今日は「花の日・子どもの日」礼拝である。この日の由来について、若干のことを月報に記した。「1856年、米国マサチューセッツ州チエルシーのC・H・レオナルド牧師が、礼拝堂に花を飾り、子どもたちの献身を願い、6月の第2日曜日に特別礼拝を行ったのが始まりと言われています。一年中で一番花の多いこの季節に、子どもから大人まで、神を賛美し、神に感謝する心を養うために、たくさんの花を飾ったことから、この日が『花の日』と呼ばれるようになりました。」、子どもの成長と献身を願って、礼拝堂にたくさんの花を飾り、子どもたちを招いて共に礼拝を捧げた。まさに初夏のこの季節の「礼拝」の名にふさわしい守り方であろうと思う。
「子どもたちと花」、まさに似つかわしい取り合わせである。しばしば子どもは「花」に喩えられる。明るい、小さく愛らしい、そればかりでなく、野の花のように、したたかでめげない、しぶといところもある。そして何より子どもは花が好きである。野の草を摘んで、花束にして、あるいは一茎を、母親にプレゼントする、そういう微笑ましい記憶をお持ちではないか。あるお母さんは、「うちの子は、なぜか花でも、綿毛になったタンポポが好きで、それをたくさん花束にしてプレゼントしてくれます。うれしいのですが、服や部屋に、タンポポの種がそこいらじゅうに散らばっています」という。
さらにこのお母さんは、お子さんについてこう語っていた「小学校入学に先立ち、まん中の子を『一日入学』に連れて行ったときのことです。『小学校では、こんなに楽しいことをします』というお話を、たくさんの年長さんと、その親たちで聞きました。最後に『それでは、小学校に早く来たいと思うひとー?』と先生がお尋ねになりました。よい子たちが『はーい!』と元気よく手を挙げて、返事をしました。
『じゃあ、来たくないと思うひとー?』と先生がまたお尋ねになると、我が息子が『はーい!』と手を挙げました。たった一人の挙手に、本人がびっくりしてパッと立ち上がりました。その場で360°回って周りをぐるっと見渡し、不思議そうな顔で『ほんと―に、こんなとこに来たいの? 君、来たい? 君は?』と、近くの子に次々と、質問を始めてくれるではありませんか。お母さん方、大笑い。私もつられて大笑い。内心では『うわあ! かわいい』と、満足でした。先生も笑って見ていらしたと記憶します。『小学校に来たくないひとなんて、ひとりもいませんね!』という、予定の念押しせりふを言いそびれた、苦笑だったようにも思いますが」。
グリム童話に、有名な『裸の王様』の話がある。詐欺師の洋服屋にだまされて、自慢げに王様は裸で町を練り歩く、大人達はそれを見て口々に、見えない衣装をほめそやす。それを見て子どもは叫ぶのである、「王様は裸だ!」、物語の結末は滑稽だが不気味である。「それでも王様はパレードを続けました」。一度、動き出したら、その歩みは止まらない。それが地獄に通じる道であっても。
今日の聖書個所、ヨハネの手紙は、新約聖書の諸文書の中で、後の時代に成立した書物である。主イエスの再臨とこの世の終末を待望する切迫した時代から、モラトリアム、しばらくの猶予の時、「すべての人の悔い改めるように」と神の忍耐の時が与えられたという思いが生じた。するとそれまでは、二の次にされていた事柄が、強く意識されるようになったのである。この世でどう生きるか、当たり前の日常生活の中で、信仰をどう守っていくのか、ということである。そこでの重要な課題のひとつが「家族・家庭」の問題である。子ども達や青年たちをどのように導き、育てたらよいのか、何を指針としたらよいのか、が問われるようになったのである。
今日読まれた個所の少し前、12節以下には、「子たちよ、父たちよ、若者たちよ、子供たちよ」という風に、家庭、家族のひとり一人に対して呼びかける、という体裁で勧めが語られている。時代が変わり世は移れば、さまざまな考え方が流布し、いろいろな思想がもてはやされ、今はやりのものに人々の心が捕らえられる。教会でも、信仰についていろいろな理解が語られ、何を信じるか、どう信じるか、多様な主張が投げかけられ、議論されるのである。教会において、信じる豊かさがあふれる、というのは喜ばしいことであろう。教会もややもすれば画一的で硬直した思考に陥る、するとそのかちこちを聖霊が突き崩すという歩みをしてきたのである。信じる豊かさは、いつも聖霊の賜物であり、今もそのように教会は生命を保ち歩んでいる。
