主は「あなたたちが彼らに食べ物を与えなさい」といいます。ここには、民衆の空腹、貧困問題・社会問題もあなたたちの責任なのだというメッセージが聞こえてきます。社会に対する教会の責任が問われているように思えます。弟子達は「200デナリオンのパンを買って与えるのですか」といいます。1デナリオンが一日の賃金ですから、1デナリオンが5000円として100万円もの大金はありませんと弟子達は答えたのです。主は弟子達に持っていたパン5つと魚2匹を出させ、群衆を組に分け、草の上に座らせます。そして、パンと魚を手に取り、天を仰いで讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子達に渡しては配らせると、すべての者がそれを食べ、満足したと言います。配り分けた余りを集めると12のかごに一杯になったのでした。すべての者があり余るほどの神の恵みに与り、心から満足したのでした。

 

◎この話には3つのメッセージが込められています。第一は、これが神の国の食卓の光景であると言うことです。ここには与え、主に従い、互いに仕え、分かち合う姿があります。これが神が支配される世界であることを示しているのです。第二は、主イエスはすべての人が一緒に食べる食卓のマスター・主であるということです。主はすべての人を憐れみ、すべての人に食事を与える愛と憐れみの主、神の子であることをこの話は伝えています。第三は、人間の本当の幸せは何か、幸せな世界とはいかなる世界かということです。ヘロデ王の誕生パーティーのように豪華な料理・衣服はなくとも、互いに与え・仕え合い・分かち合うことができれば、そこに幸福があることを教えています。分かち合う世界こそ幸福な世界なのです。