祈祷会・聖書の学び テモテへの手紙一5章1~16節

「山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習いありき。老人はいたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊らしたり」(柳田國男『遠野物語』110)。この国の民俗学の草分け、柳田國男の著作の中で最もよく知られる『遠野物語』に綴られる「棄老」伝承である。

この国の「棄老」伝承を研究している赤坂憲雄氏(奥会津ミュージアム館長)は、自らのフィールドワークで、現地を訪れた時の印象を、次のように語っている。「初めての遠野の旅でもまず、この蓮台野、土地の人々がデンデラ野と呼ぶ姥棄ての地を訪れている。衝撃だった。その、デンデラ野は村のすぐ背後にあった。野原の一角にあって、木の卒塔婆らしきものが立っているだけだった。草を分けて丘のはずれまで行ってみると、すぐ眼の下に集落の家々や田んぼがあって、働く人の姿が見えた。その、あまりの近さに驚いたのだ。これでは、棄てられたって、すぐに帰って来てしまう。だから、老人たちはいたずらに死んでしまうこともならず、日中は里へ下りて農作の手伝いをして、わずかな食料をもらって戻った、という表現が妙にリアルに感じられた。遠野の姥棄て譚ははたして、たんなる根も葉もないお話にすぎないのか、何らかの歴史に繋がっているのか」(5月5日付「日曜論壇」)。

食糧事情が深刻な状況下では、いわゆる「口減らし」のために、労働力として「役に立たない」存在、即ち「生産性がない」と見なされる人々が、共同体から放逐されるというのは、古今東西あまねく行われて来た(今も)、悲しく残酷な営みと言えるであろう。そこに生きる者すべてが共倒れになるよりは、という「とかげの尻尾切り」の論理である。今日、人権意識がしっかり根付いているように見えるこの国でも、「少子高齢化」が論じられる際に、やはりしばしば顔を覗かせるのは「生産性」の価値なのである。高齢者福祉の見直しも、専らそこからのみ議論される傾向がある。財政の破綻を錦の御旗に、人間の生命が「トリアージ」されることが、今日、非常に危惧されるのである。

さて今日の聖書の個所は、現代的な意味でも、非常に興味深い主張がなされていると言えるだろう。時代の先取りとも言える問題が、散見されるのである。やはり当時の社会、とりわけ教会も、高齢者の問題にいろいろ頭を悩ませていた状況が、直に見て取れるからである。それは新約の時代のみならず、古い旧約時代にも遡る大きな課題であったと思われる。それは既に「十戒」の中に、「あなたの父と母とを敬え」という戒めがあることからも証されているであろう。この「父母」とは、高齢の父母を指していると考えられ、すると「敬う」という態度を取るように期待されているのは、小さい子どもたちではなく、中年、壮年の者たちを指すということになる。即ち、この戒めは、介護や介助、高齢者福祉の観点から発せられていると見なすことができる。高齢者が、おのずと敬われる社会ならば、このような規定など不要であろう。「敬われない」、やはりそれが愁眉の課題だったことが、伺われるのである。

1節「老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい」、この言葉の背後には、認知症を患った高齢者に対して、「虐待」とも言える対応が行われていたことを暗に物語っているだろう。「叱る」、という用語は、「罵倒、嘲笑」を含むニュアンスでもある。言葉による虐待である。高齢の親に対して「ついつい態度や言葉で、つらくあたってしまった」、そう嘆く家族も多い。ここには教会内の介護の現実が仄めかされているだろう。現在の介護施設のように、身寄りのない高齢者がいて、そのお世話をしている人々がいるという前提での発言でもある。

高齢者の中でも、とりわけ老いた未亡人の生活は悲惨であったと言われる。家族の経済的な後ろ盾がなければ、まったく貧窮し、身の拠り所、行き場を失うのが彼女たちなのである。幼児と並んで一番の社会的弱者だったと言えるだろう。年老いて、身内から無視され、放られ捨てられる人たちが少なからずいたのだろう。

3節「身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい」という言葉から、教会が彼女たちにどう対応したかが推測できる。教会は彼女たちの身の置き所を確保し、そこに住まわせお世話をしたのである。使徒言行録には、教会のやもめについての言及がなされている。時には「食事の分配」のことで不公平がある、とのクレームが出て使徒たちが頭を悩ますという場面も描かれ、当時の教会の抱える生の情報にもふれ得るのである。こうした事柄に目を背けるべきではない。

但し、教会にも諸般の事情があり、誰も彼も受け入れるというわけにはいかなかったのだろう、4節「やもめに子や孫がいるならば」と家族の保護責任、養育義務の必要を訴えたり、6節「放縦な生活をしているやもめは」という具合に、高齢者自身へのいささか厳しい訓戒も語られている。但し、「生きていても死んでいるのと同然です」というのはいささか言葉が過ぎるとも思われるがどうか。9節「やもめとして登録するのは、六十歳未満の者ではなく、一人の夫の妻であった人、善い行いで評判の良い人でなければなりません」とあるように、現在のこの国の「介護度認定」の如く、教会で生活させる高齢者を「登録制、資格制」にして、現実的な対応をしようと試みたようである。やはり世にある教会としてのあり方、苦渋の?選択なのであろう。

しかし、教会の高齢者たちが、ただ世話を受けるだけの哀れな立場であったと見なすのは早計である。5節「身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けます」と語られるように、教会の高齢者は、教会員たちのためにいつも祈り、神に委ねる姿勢を教会員たちに示して、証となっていたのである。教会員、特に若い人々は、高齢者とおしゃべりをして、自分の思いを聞いてもらい、特に祈ってもらうことで、かえって逆に支えられていたのであろう。

こうした高齢者への対応を、教会が取るようなった理由は、教会が「隣人愛」を大切な徳目としたことにあるが、やはりその根本には、主イエスが語った「神の国の教説」にその源泉はあるだろう。「神の国には、あなたがたより先に、遊女、罪人、取税人が入るであろう」、いろいろ欠けはありながらも、このみ言葉を本気で生きようとしたのが、やはり教会なのである。