この時期は「卒業」のシーズンである。今日は、私たちの教会も「進級・卒業」の皆さんをお祝いする全体礼拝を守る。巷間では、卒業式において、慣れ親しんで来た旧友や担任の先生との別れを惜しむ姿、また我が子の成長を喜ぶ親御さんの姿が、画面に映し出され、ほのぼのした情景が伝えられる。「卒業」は、喜びや祝福、感謝といったポジティブな思い出と共に、別れ、それまでの懐かしい関係の破れというネガティブな感情がないまぜになる、一種の複雑な感情が支配する場となるのである。
ご自身のお子さんの卒業式に参列した親御さんが、このような感慨を漏らしていた。「東京でも桜が開花し、卒業式シーズンももう終わり。うちの子どもも今月、高校を卒業した。卒業式に出て奇妙な感覚に襲われた。『これは子どもの葬式なのだな』と。心の中で子どもは死ぬ。卒業式とは親が子どもの死に立ち会う場だ。親の心の中で、子ども時代の子どもは死んだ。子供はそんなことは知らない。彼らには前しか見えていない。自分もそうだった。中学も高校も卒業式のことなんてほとんど憶えていない。ただ未来へ進む。でも、大人は、親は、そうはいかない。後ろを振り返って、思い出を愛つくしんで、心置きなく泣いて、胸に刻みつけて、やっと前を向いて進める」。子どもは前を見るが、大人(親)は後ろを振り返る、という。
小学二年生の児童(鎌形美里さん)が大切な友達のために書いた詩を紹介したい。題「みどりちゃんへ」。「天国での夏やすみどうだった/天国がっこうで/たんぼの田ならった?
くものプール/ほしのこうえん/つきのすべりだいに ベッド/いろいろなものがあるのかな/かみのけ ながくなった?」。
突然の卒業を迎えたかのように、目の前からまったく消えてしまった友人を思って、温かな言葉が連ねられている。夏休みで学校から解放されて、のびのび夏の日々を過ごしている自分のように、「みどりちゃん」も天国で夏休みを楽しんでいるだろうか。「かみのけ ながくなった」、投薬治療で抜けてしまった友人の、髪の毛のことを、ひそかに思いやっている。やさしい気持ちにあふれる心で、詩は閉じられる。「死」という永遠の別れ、卒業にも、変わらないものが人間にはある。
今日はヨハネ福音書12章の「香油注ぎ」の物語である。主イエスが十字架に付けられる直前に、「香油・スパークナルド」を注がれた、という劇的な話は、4つの福音書どれにも出て来るが、細かい所を比較すると、随分の違いがある。但し細目は違うとはいうものの、ある女が、主イエスが十字架に付けられる前に、香油を注いだ、というのは、まぎれもない事実であろう。それ程衝撃的な記憶であったということである。
そもそも「メシア・救い主」という言葉は、旧約では「油注がれた者」という意味であって、古代のイスラエルでは、王や大祭司がその地位に就任するときには、頭への「油注ぎ」の儀礼が行われたことに由来する。「油」と言っても、てんぷら油や食用油ではない。高価な匂い油である。良い匂いを放つお香や香油は、まずぜいたく品であり、馥郁たる香りが辺り一面に振り撒かれるので、儀礼として晴れの場にふさわしい、雰囲気づくりには欠かせなかった。香りは目に見えなくても、隅々にまで広がっていく。ところが現代では、良い匂いの香水もまた、ハラスメントになり得る、というややこしい時代でもある。
この伝承が印象的なのは、「匂い」と結びついているからだろう。懐かしい「匂い」は記憶を永く留め、想い出を蘇らせるからである。ここではマリアによって「ナルド」の香油が注がれたという。どんな香りなのか、現在でもこの香油は、手に入れることができる。ネット検索によれば、小さな小さなひと瓶で、一万円ほどの価格で販売されているようだ。「スパークナード」、ものの本には、こう記されている。「北インド、チベット、ブータン、中国などの高度3千~5千Mの山地に自生している。山の斜面や草原、泥炭地帯に分布する。草丈は1mほどで、小さな緑の花を咲かせる。スパイクナードの効果効能としては、心への効能があるとされ、心に静けさをもたらしてくれる。この世の中に常にある試練や苛立ち、苦悩から超越し、私たちに平和と落ち着きを与え、安定をもたらしてくれる香りである。そして献身的に自分の道を進むこと、周りへの貢献や愛情をもたらしてくれる」、という。但し、この解説はどうも、主イエスの十字架を意識して語られている節がある。
ヨハネ福音書では、この高価な香油について、「三百デナリオン以上」という金額、労働者の1年分の賃金と同等であると見なしている。これを惜しげもなく、足に注ぎかけて、髪の毛で拭った、というのである。頭ならまだしも、足に塗布したとは、イスカリオテのユダでなくとも、もったいない、浪費だ、もっとましな使い道があるだろう、という気にかかるところである。そのくらい私たちの発想はせこいのだ。イスカリオテのユダの発した批判、これはまさに「正論」である、「貧しい人に施せば、もっと有益だったろう」、との言葉は、実は私たちの心をそのまま表す鏡ではないのか。
