生まれたばかりの赤ちゃんは、ただ泣くだけで一人では何もできない無力な存在に感じる。ところが、棒につかまり自分の身体を支えること、あるいは手足を伸ばして水の中を泳ぐことができる。さらに、すでに他人の表情を模倣する能力を持っている。自分ではどこをどう動かせば舌が出るのか、まだ知らないはずなのに、誰かが目の前にゆっくり舌を出して見せると、赤ちゃんも同じように舌を出し、口をあけて見せればやはり口をあける。人は生まれつき真似の出来る能力を持っている。これを「新生児模倣」と呼ぶそうである。
人間の特質が「真似すること」にある、というのは興味深い。「学ぶ」という言葉が「まねをする」から来ていることは良く知られている。人はもともとまねが上手く、まねをして生きてゆく生き物なのである。最近、「ナンバーワン」でなくて「オンリーワン」という合言葉がある。確かに一番になることだけが人生の目標ではないだろうが、自分らしさを過度に求めることで、「個性」を強制されるような風潮がある。子どもたちが「自分探し」に駆り立てられていると言われる。
しかし個性というものは本来、無理して見つけたり、作り出したりするものではなくて、ひとりひとりの存在そのもののことであるから、そんなにもしゃかりきになる必要はないのではないか。そもそも個性とは当たり前に備わっているものであって、それがそのまま価値あるものではない。それよりも、「まねをする」ことの意味が失われていることに、危惧を感じる。もちろん世の風潮や、マスコミの煽動になだれを打って、という「他人の空真似」は大いに健在かもしれない。しかし、これと思う人に注目して、その人柄にふれて自分を高め、深め、自らを耕し創り上げるような「まね」は、現在、本当に今あるのだろうか。「まねすべき人格」の喪失が、現代の大きな問題なのだろうと思う。
主イエスの十字架での死、そして三日目の復活、さらに聖霊降臨によって教会が誕生したと聖書は伝える。では最初の教会が何をしようとしたか。教会の全体で、みんなで、主イエスの生き方を真似る、ということであった。主が生涯を貫いてなさったように、愛のわざをおこなう、それが教会の意味だ、目標だと考えた。そしてやもめ、貧しい人や病人の世話、捨てられた子どもの養育、食事の提供、旅人のもてなし等、自分たちで出来ることをおこなったのである。迫害や中傷、偽善者というレッテルにもめげず、300年の間、続けたのである。そうしてやがて世間から「教会=チャリティ(愛の場所)」とみなされるようになった。石の上にも3年、ファミレスにも8時間、とはいうが、300年一つのことを続ければやはりどこか本物になるであろう。
恩師のひとりは、北海道開拓伝道に携わって、伝道所の設立に尽力された方である。「雪と寒さの中でのお働き、さぞかしたいへんだったでしょうね」と尋ねると、「一度もそう思ったことはありません、楽しい時でした」と言われる。そこは今も小さな伝道所のままであるが、既に50年の歩みが続けられているのである。教会が何かお金になる事業や商売をしているわけではない。ただひたすら礼拝を守るのみである。50年という年月は世代がそっくり交代するほどの、重く長い時の積み重ねである。この鶴川北教会も、創立後まもなく50周年を迎えるのであるが、その後の半世紀はどうなっているだろうか。つくづく教会は時が育てるものだと思う。
初代教会の礼拝では、説教とは、イエスの弟子たちが教えられ、教会に伝承された主のみことばをさらに伝えることであった。「主から受けたことを、またあなたがたに伝えたのである」(一コリント11:23)とパウロが語る通りである。但し、彼は、教会に伝えられたこの「主の言葉伝承」に則って、自分の神学をそれに付加して語るという方法を取っている。おそらくこれが最初の礼拝説教の消息を伝えるものであろう。
新約聖書他の諸文書から、説教の言葉自体は、今も確認できるかもしれないが、実際、どのような形態でなされたかは、想像するしかない。当時の大勢の人の前で語る有様から察するにどうも言葉、話だけでなく、身振り手振りを交えて、演劇のように、生前のイエスの振る舞いをまねしてなされたのではないか、という説がある。つまり想像をたくましくすれば、説教者は主イエスのものまねをしたというのである。聴衆はそれを見てイエスを思い出し、泣いたり笑ったりしたことであろう。本当に似ている場合、そこに今も生きて働くイエスの姿を、その後ろ側に見たことであろう。後ろ側に働く主に出会う、復活の体験とはそういうものだった可能性がある。
今日の聖書個所は、元来、別々の伝承がつぎはぎされてパラグラフを形作っている。ここに流れる文脈のモティーフを確認する必要があるだろう。37節「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は」、そして41節「あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は」、また「これらの小さな者の一人をつまずかせる者は」、という言葉によって、議論が展開されて行く。「子ども」「一杯の水」「小さな者」という言葉がキイワードとなっていることが分かる。教会はどこに、何に、誰に目を向けなければならないのかを、こうした鍵語は端的に示している。そしてここに初代教会の抱える状況も、見事に投影されている。
34節「途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである」。38節「わたしたちに従わないので、やめさせようとしました」。50節「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば」等の言葉に、当時の教会で何が話題であり、課題であったのかが透けて見えるのである。こういう伝承の背後に何があるのか。初代教会の中で、すでに、誰がトップか、ナンバー2かという、序列が競われている。また何が正統で異端かという議論がすでに沸き起こっていて、さらに権威だとか、許認可だとかいう事柄に、教会の人々の関心が向けられていることが知れるのである。「塩がばかになったら」、当時の教会に対する辛辣な警句であろう。
ここでマルコが言いたいのは、主イエスに倣い、主イエスのまねを、自分なりに行って歩むのが、キリスト者であり教会ではないのか、ということである。そもそも主イエスの生き方の前には、こんな小賢しい人間的な格付けや、意地や、スジは吹き飛んでしまうものではないのか。主イエスは、小さい者、弱い者の一人と共に生き、小さな一杯の水を用いて、湧きあふれる命の泉を開かれたではないか。そしてあの歩みの行きつくところは何だったのか、思い起こせと繰り返し語るのである。
31節「『人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する』と言っておられたからである。 弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」。主イエスの小さな者への歩みは、十字架へと向かう歩みであった。「弟子たちはこの言葉が分からなかった」、さらに「怖くて尋ねられなかった」という。主イエスの十字架において、私たちの悪や罪もまた、吹き飛んでしまう。ただ「信じます、信じない私を助けてください」と自分もまた小さなものとなって、正直に憐れみを請うしかないであろう。
キリストのゆえに「一杯の水」を差し出す。実生活の中で何がそれに当たるか、それぞれ思いをめぐらして欲しい。何か一つ、どれか一つ、主のみ言葉を生きることだろう。自分にもできそうな、自分の身のたけにあったみ言葉を見つけよう、そしてそれを生きよう。み言葉の真似をするのである。なに、人間は生き物の中で、もっとも真似のうまい動物であるらしいから、何とかなるだろう。そしてその背後にイエスが働いて下さったら、と願うのである。