説教『クリスマスの大きな喜び』(ルカ2:8~20)

2017年12月24日            クリスマス礼拝・説教要約
説教『クリスマスの大きな喜び』(ルカ2:8~20)

 

◎私たちは、待降節・アドベントの日々、「主イエスよ、来たりませ」との祈りと悔い改めをもって歩んできましたが、今日、イエス様を私たちの心に、また、この世界にお迎えする、クリスマスを迎えることが出来ました。私たちは、この日を迎えて、イエス様を我が救い主として迎えることができること、また、そのようなイエス様を私たち一人一人にお贈りくださった天の父なる神様に心より感謝したいと思います。
今日はまた、先ほど永野茂信兄の洗礼式を持ちましたが、永野兄がイエス様を我が救い主としますという信仰を告白され、主の御後に従って生きる決意を公にされました。このことも私達には大きな喜びです。1年間、礼拝と祈祷会を休まず信仰を学ばれた永野兄と共に、私たちも信仰の新たな歩みを始めましょう。

◎さて、私たちは今日、イエス様が私たちのところに来てくださったことを喜びとし、共に祝っておりますし、この日、世界中の教会や各家庭でイエス様の誕生が喜びをもって祝われていますが、さきほどの聖書にあったように、イエス様は星のまたたく静かな夜、誰に知られることもなく、ひっそりとお生まれになりました。エルサレムの南、約8キロのところにあるダビデの故郷・ベツレヘムという町の馬小屋で誕生されました。宿屋が一杯であったので、母マリアと夫ヨセフは仕方なく、羊ややぎ、牛やろばがいる家畜小屋のわらの上に休み、そこでイエス様を産んだのでした。生まれたばかりのイエス様は、おむつ用の布にくるまれ、飼い葉おけに寝かせられたのでした。イエス様は本当に貧しい所にお生まれになったのです。

◎しかも、その主イエス誕生のニュースは、まず最初に野宿していた羊飼いたちに伝えられます。朝から晩まで何百頭という羊たちを引き連れ、野原から野原へと旅を続ける羊飼いは町の人達から蔑まれました。そういう貧しい羊飼い達に主イエス誕生という喜びのニュースは天使たちによって伝えられたのでした。
そのように主イエスは貧しい所に生まれ、その誕生のニュースは貧しい羊飼い達に真っ先に知らせられたのでした。それでは、なぜ、イエス様は貧しい所に生まれ、そのニュースが貧しい羊飼い達に最初に知らせられたのでしょうか。あるいは、なぜ、ルカはこれほどまでに貧しさを隠すことなく書くのでしょうか。

◎それは、コリントの信徒への手紙Ⅱの8:9に答えがあります。「主は豊かであったのに、私たちのために貧しくなられた。それは主の貧しさによってあなたがたを豊かにするためです」と。つまり、イエス様は貧しい私達を豊かにするために貧しくなられたのです。福音書によると、イエス様は貧しさの中に生まれ、貧しさの中に貧しい人達と共に生き、貧しさの中に死んでいかれました。最後は十字架に架かり、悲惨の中に死んでいかれました。それは、私たちを助け、慰め、励まし、罪から救い出し、神様の生ける命の水とパンを与え、神様の救いと恵みを受けて豊かに生きるため、私たちを豊かにするためであったのです。

◎しかし、どうでしょうか。そういう貧しく生きられたイエス様を世の人は歓迎しましたが、最後は裏切りました。故郷の人も「あいつは大工の子だ」と言って主につまずき、ファリサイ派や律法学者は「あいつは神を冒涜している」と言ってつまずき、弟子達も最後は十字架へと向かわれた主を裏切り、逃げていきました。そのように、世の人々は、貧しく生き、貧しく死んでいかれたイエス様につまずいたのです。

 

◎しかし、そのようなイエス様のことを聖書はどう書いているか。ルカ福音書の1:78にはこうあります。「この(神の)憐れみによって高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの道を平和に導く」と。つまり、イエス・キリストというお方は神から遣わされた朝の光だというのです。では、その光はどういう光なのか。それはまず、私達自身を照らし、私達自身の姿を露わに示します。私達の姿とはいかなる姿か。それは暗黒と死の陰に座する者という姿です。私達がどんなに明るく振る舞っても、どんなに光り輝いて見えようとも、私たちは暗黒と死の陰に座する者です。それは私たちの内面をのぞくと分かります。私達の内面の奥底にあるのは、憎しみや怒り、妬みや恨み、権力・富・名誉・快楽への強欲、他方、不安や恐れがあります。その根底には罪が見えます。これは昨今の事件や世の人の姿に現れています。主という光は私達が暗黒と死の陰に座する者であることを明らかにします。

◎しかし、他方、イエスという光は暗黒と死の陰に座する私達の所に射し込み、救いの手を伸べ、救いの光を与え、平和への道に導く光でもあります。では、どのようにして主は救いの光となられたのか。それは世の一人一人に深き愛を注ぐことによって、最後は十字架に架かりご自分の命を捧げることによってです。
主はその深き愛と命によって救いの光となられたのです。救いの光の到来、これがクリスマスの福音です。

◎もちろん、私たちの世界には暗黒と死の陰が見えます。私達は薄暗い谷間にあります。しかし、周囲の山々は朝の光が輝いています。やがてその光は世界を覆うはずです。朝の光は来た。この光が生きる希望です。