「一緒にいた時に」使徒言行録9章36~43節

最近、こんな話を聞いた。「終末期医療の先駆者である柏木哲夫先生が日本で初めてぐらいに淀川キリスト教病院でホスピスを作られた。柏木先生がある時もう本当に1週間もつかもたないかという患者さんのベッドサイドに行って、ゆっくりと座って、そして『お変わりありませんか。今日の気分は如何ですか』と訊いたんですね。患者さんが枕辺に置いておいた青い色紙を出して『こんな気持ちです』と言ったんだそうです。柏木先生、さすが精神科医でも分からない。ちょっと首をかしげて『申し訳ありません、どういうことですか』って訊いたんだそうですね。そしたら色紙の四隅が切ってあって、『すみきった青空です』と。〈笑い声〉まあ、これくらいユーモアがあると同時に、本当に自分の心をちゃんと整理して伝える、それくらい心のゆとりが持てる最期の日々を送っているのですね。素晴らしいなあと思いましたね」。

この話は、作家の柳田邦男氏が、「埼玉いのちの電話」主催の公開講演会「今、生きているいのち ~そのかけがえのなさ~」(2017年12月17日開催)の中で語られた話題である。「一枚の色紙」にまつわるささやかな話、それでもこんな小さな物語が、私たちの心に残り続ける。自分もこういう立場になったら、同じことをしてみようか、少し格好つけすぎか、しかし、こういうことは、人まねでは駄目である。自分らしく、的確に、今の自分の心をそのまま表現して伝える、これは世の名だたる作家が、心血絞り出して行っている仕事である。

柳田氏がどうしてこんな話題を語ったのか。この話題に続けてこう語られる「『死後生』とは何かというと、まあ定義するわけじゃないですが、肉体は無くなっても人の生きた証しですね、生きざま、精神性、こころ、あるいはそれを表現した言葉。例えば私が兄や母から受け継いだものというのは、今でもこころの中で生きているわけです。そのように、亡き人がこころの中で生き続けることによって、これからを生きる人の人生を支えたり膨らませたり、より輝くものにしたりしていく。こういう形で、いつまでも人のいのち、精神性のいのちは終わらない」。死を超えて、生き続けて行くもの、死んでも失われないもの、他の生命の中に息づいて行くものがあることを、氏は「死後生」という言葉で言い表すのである。そういういのちは「一枚の色紙」にすらも結実する。

今日の聖書個所は、初代教会の活動を知る上で、非常に有益なテキストである。最初の教会に集められた人々は、一体何をして過ごしていたのか。もちろん中心は礼拝であることは間違いではない。しかしそれだけで教会の活動のすべてという言う訳にはいかないだろう。学校でも、会社でも、ただひたすら勉強だけ、仕事だけ、だったとしたら息が詰まる。主イエスもまた、忙しく動き回り、立ち働く中に、飲み食いをし、休息を取り、時には人々から身を隠して、人の目を避けて逃げ出したこともある。教会はその初めから、大まかに言えば三様の働きをしたことが知られている。「宣教(み言葉を伝える)」、「奉仕(貧しい人、弱い人々を支える)」、そして「交わり(分かち合い)」である。そして今も、どこの教会も、教会であるなら、この三つの事柄を行っている。教会ほどマンネリのところはない、二千年間、変わらない活動を続けているのであるから。その生き生きした活動の一端に触れ得る伝承である。

「ヤッファ」、地中海に面した古い町、ガザにほど近い今のテルアヴィブ、にある教会に、「タビタ」と呼ばれる婦人の弟子、つまり伝道者がいたという。一番弟子「ペトロ(岩)」もそうだが、この女性は皆から「ドルカス(かもしか)」というニックネームで呼ばれていたという。「ニックネーム」は信頼と親しみの象徴である。「かもしか」と言っても日本の種ではなく、アフリカに生息する「ガゼール」のことで、細身で敏捷に行動する美しい野生のシカのような牛の仲間である。おそらくこの女性の個性や立ち居振る舞いが、「ガゼール」を連想させたのだろう。つまり、よく身体が動き、思いついたらすぐに行動し、明るく皆とふれあう、そんな人物だったのだろう。「たくさんの善い行いや施し(奉仕、ボランティア)をしていた」と記されている。教会の活動が、どのような人々、どのような手の働きによって支えられていたのか、ルカははっきり伝えてくれているのである。そして、これは今日でもあまり変わらない。

ところがこの愛すべき働き人が、不幸にも、突然、病気のために亡くなったというのである。残酷な「死」は、誰か、人と時、善人か悪人か、あるいは有能か無能かを選ばず、突然に訪れる。そしてその死の使いのような「病」は、時に人を生涯の終わりに導く。現代医学の恩恵にあずかっている私たちでさえも、根本で「病気」に対してやはり非力であり、時に無力であると、昨今のこの国あるいは、世界の状況から痛切に感じさせられる。

