「お金、家族、健康、仕事」どれも大切であるが、どれかひとつ、あなたにとって最も大切なものを選べと言われたら、どれを選ぶか。少し以前に、ある大学の社会学研究室が、世界各国民の価値観を調査する際に用いた質問項目である。この国の人々が圧倒的に選んだものは何か、「健康」だった。「命あっての物種」という訳である。この国の人間は、「健康教」ともいうべき信条を告白しているというのである。
それでは「健康」であるとはどういうことか。ある程度、年齢を重ねれば、病気とは無縁な人間はいないということが分かる。誰も何らかの病気を抱えている。もっとも軽微なものから重大なものまであるから、十把一絡げ、皆同じ、とは言えないが。だから近頃は「無病息災」ではなく「一病息災」という考え方も語られる。病気があることで、かえって健康に留意して、気を付けて生きるようになるから、恩みなのだと。
「健康」について、WHO(世界保健機構)は、その「憲章」の中で次のような文言を記している。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(良い状態)にあることをいう」。
この定義によれば、「健康」とは、人間をとりまくあらゆる状況で、健やかで安心安全な生活を送れることとして理解されている。つまり「病気」とは、病者、病院や医療だけの問題でなく、人間が生きること全ての領域に関わるものである。病気になれば、本人だけでなく周りの人間も巻き込まれ、心配する人、迷惑がる人、無関係ではなくなる。学業や仕事にも支障が出るし、収入も左右される。さらに医療費の問題は、健康保険を巡る社会問題でもある。
この憲章の健康定義について、1998年に新しい提案がなされたことがある。この憲章の文言に、二つの言葉が付加されるべき、という提案である。それは「ダイナミック(生き生きとした)」そして「スピリチュアル(霊的、魂の)」という言葉である。「健康とは総じて肉体、精神的、霊的、そして社会的な健やかさが、生き生きと良い状態にあることを意味する」。「霊的な健やかさ」「魂の健やかさ」「信仰的な健やかさ」、やはり「カルト」の問題が大きく社会を揺るがした時代なのである。
さてヨハネ福音書からまた読んでいこう。「ベトザタの池」での出来事である。記述の様子から、どうもこの池は間欠泉か鉱泉であったようだ。古代ローマ人や日本人なら、ここにさっそく保養所を作って、大いに入浴を楽しんだことであろう。「ベトザタ温泉郷」として発展したかもしれない。残念ながらユダヤ人は温泉にはまったく関心がなかったようだ。但し、温泉の効能は、ある程度知られていたのだと思われる。大勢の病人がここに連れられてきて、回廊に横たわっていたらしい。「水の動く時、わたしを池に入れてくれる人がいない」という言葉が語られることから、温泉がわき出す時に、湯につかると癒しの効果があることが、示唆されている。
ここに38年もの間、病気で苦しんでいる人がいたという。この時代では大体40歳で孫が生まれるから、所謂「隠居」の身になる。その38年間であるから、ほぼ一生、病と共にあった、ということである。そしてベトザタに来てから、既に何年も何十年も経っているのだろう。近親縁者、介助や支援する人も、滅多にいない境遇となっているのだろう。、この人に、主イエスは声を掛ける。「イエスは、その人を見、また長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた」。
病気の人が、主イエスが来られると聞いて、自らみ前に出て行って、癒しを求める、治癒を願う、という記事が福音書に記される。信仰の一つの典型である。自ら求めることなくしては、与えられない。人生には自ら決断しなくては、歩みださなくては、何も始まらない、というものがある。しかしベトザタの人は、もはや体力も、気力も、希望も、祈りも、何もかも失っているように見える。「水の動く時、わたしを池に入れてくれる人がいない。他の人は降りて行くのに」。この人に、主イエスの方から、声を掛けられるのだ。主イエスは、無視しているのでも知らないのでも、気づかないのでもない。私たちの病を、嘆きを、あきらめを、そして必要を、ご存じなのである。
