5月の終わりを迎えた。例年より早い梅雨入りで、観測史上、最も早い時期だという。梅雨入りが早ければ、早く明けるかと言えば、どうも統計上は、長引く場合が多いらしい。すると降雨量も多くなるから、各地の災害が心配される。雨が降っても、降らなくても、問題だが、こと相手は自然である、愚痴のひとつも言いたくなるが、これもまた地球温暖化の影響のようで、自分自身にも責任の一端はある、ということになるだろう。
さて、戯歌とも狂歌ともつかぬこういう歌がある「少しだも人のいのちに害ありて 少しくらいハよいというなよ」。ごくわずか、ほんの少しなんだから(大丈夫)、とは言うものの、人の生命に害があるものなのだから、安易に少しならいいなどというものではない。福島原発の冷却処理水を薄めて、海に放出する政府の決定に対して、いくつかのマスコミが、この歌を引用して論じていた。まもなく没後100年を迎えようとする田中正造氏の手になる歌である。軽妙で、かつ寸鉄人刺すような鋭さがある。この人らしい言葉だ。
当時の国会で、足尾鉱毒問題が取り上げられ、汚染水による渡良瀬川下流の谷中村の人々の苦しみが議論された。その場で、「害はわずかで、金属銅は、幼児の脳の発達にも良いという説もある」等という乱暴な答弁がなされたことを受けてのことである。鉱毒に汚染された米や麦を、知らずに食べている様を「毒食(どくじき)」と氏は呼ぶが、「ごく少しなのだから、食べても大丈夫」という根拠にはならないだろう。「ほんの少し」、が溜まりに溜まって、やがて大きな害を生み出す。それがこの世の常であり、それを痛いほどに人間は経験して来たのではないか。放射能の溜まり方も、まったく同じようではないか。相手は自然である。しかも、本来聞き分けのない、人間のコントロールには服さない類の異様な力である。
この歌に次いで、田中正造はこういう歌も併せて語っている。「何事もあきれてものふ(を)云わぬとも 云わねバならぬ今のありさま」。最近起こっていること、何を見ても、愚かしく、あきれてものも言えない状況だが、だからといって、黙ってしまう訳にはいかない。今、こんな酷い有様なのだから。小さな小石を、失われた一匹の羊のように慈しんだひとりの政治家の、嘆きと怒りと、細やかな心の源泉を見ることができるような言葉である。私たちは今、この言葉に問われている。
さて、今日の聖書個所は、エフェソの信徒への手紙の冒頭部分から話をする。今朝は「三位一体主日」と呼ばれる。前週、私たちは「聖霊降臨日(ペンテコステ)」を祝った。最初の教会の誕生を覚えて、礼拝を守った。今も、教会はただ聖霊の働きによって立てられ、聖霊の働きによって動いて行くのである。「三位一体」という教理は、新約聖書の中に、まだ明確な形で理論化されていないが、今日の聖書個所を読むと、神とキリストと聖霊の関係を、相互に密接に結びついているものとして捉えていることが分かる。
エフェソの信徒への手紙は、新約の諸文書の中で、最も後期に記された、おそらく1世紀末から2世紀初頭にかけて記述されたものであろうと思われるが、この時代に、すでにおぼろげながらも「三位一体」思想が意識されていた、ということだろう。そして、同時にそれとの関わりで、キリスト者とは何者かが、強く意識されるようになったと言えるだろう。キリスト者であることについて、面はゆい、まことにありがたい言葉が、いくつも連ねられている。
3節「天のあらゆる霊的な祝福」に満たしてくださった。4節「わたしたちを愛して、選んでくださった」。5節「神の子にしよう」と定められた。ここは若干説明が必要であろう。「神の子」とは正確には「神の養子」、という意味で、清く罪を犯さない、過ちを犯さないという意味での神の子、ではない。神が正式な手続きを踏んで、養子縁組してくださったということである。高貴な血統ではなく、力ある身寄りもなく、血のつながりもない、どこの馬の骨とも知れぬ輩を、自分の実の子として受け入れ、養ってくださる。つまりこの言葉には、イニシアティブはすべて神にあり、私の個人的資質や能力、努力ややる気が問題ではない、と主張しているのである。
