弥生、三月を迎えた。草木が生い繁る「いやおい」から派生した旧暦名であるという。確かに庭の雑草も、一斉に顔をのぞかせ始めた。やっかいな「雑草」とはいうものの、雑などうでもいい草、ない方がいい草があるわけではなく、人間の一方的な価値判断から、「雑」と勝手に見なしているのである。大地に「みどり」がなくなれば、やはり困るのは地球上に生きるものすべてである。
先月、教区社会部主催の「信教の自由を守る日」集会で、森達也氏の講演を聴いた。氏はこんな喩えを語られた。「羊を飼う牧畜者は、その数十頭の群れの中に、必ず一匹づつ山羊を混ぜて置く。なぜ山羊を入れるのか。羊は極めて従順に家畜化された動物であるから、群れを作りいつも群れで行動する。草を食んで生存するが、足下の草を食べ尽くしても、そのまま立ちつくしてしまう。ところが山羊は野生の性質を強く遺しているから、周りに草がなくなれば、勝手に草のある所に自分一人で移動してゆく、というのである。すると羊たちもまた、その山羊にぞろぞろついて行って、新しい草を食べることができ、結果、命を保つことができる、というのである。
氏は、キリスト者の生き方の暗喩としてこれを語られたのだが、どう受け止められるか。ともあれ人生というものは、いつでも自分の足元の草が青々と生い茂り、何不自由なくそれにありつけるという訳にもいかないだろう。草が無くなれば、場所を移動しなければならない。するとひとつの問いが沸き起こるだろう、「さて私たちはどこに行くのか」。
この国にとって、三月は「卒業」という別れの季節でもある。今まで身を置いていた所に区切りをつけて、そこを後にすることが、人生に幾度か生じて来る。学生時代は、それが数年おきに訪れてくる。大人になって、自分のほんとうの居場所を見つけて、そこに歩んでいく途上の、予習や事前学習をしているということか。「卒業」とはもともと「一つの事業を完了すること」という一生もの仕事の達成を指していたようだが、今はもっぱら学業あるいは所属していたグループを離れることを指している。聖書において、「卒業」を意味する直接の言葉は見当たらない(そもそも学校や会社自体が存在していない)が、「時満ちて」が最もそれに近いかもしれない。旧約では大方でこう記される。「時満ちて、先祖と共に葬られた」つまり天寿を全うしたことを、「卒業」と呼ぶのである。新約では、これは有名な「時は満ちた、神の国は近づいた」この主イエスの言葉が嚆矢であろう。まことの「卒業」とは、神の国が訪れて、この罪ある世の中が、改まる神の時の始まりなのである。どうも聖書の言う「卒業」は、人間の手の業がひと段落、どうにかなるということではなくて、もっぱら神のみこころ、計画の成就という意味で用いられていると言えよう。
さて、今日の聖書の個所、ヨハネ福音書の6章の末尾の部分である。この章は「パンの奇跡」の物語から書き起こされて、その結末が語られるのが、この個所である。「男だけで五千人」の人々が、「五つのパンと二匹の魚」で養われ、パン屑の残りを集めると十二の籠にいっぱいになったと伝えられる。これは主イエスの「神の国」の宣教、そしてそれを受け継ぐ教会の宣教を、寓話風に記したものだろう。教会に何かしら人の目を魅了する世の宝があるわけではない、「大麦のパンが5つと魚2匹」、かえって見るべきものなどない。しかし神の憐みによって、多くの人々が主イエスのもとに招かれ、僅かなものを皆で分かち合って、それで満ち足りるという現実が起っている。それでも教会の分かち合う営みは、何の問題も課題もなく、苦労もせず波風も立たず、安穏と進転して行った、等ということはない。人間が生きて行く現場は、どこにもそんなところはない。
60節以下「ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。『実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。』イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。『あなたがたはこのことにつまずくのか』」。そして66節「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」という。多くの人々が招かれて、集ったのに、そこから離れて行く多くの人々が生じて来た、というのである。「あなたがたはこのことにつまずくのか」と主は言われている。
