「執り成す人がいない」イザヤ書59章12~20節

「師走」、日暮れが早く、寒く火影の恋しい時期である。現在はこの国でも、クリスマスを迎える時期に街路樹や建造物にイルミネーションが施され、ライトアップすることは、極く一般的な風景となった。こうした電飾の始まりはどこにあるのか。ある新聞記事が目に留まった。「東京タワーのライトアップが始まったのは1989年の元日。照明デザイナーの石井幹子(もとこ)さんが手がけた。当時の日本には街灯やネオンサインなどの照明しかなく、夜になると街は暗く沈んだ。東京タワーのライトアップは昭和天皇の逝去で一時中止されたが、再開後は平成という新時代を照らす明かりとして人気を集めた。以来35年。石井さんの照明デザインは都市の夜景に変革をもたらした。イルミネーションは身近な場所に広がった。街に華やぎをもたらし、見る人の心を温める」(2024/12/02「有明抄」)。

アドヴェント・クランツのろうそくの二本目が点された。この、待降節にろうそくを点して時を「待つ」という過ごし方は、ドイツの神学者ヨハン・ハインリッヒ・ヴィヘルン(1808~1881)に遡るとされる。彼はドイツの都市貧困層への宣教活動の先駆者として知られているが、ハンブルグ市ホルン地区に「ラウエスハウス」という福祉団体を創立する。現在そこは、老人ホーム、障がい者施設、学校、教育専門大学などを擁する大きな組織となり、キリスト教精神に基づいた幅広い活動が行われている。ヴィヘルンは、「行いと愛による信仰の実践」を主眼として、特に貧困にあえぐ子どもたちの救済に取り組んだのである。1833年に孤児12人からなる子どもの施設(孤児院)が作られた。学校に行くことのできない子どもたちに読み書きを教え、家庭的な共同生活を通して、キリストの愛を伝えようとした。やはり子どもたちにとって、クリスマスは一番の楽しみなので、クリスマスが近づくと、「あと何日でクリスマスなの?」と毎日のようにヴィヘルンに尋ねたのだとか。彼はそんな子どもたちのために、このアドベント・クランツを作ることを思いつく。馬車の車輪に、大きな白いろうそくを4本と、その4本の間に赤い小さなろうそくを19本立てた。クリスマスまでの毎日、牧師は子どもたちにクリスマスの物語を話し、祈り、アドベントの日曜日には白いろうそく、週日は毎日1本ずつ赤いろうそくに火を灯して行った。子どもたちはこのリ-スを見て、クリスマスまでの日々を数えて待つことができるようになったという。「物語(聞くこと)、祈り(語ること)、ろうそくの火(見ること)」、これらがひとつとなって、子どもの心に「待つ」という姿勢が生まれた。人は何を待つのか、希望を待つのである。人間は希望がなければ待てないし、ただ結果だけを求めるようになる、どんな悪賢いことも、ずるいことも、結果さえよければそれでいい。逆に待つことができれば、そこに訪れて来るものによって、希望を育むことができる。今の自分(なれない自分)を大切にすることができるのである。

さて、今日の聖書の個所、イザヤ書59章からお話をする。バビロン捕囚期、異郷に生きるユダの人たちにみ言葉を語った「無名の預言者」の言葉である。しかし、忌憚ない言い方をすれば、余りに暗い、闇のような言葉が、連ねられている。12節「わたしたちの背きの罪は重く/わたしたち自身の罪が不利な証言をする。背きの罪はわたしたちと共にあり/わたしたちは自分の咎を知っている」。

「あいつはおれのために、言うべきこと、なすべきこと、黙っているべきことを完全に忘れ去っている。薄情な男だ」、身近な人からこんな非難を浴びせられたらどうか。この非難を受けた当人は、フランスのモンテーニュである。これに言い訳をするかのように、彼は自身をこう語る。「およそわたしくらい記憶の話をするのがふさわしくない男はない。だってわたしはわたしの内に、ほとんどその痕跡すら認めないからである」つまり「自分はけっして薄情な人間ではなく、単に記憶力が悪いだけなのだ」と開き直る。その上で、自分の忘れっぽい欠陥をむしろ長所としてとらえ、次のように問いかける。「経験に照らして見ると、むしろあべこべに、優れた記憶こそ、とかくひ弱な判断(他人の言説に左右される)に伴いがちではないか」(『随想録「嘘つきについて」』)。「記憶にございません」というどこぞの界隈での常套句が、この年もしばしば聞こえて来たが、モンテーニュを師と仰ぐ人々は、すこぶる大勢いるようである。

