先月の中旬、13日に詩人、谷川俊太郎氏の訃報が伝えられた。齢92歳の生涯であった。この方が書かれたものほど、この国の人々に親しまれた詩も他にないだろう。この詩人は「現代詩の世界に朝を連れてきた」人、と評されたことがある。例えば代表作とされる『生きる』という作品は、度々小学校の教科書にも採録されている。「生きているということ/いま生きているということ/それはミニスカート/それはプラネタリウム/それはヨハン・シュトラウス/それはピカソ/それはアルプス/すべての美しいものに出会うということ/そして/かくされた悪を注意深くこばむこと」、この有名な詩は1971年に刊行された詩集に収められているが、詩人が40歳の時の作である。ことばの選び方の奔放さ、自由さ、鋭さ、確かさ、見事な感性がほとばしっている。しかも諸々の詩にはどれも、どこかに光が灯っているようにも感じられる、教科書に登場するのも頷かされる。
そして齢80歳の頃の作品『ただ生きる』、「立てなくなってはじめて学ぶ/立つことの複雑さ/立つことの不思議/重力のむごさ優しさ/支えられてはじめて気づく/一歩の重み 一歩の喜び/支えてくれる手のぬくみ/独りではないと知る安らぎ」。若い頃の詩が、自由闊達、自らの思うがままに、どこにでも足を向け、手を延ばして時代や世界、宇宙までも駆け巡っているような雰囲気であるのに対して、年齢を重ねた後の作品は、「立てなくなって、支えられて」という生きるあり方に変化する。「一歩の重み、一歩の喜び」、そこに伸ばされる何者かの「支えの手のぬくみ、独りではないと知る安らぎ」。人は時と共に変わってゆくが、失うものとさらに与えられるものとの間を生きてゆくのだと、あらためて知らされる。「ただいのちであることの/そのありがたさに/へりくだる」。この詩の末尾の章句であるが、人間のついに行きつくところが、これであろうし、この一点をゆるがせにできないのにもかかわらず、ついこれを忘れているのも、人間の正直なところであるだろう。
今年も降誕節を迎え、礼拝に一本のろうそくが点された。これから冬至に向かって段々、昼が短くなり、夜闇の時間が長くなる時に、礼拝では灯りの数が増えて行く、小さな光ではあるが、小さな光が増し加わるように、希望が開かれていくことを、心に刻みたい。世界の有様は、今もここそこで起こっている戦争や災害によって暗く隈取られている、今年もウクライナに平和が回復される見通しは、はっきりと見えてこない。しかしいつまでも世界は同じところに留まってはおらず、必ず変わって行く。コロナも過ぎ去った過去のことではないが、悩みを負いつつも歩み出すことができている。教会もまた以前のように、活動を再開できるようになった。主イエスの到来を待ちつつ、闇に点される光に希望を見いだしたいと願う。
さて、今朝はイザヤ書のみ言葉が取り上げられる。預言者は、未来のことを告げつつ、そこから翻って今、何をなすべき時なのか、どういう時なのかを、人々に訴える。人は、目の前のことだけに集中し、そこに凝り固まってしまうと、身動きが取れなくなるものだ。「終りの日」から今を見るなら、どう見えるか。「立てなくなって、支えられてはじめて気づく/一歩の重み 一歩の喜び」、ひとりの詩人が詠ったように、自分の終わりから、今の自分の置かれている世界を見るならば、今の当たり前がそうでないことをも知るだろう。
1節「終わりの日に、主の神殿の山々は、山々の頭として高く上げられ、どの峰よりも高くそびえる」。「エルサレムについての幻」とあるが、この様々な意味で有名な町は、標高800メートルの小高い山の上に位置する。この町に古くから祀られている神は、イスラエルの人々がここに入ってくる以前から、エル・シャッダイ(至高の神)と呼ばれていた。「小高い山」とは言え、エルサレムに詣でるには、周辺の地形が起伏に富んでいるから、幾重もの峰や峠を超えねばならない。さらに死海周辺の低地は、大体海面下300m以下であるから、つごう千メートル以上の高度を登攀することとなる。多くの民が来て言う「主の山に登り、ヤコブの家に行こう」。結構な大登山、山行である。高低差が千メートル以上あると、携える荷物も重く、登攀するのに体力的負担は大きい。その結構ハードな山岳地帯にあるエルサレムが、さらに「どの峰々よりも高くされる」と預言者は言う。この章句は、通常、イスラエルの神ヤーウェが、他の神々に比べられないほどの大きな栄光を示し、高く上げられる、まさにエル・シャッダイの名にふさわしい、という「ヤーウェの高挙」をたたえる表現だとされる。そして国の繁栄、隆盛は、その国にまつられる神の栄光の現れなのである。
しかしこれは「登山」になぞらえての喩である。千m級の山でも、登るのは一苦労、大骨折りである。それがヒマラヤ、エベレスト級の高さの山への登山となれば、もう素人には無理、第一、どんな道をたどって登って行ったらいいのか、素人ではルートも道筋も皆目わからないではないか。プロの登山家でも、登るためには丹念に山の地形を読み取り、どの道筋を歩めば登攀可能かを、何度も繰り返して検討する。道筋が決まれば、歩み出せる。そういう私たちの気持ちを推し量って、預言者は言葉を続ける。「主はわたしたちに道を示される」。神ご自身が登山ルートを教えてくださるのだという。ではそのルート、神の山に登るための道とは何か。