「このこと」とは、55節の主の言葉にある。「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。このパンを食べる者は永遠に生きる。」、わたしの肉を食べ、わたしの血を飲め、私たちはこの言葉は「主の晩餐」を指している、と知っているので、これは「比喩、隠喩」、つまりものの喩えであると了解している。ところが、これを比喩ではなく実際のこととして受け取るなら、確かにグロテスクな表現ではある。ヨハネの時代、教会が迫害された強い理由のひとつが、実にこれだった。「教会は人の肉を食らい、人の血を啜っている」。妬みと悪意の籠った誹謗中傷だが、この噂、フェイクニュースに扇動され、教会を迫害した人々も多かったのである。もっとも、教会もリアルさを追求したのか、聖餐で用いるパンを人型に成形したものだから、それも誤解を与えるきっかけとなり悪かったとも言える。
ところがここでは一般の市井の人々ではなく、「弟子たち」の姿勢、「もはや共に歩まなくなった」が問題にされているから、単にフェイクニュースに踊らされたということでは、ないだろう。教会は主イエスのみわざを、自分たちでできることで(人間出来ることしかできない)、真面目に受け継いで行こうとしたのである。愚直に主イエスのなさったように、共にパンを割き、たとえ僅かなものでも分かち合って、という地味な営みを教会の中心に据えたのである。そういう教会の姿勢に対して、「異を唱える、反発する」というよりは、現代風に言えば「もっと利益の大きい、もっと効果的な、コスパとタイパに優れた、あるいは世間を動かすようなプロジェクトの企画」に期待する人々が出て来たということだろう。ある意味、教会に「期待はずれ」を味わったのである。
この「離れ去る」は、元の古巣に戻る、後戻りする、もとの生活に戻る、という意味合いの言葉である。ここにヨハネの教会の状況を読み取る学者もいる。簡単に言えば、教会に人が来なくなってしまった、のである。迫害か分裂か、あるいは飽きられたのか分からない。かつてこの国でも戦後まもなくキリスト教ブームというものがあった。その時には、教会に人があふれた、という。その頃教会に集った人は、いまどうなったのであろう。私は、一度真面目にイエスに出会ったなら、ずっとキリストに触れた痕跡、名残というものがその人に残るだろうと思っている。
「あなたがたも去ろうとするのか」と主に問われて、ペトロはこう答える「主よ、わたしたちはだれのところに行きましょうか」。この応答の言葉はどこから生まれるのであろうか。熱心な信仰、真面目な祈り、熱心な奉仕、聖書の深い学びから生まれるとは思えない。ただ、主の十字架への歩み、十字架の苦しみ、十字架そのものにしっかりと目を据えたときに、自分と一つになって苦しまれる主イエスの姿が見えてくる。私の苦しみや悩み、それを苦しまれるイエス、そこから始めて「誰のところに行きましょう」という告白が、歩みが生まれてくるのであろう。
「セクハラ、パワハラ、マタハラ…。嫌がらせやいじめなどの迷惑行為を指すハラスメントは現在、多数存在する。昭和に学生時代を過ごした世代には「確かにそうだな」と自戒させられるケースが多いのだが、一方で「そんなことまで」と驚くような言葉もある。その一つが「マルハラスメント」。「連絡ください。」「了解しました。」。LINE(ライン)などで中高年から届いたメッセージが「。」で終わっていると、若い世代は距離感や冷たさを感じて恐怖を抱くというものらしい。「おばさん構文」と揶揄(やゆ)されているともいう。そう困惑していたころ、歌人の俵万智さんがSNSに投稿した一句が反響を呼んだ。「句点を打つのも、おばさん構文と聞いて…この一首をそっと置いておきますね」と前置きして、こう詠んだ〈優しさに/ひとつ気がつく/×でなく/○で必ず/終わる日本語〉。真ん丸の句点は冷たくないよ、と優しく教えてくれた」(2月24日付「水や空」)。
「。」ひとつで「距離感や冷たさ」を感じて「恐怖を抱く」とは、あまりにデリケート過ぎやしないか、他人の目や自分の心に、がんじがらめになっていないか、という意見もあろう。しかし「他人の」ではなく「自分の十字架」を負って生きるのが人間である。それもまた、私のリアルであろう。足元の草がすべて食べ尽くされて、おろおろ立ちすくんでいる。そういう「恐れ」にあって、自分の身の置き所が一層切実な問題になっているのが、私たちの今である。「わたしに従いたいと思うものは、皆、自分の十字架を負い、わたしに従ってきなさい」。人生の中で、イエスの衣にでも触れたものは、やはりそれぞれの人生の歩みで、このみ言葉が現実になってくる。主イエスの背中を見て、主イエスが十字架を背負われているのを見て、自分の十字架を負うならば、一歩、歩む力が生まれて来るだろう。人間、いろいろ自分の身の置き所、生きるべき場所を持っているように見える。しかし本当のところ、本当に行くことの出来る場所はどこか。主のおられるところ、それを置いて私たちに行くべき場所はない。