「炎のような舌が」使徒言行2章1~10節

「弁当箱」「三輪車」「学生服」「時計」、これらのものは皆さん方のお宅にも、ごく普通にあるものだろう。子どもたちのいる家庭なら、珍しくもない日用品である。平穏で安心の満ちている日常生活のしるし、とも言うべき道具類である。ところがそれらがみな焼け焦げ、ひしゃげ、ねじ曲がり、異様な姿かたちとなっていることで、尋常な事態ではないことが知れる。これらはヒロシマの原爆資料館内に収められている展示物の一部である。ご覧になられた方も多いだろう。

先ごろ、こうした原爆の出来事を証しする縁となる展示物を、自分の目で実際に見たであろう世界の高位高官の方々が、その感想を語る肉声が紹介された。ある国の首相が語った言葉がとりわけ印象的に響いた「シェークスピアは語っている『悲しみに言葉を与えよ(悲しみを言葉に言い表せ)』。しかし、原爆の爆発の閃光の中で、今なお言葉は失われたままである。ヒロシマとナガサキの人々の悲しみと受難を、言い尽くすことはできない。しかし私たちの心と魂のすべてを込めて、言い得ることは、繰り返してはならない、ということだ」。沙翁を生んだ国の首相だけのことはある。「語り尽くすことはできない、言葉にできない」とは言うものの、だからといって「言葉にしなければ」、とりわけ「悲しみや受難」というものを、いつか消え去って無くなってしまうだろう。「言葉に尽くせない」からこそ「弁当箱」「三輪車」「学生服」「時計」といった品々が必要なのであるとも言えるだろう。それらの日用品が無言の内に語っている「日常」というものに、戦争と平和は深く関わり、影を落としているということを、思い起こすのである。「日常」はたやすく「非日常」となる。いつもその危うさの上に、私たちの生活は営まれている、とでもいうように。

今日はペンテコステ、聖霊降臨日である。最初の教会が生まれた誕生日、創立記念日である。「礼拝堂に赤いバラの花びらをまく」、「町中にラッパ(トランペット)の賑やかな音を響かせる」、「牡牛に美しい花輪を被せ、街を練り歩く」、この国の5月の風物誌のように、「家の軒先や屋根にしょうぶの葉を飾る」等、これらはヨーロッパで今も行われているペンテコステの祝いのための風習である。その習慣の源を探ると、古代の農耕儀礼の影響も色濃く反映しているのだが、そこに聖書、使徒言行録が今に伝える、ペンテコステに起ったとされる出来事の再現であることが了解される。2節「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。「激しい風」、「家中に響く音」、「炎のような舌」という風な異様な表現が使われて、その時の様子が説明されている。先ほど紹介したペンテコステの風物は、ここで起きたことを偲ぶために、形にして表そうとした象徴表現なのである。

これを記している著者、ルカも、この時の様子、初めて教会が誕生した時の様子を、分かりやすく何とか目に見えるように、視覚的に表現しようと工夫し、あれこれ描き方に苦労しているようである。もちろん、その出来事を生じさせた根源は、一言で言えば「聖霊」である。神の霊が働いて、教会が誕生しました、要はそういうことなのだが、それで済ましてしまえば、説明する方は簡単でいいのだが、それだけで、皆がなるほどと納得し、了解し、理解や共鳴ができるかと言えば、そうならない。ヒロシマ・ナガサキの悲劇も、原因は「莫大な核分裂エネルギーの放出です」と言って、それで話を終わりにしたら、それで済むかと言えば、それでは余りに舌足らずであろう。

厄介なことに、そもそも「聖霊」は目に見えないのである。そしてその働きも、直接それ自体では目に見えないものである。それを何とか具体的に、体感的に、直に伝えたい、そういう著者の強い思いが、この短い章句に満ちている、と言えるだろう。「(激しい)風の音」また「炎の舌」という表現自体、本来見えないものを何とか象徴的に語る表現方法の一種、と言っても良いだろう。それを補って語る事柄が、4節「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」ということである。