不幸にも愛すべき「ドルカス」は取り去られた。しかし「死の様を見たら」その人の「人生の実際が分かる」という言葉があるが、人はその最期において、自分の生きて来た軌跡を、あらわにするのである。教会の人々は、彼女の遺体を清めて階上の部屋に安置したという。貧しい人(当時の大多数の人々)で、家族、家庭的に恵まれていないならば、遺体はそこいら辺に打ち捨てられることも珍しくなかった時代である。さらに近在のリダに滞在していたペトロに、ヤッファの教会への訪問が懇請された。これもこの女伝道者の人柄への、深い追慕の情の表れだろう。

とりわけこの個所で「ドルカス」と呼ばれて皆に愛された女性が、教会でどのような働きをしたのか、が伝えられていることが、非常に私たちの興味をかきたてる。「やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた」という。教会のやもめたちがペトロに、ドルカスの思い出のよすがとして、手作りの上着、下着を持ってきて、皆に示したという。39節「ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せ」とあるが、こう訳すと、ドルカスは手芸に巧みであって、その才能を生かして、たくさんの手芸品を作り、やもめたちに提供していた、という雰囲気になる。もちろん、衣料品店がここかしこにあるわけではない、あっても庶民には手の届く代物ではない、必要なら自分で作るしかない。

ところが原文を忠実に訳すなら「ドルカスが生きていた時に、一緒に作った上着や下着を示して」。つまりドルカスは作り、やもめたちはもらった、という一方的な関係を表す文章ではない。確かにドルカスは手先が器用で、手芸好きだったのであろう。しかし、彼女はそれを自分だけで作業したのではない。教会に身をよせていたやもめたちと、一緒に手芸をして楽しんでいたのである。彼女が愛されていた理由も知れようかというものだ。

なぜ「手芸」なのか、当時の女性は、機織り、縫物、編み物といった手芸が、誰でも身に付けるべき技術とされ、小さい頃から母親から教えられ、仕込まれて来たことであろう。上手い下手、好き嫌い、得意不得意と言った個人差はあるにせよ、皆、何らかの嗜みがあったことに間違いはない。やもめたちはただ教会の中に、何もすることがなく手持ち無沙汰に暮らしていたのではない。自分にできることで楽しんで時を過ごしていたのである。

ドルカスの素晴らしい所は、今、目の前の状況にあって、教会に身を寄せるお年寄りと、共に何ができるのか、を考え、見出したことである。そしてそれをコーディネートした。それが彼女のできる働きであった。「なんでもない、さりげない、ありふれたもの」、しかし「なくてならぬもの」が、教会のやもめたちと一緒に行う、「手芸」だったのだ。皆と共に、手を動かし、身近な材料で、生活のためになる品物を作る働きは、実にそこにいる人々に生きる力を与えるのである。

東日本震災の後、被災者と共に、編み物を通じて活動をされている横山起也氏(NPO法人 LIFE KNIT 代表)がこう語っている。「編み物活動をしていて本当によかった。編んでいると色々な人から話しかけられて、仲間が自然に増えていった。本当に編み物に感謝しています」、被災地では家族や友達を亡くしたうえ、原発事故の影響で住んでいた家を出て、仮設住宅で生活することを余儀なくされた地域も多いが、南相馬市はその一つだ。いくつものエリアに分かれた仮設住宅のそれぞれに、ご近所さんや友人同士で入居できるわけでもなく、「知り合いが周りからいなくなってしまった」、被災者の方々が強い孤独感を感じたことを思うと、無念遣る方ない気持ちになる。しかし、そこで「手芸の『人をつなげる力』」が発揮されたというのだ。

編み物をする人たちの間で「編み会」というイベントが流行した。「編み会」とは集まった人が「それぞれ好きなもの」を気楽に編んで時間を過ごすイベントのこと。この「編み会」に参加する人から次のような話を聞いたことがある。「『編み会』は喋らなくても編んでいるだけで『その場にいて良い』感じがあって気楽だ」それぞれが好きなように編んでいればよいうえ、その「編む」という行為は基本的には自分一人で完結するからだ。「『人とつながる場』にいながら『自分は喋らなくてもいい』」というのは実は現代において珍しく、「編み物」はそういった場の核となりえるものなのである。 (横山起也「ただ「そこにいること」が許される場所」)

「あなたの身のまわりにある『力をもつ物事』を見つけ出せればよいのだ」と横山氏は語る。今日の聖書の個所に、ペトロによってドルカスは生き返った、と語られるが、生きる力を取り戻したのは、実は、大切な人を失って、哀しみと嘆きの中にあるやもめたちではなかったか。そしてドルカスもまた、やもめたちによって、生かされ、生き返ったのである。身の回りにある「なんでもない、さりげない、ありふれたもの」、しかし「なくてならぬもの」が、力を与える物事となる。これこそがキリストの復活の力であろう。「復活」は、遥か遠く離れた、私たちの手の及ばない世界の出来事ではなく、私たちの日常にもたらされる、主イエスにあっての神の出来事である。