「背きの罪」とは罪に対して後ろを向いてしまうことである。それは「記憶にございません」という言葉に典型的に現れている。人は、自分の仕出かしたこと、ずるいこと、卑怯なこと、ほめられないことを、「憶えていない」という。そうかもしれない、そういう「不都合」を逐一はっきりと記憶していたら、とてもじゃないがやりきれないし、生きて行けないだろう。何とかごまかして(他人も自分も)。ところがそれで万事が丸く収まり、上手く行くわけでもない。人間の罪、不都合、的はずれは、そもそも「憶えていない」ですべて片が付くというわけにはいかない。なぜならそれは、私だけの問題にとどまらず、他の人々との関係を呼び起こすのである。そればかりか人間の間だけの問題ではなく、わたしと神との間の事柄だからである。

預言者の言葉は、文学的、神話的なニュアンスで語られている。私の罪が、咎が、「生き物」のように、あるいは裁判で被告人を追及する「検事」のように、神の前に「不利な証言をする」のである。「記憶にございません」と隠そうとしても「はて?」と言われてしまうのである。ばれなければ、何事もなかったように、知らぬ存ぜぬと、口を拭っていられる、というものではない。罪は隠して通せるものではなくて、大胆に雄弁に、神の前に告発をする、というのである。罪はまるで裁判の時の検察の弁論のように、被告の罪状をことごとくつぶさに告発をする。神の前に罪自らが証言する、というのである。だから人は、咎の中で、神の顔を避けるのである。

こういうところから、人間に生じる事態は何か。14節「こうして、正義は退き、恵みの業は遠くに立つ。まことは広場でよろめき/正しいことは通ることもできない。まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られる」。「まこと、正義、恵みの業」これらは神の属性であり、それはすべてひっくるめて言うと「慈しみ、憐れみ」という言葉に集約される。神のおられる所、働かれる所には、必ず「慈しみ」と「憐れみ」が現れ出る。しかし神がいなくなれば、この世界からそれらは消え去ってしまう。人の世に「慈しみ、憐れみ」が、消えてなくなってしまうというのである。それはどのような世界か。16節「主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれた」。つまり人がみな分断されてひとり一人に孤立してしまう、切れ切れにされて追いやられてしまう世界、間に入ってつなぎ留めたり、それぞれに慰めと癒しを語り、修復を行おうとする人もいなければ、そうしようと考える人もいなくなってしまう、というのである。

16節「主は人ひとりいないのを見」たとある。もっとも悲惨なのは、誰もいない、一人もいないことだという。善人がいない、正しい者がいない、というのではない。人間が、たったひとりで放っておかれている、捨てられている、誰も彼の弁護(傍らに立つ)をしようとせず、側に寄り添うこともなく、神の前に立つこともできないで、ただ逃げ隠れし、自分の罪を覆い隠すことばかりに汲々としている人間、そのひとり一人がどうにもできずに堂々巡りしている有様を見た、というのである。側にいて、執り成す者が誰もいない、告発する者はあっても、罪を論う者はあっても、それをかばい、あやまり、なだめるものが、誰もいない。

かつて幼い時、過ちを犯した時に、この私をかばい、私に代わってあやまり、怒りをなだめてくれた人がいなかったか。その人のおかげで、偶々、道を踏み外さずに済んだと言うことはなかったか。しかし今、丁度、戦争をしている国同士に対して、武器を提供しよう、お金を、兵隊を、弾薬を与えよう、という声はあるかもしれないが、「憐み、嘆き、慈しみ」の心をもって、争いの間に入って、双方にことばを静かに語ろう、という働きは生まれてこない。「主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれた」の如くに。だから神は告げる、20節「主は贖うものとして、シオンに来られる」、神は、あなたを執り成す者として、かばい、あやまり、怒りをなだめる方として、救い主をこの世に送られる、というのである。

最初に話題にした「東京タワーの照明」の話はこう続く、「照明デザインの分野を自力で切り開いてきた石井さんは、自分の五感や直感を信じることが未来を照らす光になるという。その言葉は困難な状況に陥った時、暗闇を照らす1本のろうそくになれるかを問いかけているようだ。自分を信じる力を忘れなければ未来はそんなに暗くない」。

なぜヴィヘルン牧師は、子どもたちのためにアドヴェント・クランツという趣向を凝らしたのか。やはりそこは「孤児院」なのである。同じ境遇の子どもたちがいる、そして世話をしてくれる大人たちは確かにいる。贅沢はできないにしても、温かいご飯を食べ、安心して眠る場所、居場所を与えられている。しかし、子どもたちの心には、大きな傷がある。自分たちは捨てられた、あるいは一人きりで後に残された、孤独だ、このような傷をどうしたら解きほぐすことができるのか、成程、最初、一つだけの小さな光が、クリスマスを迎えるころには、たくさんの明るく大きな光となって輝くのである。暗い季節、寄る辺ない子どもたちの心にも、希望の光が吹き込まれたことであろう。

主イエスは幼児として、飼い葉桶の中に誕生される。赤ん坊は、親や周りの人、誰かの腕に抱かれて、生命を支えられ、養われ、成長し、さらに自分の手で誰かを抱く者となる。全ての人が、間に立つ者となるように、この幼児はその小さな身体をもって、証している。