4節「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。ニューヨーク国連広場のイザヤ・ウォールに刻まれている有名な聖句である。国連の庭にはさまざまな国々から寄贈された彫刻や彫像が並んで置かれている。そのひとつに「剣を打って鋤の刃にしよう」と題されたモニュメントがあるが、1959年に当時のソビエト連邦から寄贈されたものである。
イザヤの時代、人々の間に合言葉のように交わされていた一つのスローガンがあったという。それは「鋤を打ち直して剣とし、鎌を打ち直して槍とせよ」。今こそ戦いのときは迫った。隣国に向かって剣を上げるべき時はきた。さあ戦いを学ぼう!戦争の準備をしよう。このような世間の人々の、喚き煽り立てる声を、預言者はそのまま裏返し、パロディにしたのである。この預言の言葉を聞いて、人々はどう思ったろうか。敵の脅威が迫る中、何という夢物語の、何という理想主義の、何と甘ちゃんな考えだろうか。そんなことすれば、この国を虎視眈々と狙う敵国の格好の餌食だ、と。今も同じ声が世界のあちらこちらで響いてはいないだろうか。イザヤの時代の人々にとって、また現代のわたしたちの時代にとっても、この「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」というみ言葉は、エルサレムの山塊の巨大な屏風岩のように、私たちの前に屹立している。これを見る者は、神の言葉は天国のお花畑の話だ、と考えるか、あるいはどんなことをしても超えられない難攻不落の壁だと思ってしまう。
「剣」とか「槍」とか言われるが、そもそも打ち直されるべきは本当は何なのか。殺戮の武器、兵器であるばかりか、それを作り出し、実際に使用する石のような人間の「心」ではないか。あるいは核兵器の放棄などできるはずはないという無力感にひるむ「心」ではないか。それこそが、まず打ちなおされねばならないのではないか。
「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とせよ」と預言者は告げる、但しこれを単に人間の努力目標と考えるのは、短絡思考である。神の言葉は、人間への命令ではなく、神のご計画の現れであり、まず神が自ら行われることの告知である。無情で、無力なこの醜い世界に、神は何をなされるのか。メシア、キリスト、救い主が来られるという。その方は、どのような姿でいらっしゃるのか。小さく非力な幼子として、この世に誕生される。それは神が「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」ことを、真実としてこの世に表すためである。主は「赤ん坊」としてこの世に来たり、「十字架」によってこの世と向き合われたのである。だからこそ、5節「主の光の中を歩もう」と言われるように、私たちは、赤ん坊である神の子を、この手に抱き、十字架に血を流された神の子の前にひれ伏すのである。それが「神の光の中の道を歩む」ことであり、まさにこれこそ「癒しの道」である。今、癒しの道を歩み始める時が来ている。
先の戦争のさ中、神学校で旧約の先生であった松田明三郎(まつだあけみろう)氏は、学校の宿舎に住んでいたという。当時、食料が乏しい中で、誰もが庭や空き地に芋を植えて飢えをしのいでいた。国会議事堂の周りも芋畑となっていた。この先生も宿舎の狭い庭に芋を植え育てた。その小さな畑を耕すのに、使った道具は木の棒に縄で巻き付けた銃剣だったそうである。家族の者がそう伝えている。幼い子どもは、どうしてそんな不便なもので畑を耕すのか分からなかったという。東京にも空襲で爆撃を受けるようになる中で、一人の旧約学者は、銃剣を鋤にして畑を耕した。来る日も来る日も耕した。彼は、このイザヤの言葉を自分の生活の中で受け止め、銃剣を打ち直すことはできないから、鍬に作り変えて、地を耕した。そんなことして何になるか、という人も居るだろう。しかし、この戦争はいつまでも続くものではない。必ず平和が来る。主の平和が来る。そのことを自分の心に刻むように、自分に語るように、そうしたのではないかと思う。神のみ言葉への応答、それも自分の、自分でできるかたちでの応答、祈り、これを神は引き上げられ、用いられるだろう。
「アドヴェント」とは「待つ」ことである。神のなされるみわざを待つ、ことである。「立てなくなってはじめて学ぶ/立つことの複雑さ/立つことの不思議/重力のむごさ優しさ/支えられてはじめて気づく/一歩の重み 一歩の喜び/支えてくれる手のぬくみ/独りではないと知る安らぎ」。飼い葉桶の幼子に出会って、私たちは初めて、「支えてくれる手のぬくみ/独りではないと知る安らぎ」を知るだろう。そして「ただいのちであることの/そのありがたさに/へりくだる」のである。