そもそも聖霊はどのような働きをもたらすのか、ここに2つの同じような動詞が記されている。「語る」また「話す」という行為である。これらは人間の生きる営みの中で、最も基本的な要素の一つであろう。いわゆる「コミュニケーション」である。ふつう「話す」こと「語る」ことでそれは行われる。そして、次節「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて」。そこに居合わせた大勢の人が、集まって来て、彼らの話している、語っている言葉を聞いた、というのである。誰かが語り、誰かが聞く、コミュニケーションの最も単純なかたちである。そして「聖霊」とは、まさに私たちが語り、話し、聞くところに、働く力だというのである。そんなことなら、普段、わたしたちが当たり前にしている事柄であって、「聖霊の働き」などと敢えてもったいぶってのたまう必要はないではないか、と言われる方もあろう。

こんな話を読んだ。「他人の気持ちを読み取ったり共感したりする際、脳の主に3カ所が働くことが分かっている。その活動を調べると良いコミュニケーションが取れている時は互いのデータは似たように揺らぐ。即(すなわ)ち“同期”するという。『脳トレ』で知られる川島隆太東北大教授は2020年、学生を2グループに分け、ある対話実験を行った。一方は直接顔を合わせて、一方はコロナ禍で普及したモニター越しのウェブ会議で。その結果、前者は全員の脳の同期が確認されたが、後者では一切生じなかった。結果を受け川島教授は、オンラインでは『情報は伝達できるが、感情は「共感」していない。つまり、相手と心がつながっていない』ということを意味すると説く(5月22日付「談話室」)」。

どうも「理解」とか「分かった」「なるほど」という「共感」は、ただ情報(言葉)を発信し、受け取るだけではだめらしいのである。「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの言葉で話しだした」。今日のテキストでは、「聖霊」が語らせる言葉が必要であり、それは「ほかの言葉(国々という用語はない)」なのである。聖霊は「ほかの言葉」を語らせる、ほかの言葉とは、どういう質のものなのか。「ほか」、今までと違う、これまでになかった、という意味合いであるが、ペンテコステ以前の弟子たちの様子を考えると、それがいったいどういうことなのか、見えてくるように思える。

この出来事の前に、弟子たちは復活の主との別れを味わっている。目に見える主は、山の頂きから天に上られて見えなくなったのである。喪失の体験であるが、それは語るべき言葉を喪失する体験でもあった。語るべき言葉を彼らは持たなかったのである。今までは主イエスが自分たちの真ん中におられて、そこに直接にみ言葉を聞くことができた。その主が今は自分たちから離れて、目から消え失せた。やはり弟子たちは落胆したであろうし、途方に暮れたことだろう。皆が一同に集まってはいても、何も展望が見いだせない、これからどうなるのか皆目見当がつかない中で、ただ押し黙るしかなかったのではないか。語るべき言葉を見出せない、言葉が失われた、それが弟子たちの抱える現実なのである。核兵器の脅迫を前にした私たちのように。

そして聖霊は実にそこに働く。「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの言葉で話しだした」。そこで語り出された言葉はどのように働くのか。「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」。聖霊の語らせる言葉は、「自分の故郷の言葉となって、聞く者の耳に届くのである」。「故郷の言葉」と聞いて、皆さんは何を思い起すだろうか。お国言葉、方言の類か、あるいは父母の語ってくれた言葉か、あるいは仲よく遊んだ幼馴染の言葉か、はたまた悲しみに打ちひしがれている時に、ふとかけられた誰かからの慰めの言葉か、または昔ならい覚えた聖書のみ言葉か、皆さんはどんな懐かしい言葉を思い起すだろうか。そういう言葉を今も心に宿している人は幸いであろう。そして聖霊はそのような言葉で、私たちに神の言葉を届けるのである。

焼け焦げた三輪車は、それに乗って遊んでいた3歳の子どもの亡骸と共に、庭に埋められたという。そして半世紀後に掘りおこされて、今、資料館に展示されている。私もかつて幼い時、その子のように三輪車に乗って、笑い声を上げ、楽しく遊んでいたのではないか。その時のことばを、思い起こすことができるなら、聖霊の語らせる言葉を、故郷の言葉として聞くことができるだろう。

聖霊は今も、主イエスの言葉を、吹く風、生命の風に乗せて、私たちのところに運んでくる。私たちにとって、最も懐かしい、故郷の言葉は、主イエスの言葉をおいて他にはない。それを洗礼の時に、確かに聞いたではないか。そして今も新しく聞くのである。