「貧しい人々はいつもあなた方と共にいる」、すぐそばにいるのだから、目に見えない香り以上に、心や思いを共に味わうこともできるだろう。主イエスがもうすぐ取り去られる、それも残虐な仕打ちで、十字架に釘付けられて、生命が奪われて行くのである、今ともに、すぐそばにいるのだから、主イエスの痛みや辛さを思いやることができるだろう。しかし人間は、そんなことよりも、物事の価値をすぐに金銭に置き換えて、そちらばかりに神経を集中させて、正しさを強弁するのである。これは結局、「愛」ではない、痛みや辛さ、みじめさへの共感でなくて、妬みや嫉みを「愛」で装い、経済的な利益(コスパ)を盾にしているだけである。しかし私たちとてユダを責めることはできないだろう。
ユダに責められたマリアに対し、主イエスは言われる「この人のするままに」。今あるままに、はマリアばかりでない、マルタもまた、人々ために夕食を準備し、もてなしのために黙々と給仕をして立ち働いている。さらにラザロもそこにいる。彼は一言も口をきいていない。また何か大胆な行動を起こしているのでもない。ただイエスと共に「食事の席に着いた人々の中にいた」と語られる。このいささか長々と訳される用語は、元々は一語である。「寝そべっていた」。当時の習慣では、会食は寝そべって取っていたと伝えられる。ギリシアの流儀では、ふるまいやお呼ばれの宴席ではそうだった。主イエスと共に、くつろいで、安らいで、そこにいるのである。一言も言葉を発しないが、ラザロの存在そのもので、どこに一番の安心や寛ぎがあるのかを、無言の内に証しているのである。証とは語られる「言葉」だけによるのではない。主イエスと共にいることこそが、最も大きな証なのである。マリアに語られたとされる「あるがままにさせなさい」というみ言葉は、実はこの三人の姉弟の姿、主イエスにふれあうそのすべて人々の様子において、語られているのではないのか。
この3月1日に、成瀬台教会で、この地区の諸教会の有志が集まって、「世界祈祷日2024」の礼拝が捧げられた。この式文の中に、3人のパレスチナ人キリスト者の声が記されていた。その中のひとり、サラの祖父母は、戦後イスラエルの軍隊が侵攻し、武力によって無理やり自分の家と土地を奪われ、難民となった人である。こう語られている「何年も経ってから、祖父母はわたしの両親とわたしたちとを連れてヤッファを訪ねました。祖父は昔住んでいた家を、わたしたちに見せるのをとても楽しみにし、また、子どもの頃の話をしてくれました。すべてが変わりはてていましたが、昔、ひいおじいさんと一緒に植えた木だけが変わらずに残っていた」という。
負われて逃げる際に、祖父母は持てる物もなく、ただ家の鍵ひとつを携えて逃げ、今もその鍵を大切に持ち歩いているという。それは再び自分の生まれ育った家で、家族皆が顔を合わせ、集まれるように、という祈りのしるしであり、希望の拠り所であった。それでようやく何年か前、懐かしい自分の家を訪れる機会を得たという。
「悲しいことに、その家の人たち(今はイスラエル人が住んでいる)は、わたしたちに敵意を持っていて、家から離れよ!と大声でどなったことは、幼心にも残りました。家に入ろうとした訳ではなく、ただ外から見ていただけなのです。祖父は、昔この家に住んでいたのだと説明しましたが、その人たちは、話を聞こうともせず、わたしたちを追い払いました。二度にわたり、その家から追い払われてしまった祖父の気持ちは、わたしたちよりはるかにつらかったと思います」。
ひとつの懐かしい古びた鍵を握り締め、想い出を大切に暖め、それで安らぎを見出し、難民生活のなかでも「あるがままに」と忍耐をもって、希望をもって生きているその人と、その元の住人に、「出て行かなければ容赦はしない」、と口汚く怒鳴る隣人がいる。強大な武力を持つのはどちらか、それでいてまったく平和と安心がないのはどちらなのか、と強く問いかけて来るようだ。
今ここに生きていることと、いつか神の国に生きることは、実はつながっている一つの事態である。死によって、何かが決定的に終わってしまう訳でも、変わってしまう訳でもない。変わらないのは、主イエスが共におられることである。飲み食い働き遊び眠る時にも、病の床に、この世界からの旅立つ時にも、十字架の主がおられるから。「あるがままにさせなさい」という主の言葉、その恵みの内にあって、主イエスに繋がっている。いつもわたしの生の只中に、主イエスは歩んで来られる。どのような間にも、十字架へと歩みを進める主イエスがおられるのである。