今日の個所で、鍵語とも言える言葉が繰り返し繰り返し語られる。それは「初めからのこと」である。「初めからの存在」、また「初めから聞いてきたこと」等と言い換えられている。これをもって聖書の「初心忘るべからず」、ということもできるだろう。自分が信じたその初め、もちろん、信じて洗礼を受けた時のこと、信仰者として初々しく、教会が新鮮で、信仰の交わりが喜びだった時の心を思い起せ、と問いかける言葉でもあろう。「今はどうか」、喜びが喪われていないか、色あせていないか。
ところが聖書は、そもそもの信仰の始まりを、人間の側に、即ち、熱心さとかひたすらさとか、あるいは困難や絶望という所には置かないのである。旧約にこう語られる「わたしはあなたを母の胎内に造る前から/あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/あなたを預言者として立てた(選んだ)」(エレミヤ1:5)。神が手を伸ばされるのは、私がこの世に誕生するその前なのだという、そしてその形もまだない生命に手を伸ばされ、その人生を導かれるというのである。そして「時満ちて」、神は主イエスを私たちの下に遣わされて、私たちと出会われる。「初めからのこと」とは、主イエスが人となって、私たちのひとり一人の人生へと歩んで来られた、ということである。これが私たちの、信仰の始まりなのである。この主イエスという「初め」抜きには、信仰も、生活も、人生も、さらには私たちそのものも「ない」のである。
この4月の終わり、あるひとりのキリスト者の訃報が大きく伝えられた。「事故で手足の自由を失い、口に筆をくわえて絵画や詩の創作活動を続けていた群馬県出身の星野富弘さんが、4月28日、呼吸不全のため亡くなりました。78歳でした。星野富弘さんは1946年(昭和21年)、現在の群馬県みどり市、旧東村で生まれました。大学を卒業後、中学校の教員だった20代の時、部活動の指導中の事故で手足の自由を失いました。入院中に口に筆をくわえて文字や絵を書き始めたのをきっかけに創作活動をスタートさせ、一つの作品の中に絵と詩が盛り込まれた『詩画』と呼ばれる作品を生み出してきました」(NHK News Web)。
この訃報に伝えられた人が、初めて教会に行ったときに何を見たか、教会の壁に、「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげよう」と書かれてあった。「あっ、私が来ていいところなんだ」と思ったという。詩画集の世に著わした星野富弘氏が、信仰の証としてこんな思い出を語っている。中学生のときに、山の上にある畑に肥料として播くために、天秤棒に吊るした袋に重い豚の糞を入れて、登って行った。その途中に「すべて疲れたもの、重荷を負うもの我に来たれ」と書かれた十字架が立っていた。それは村で一軒だけのキリスト者の家族が立てたお墓で、その家のお子さんが、幼くして亡くなった際に、ご両親がそのお子さんの記念として刻んだみ言葉であった。中学生であった星野少年はそれを見て、「(重たい豚の糞を担いで坂を上っていたので)疲れ、重荷を負っているのはまさに私のことだ、でも『我』っていったい誰のことだ」と思っていた。
大学を卒業して中学の体育の教師になり、生徒の前で模範演技をしているときに、鉄棒
が落ちて頸椎を損傷して、首から下が動かなくなってしまった。「どうして、どうして、こんなことに、」「あの時、模範演技をしなければ」「大学に合格していなければ」「いや私は生まれなければよかった。」とさかのぼっていろいろと原因を探して悔やんでいたとき、大学の先輩が何もできないけれど、「これを読んで」と聖書を置いて行った。素より宗教は弱いだめな人が頼るものと毛嫌いし、最初はまったく読む気がしなかったが、折角先輩が自分のために持ってきてくれたのだから、と試しに開いて見ると、そこにかつて中学生だった時に、あの山道で見た「懐かしい」言葉が記されているのが目に入った。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげよう」。そしてこの「我・わたし」とは誰か、イエス・キリストその方であると知らされたという。
全体礼拝であるから、最後に、星野氏の生涯を「5分間」で紹介するシンプルなアニメがあるので見ていただこう。わたしの人生の生まれる前から手を伸ばされ、捉えていてくださる「初めからのもの」を味わっていただけたら幸いである。