また7節「罪を赦された」、8節「すべての知恵と理解と与えて」、9節「秘められた計画、神のミステリ」を知らせ、11節「約束されたものの相続者」としてくださった、というのである。「約束されたもの」、共観福音書では「神の国」と呼ばれ、あるいはヨハネ福音書では「永遠の生命」と呼ばれる、神が信じる者に与えて下さる、大きな賜物(プレゼント)である。このように、エフェソ書は、言葉を尽くして、微に入り細に入り、キリスト者に与えられる神の「特典」を列挙するのである。
「チャンス、今なら、何千ポイント進呈」という顧客獲得のための惹句をよく耳にするが、これほどまで恩恵を施してくれるお誘いは、聞いたことがない。なぜ神は、こんなにも身に余るような恵みを注いでくださるのか。あやしいではないか。何か裏があるのではないか。先ほど「私の個人的資質や能力、努力ややる気が問題ではない、と主張している」
と言ったが、普通、それに準じて対価が払われるのが、この世の常ではないか。神の大盤振る舞いの裏にあるもの、とは何なのか。
今日のテキストには、神の恵み、大いなる慈しみの根拠、証拠がはっきりと語られている。しかも、各節すべてにわたって、しつこく繰り返し、これに拘って主張するのである。しつこいほどに繰り返されている言葉とは何か。もうお分かりだろう。「キリストにおいて」あるいは「キリストにあって」という言葉である。神からのどのような恵みも、慈しみも、恩恵も、「キリスト」抜きにはやって来なかったし、今も「キリスト」抜きにはもたらされないと主張しているのである。どんなに尊いことも、価値あることも、美しいことも、キリストがそこになかったなら、すべては空しい、というのである。
エフェソの時代、教会に集ったキリスト者たちの問題は、まさにそこにあったのだろう。最初の教会が出来てから、70年以上経過している。教理や制度は整って来た。建物、設備も備えられた。み言葉を教える教師も教会にいるし、福音書や使徒の手紙も、その写しが流布している。ところが信仰者にとって、すべてが当たり前になってしまった。キリスト者にとって、主イエスしか頼るもの、信じる縁はないのだが、リアルに主イエスのみ言葉をその働きを聞き、認めることが出来なくなってしまった。主イエスが昔々のお話になってしまったのである。
この国の神学者、栗林輝夫氏は、『原発と田中正造の環境/技術の神学―人間は自然の「奉公人」と題された論文で、田中正造について次のように論じている。
「正造が、日頃から聖書に親しみ、イエスの生きざまに従って生活を整えようと務めたことはそれほど知られているわけではない。正造が『常に神の側ニ居る如くせんと欲せバ、聖書を常ニ読むをよしとす』と語り、『聖書ヲ実践セヨ。聖書ヲ空文タラシムナカレ』と日記に綴った生き方は今日でもキリスト教界において正当な評価を受けていない。たしかに正造は教会の洗礼を受けなかったし、神学校に通って教育を施されたわけでもない」。
「明治42年8月の日記に、正造は『神は我眼前にあり』と書き、『神や必ずしも人に遠からず。目前を見ば必ず神存す。遠くを見ば神なし、近くを見ば神存す』と結語した。目の前に神が顕われていたにもかかわらず、今の今まで自分はそれに気がつかなった。遠くにいる神に近づこう、近づこうと思っていた。そんな愚をもって神を知ろうとしていた。正造にとって残留民を介して神は谷中の直中に立たれるということを自分は愚かにも、気付かないで、神を頭で知ろうと無駄な努力をしてきた。だが神は苦しむ者の只中に顕現する。『神は谷中に居れり。人も心も谷中に居るべし、神と共に進退すべし』。『渡良瀬川のほとりにキリストのある』」。
「渡良瀬川のほとりに」キリストはおられる、と田中正造氏は語る。鉱毒被害の谷中村の人々に対して、国は、政府は無関心かもしれない。しかし主イエスは、人間が無視し、目を背け、捨てる場所に、そのただ中にいて下さる。「キリストにあって」、これこそが私たちが主イエスの十字架を通して知る、神の恵みの姿である。人間が捨てるものを、キリストは拾い上げ、救ってくださる。どのような中にも働かれるキリストの姿を求めたい。