「良くなりたいか」、主イエスは「良くなりたいか」と言われる。この問いを聞いて「当たり前ではないか、誰も病気になったら、治りたいと思うにきまっている」と考える人は、病気の本当の問題を知らないのである。ここで使われている言葉は、身体の健康さを指す言葉である。健康になりたいか、ということだ。ある聖書学者がこんな文章を書いている。
「健康になりたいか、主イエスはそう問われる。当たり前である。しかしよく考えなければならない。この男が治ったらどうなるのだろうか。五体満足になったら、どのように生活をしていくのだろうか。この男はおそらくベトザタの池で、人々の施しを受けながら生活をしていたと思われる。しかし癒されたらどうなるか。五体満足な人に、誰が食べ物を恵むのだろうか。しかもこの人は三十八年もこのような生活をしていたのである。これから仕事に就くにしても、職業的な訓練を受けていなかったこの男はいったいどうなるのだろうか」。
現代社会を直に読み込み過ぎているきらいはあるが、やはり主イエスの言葉に対して冷静に、現実的に読もうとする鋭い目を感じさせられる。この男はベトザタの池という小さな社会、しかし水が動く時には我勝ちに先に入ろうとする、そして手助けしていくれる人もいない、いわば競争社会の中で、数十年生きて来たのである。癒されて健康な身体になった、そのときには、もうベトザタの池を離れることになる。そして今度は世間というもっと大きな競争社会の中に身を置かなければならないのである。
「治りたいのか」という主イエスの問いかけに、真っすぐ答えず、はぐらかすように、「水の中に入れてくれる人がいません」、と答えるこの人の心の底に、何があるのか、皆さんはどう読み取るか。無意識の内に、心の奥底にあった、本人すらも気付いていない本当の願いは、いったい何だったのだろうか。
健康になる、それは昔も今も大事なことだ。こんなにも医学医療が発達しても、まだ足りない、さらにさらに、と進歩を極めている。しかし健康を取り戻して、この人は何をするのだろうか。この人は本当の願いを分かっていなかった。それは私たちも同じであろう。
病気であることはつらいことだ。心と身体に痛みが襲う。死への不安がよぎる、治るのだろうかと悩む。今もなお人生の大きな試練であるが、病気が治ったら、すべて人生の問題は解決するのではない。いやまた人生の問題が、新しく始まるのである。「良くなりたいか、治ってどうするのか」、主イエスのこの問いは、私たちの人生の根本を揺さぶるのである。
もう10年以上前になるが、東村山市にある国立療養所「多摩全生園」を訪れ、そこで生活されている十数人の方々と交流を持った。大きな木々の林の中に療養所は建っており、ここの塀の中だけ、昔の武蔵野が、時を止めて、そっくりそのまま残されているという風情である。そこにおられる方は皆、若い時に発病し、60年以上もここで暮らされている人ばかりである。とはいえハンセン病自体は治癒している。入所者の平均年齢も80歳を超えていると聞いた。
そこで長く自治会長として、皆のお世話をされている平沢さんに出会い話を伺った。この方は十三歳だった一九四〇年にハンセン病と診断され、翌年に多磨全生園に入所した。戦後は入所者自治会の再建に取り組み、会長や副会長を歴任。障害者の権利を守る運動にも尽力されてきた。ハンセン病への差別や偏見をなくそうと、八〇年代後半から国内外で自身の経験を語るようになった。二十七年前から続ける小中学生向けの講演では、三つの約束をしてほしいと生徒に語りかけるという。「夢と希望を持つこと」「ありがとうと言える人になること」「命を粗末にしないこと」。これらは皆、氏の病気のただ中から生まれてきた言葉である。自身が、病気によって「夢と希望」を絶たれ、周囲からの差別や偏見により「感謝」できず、自暴自棄になって「命」を粗末にしようとしたのである。さらにこう言われた。「自分はここでは一番若手である。自分がここにいるのは、今ここで暮らす人々の最期を看取るためだと考えている。皆を看取るためにここにおり、今、生かされている」。
「良くなりたいか、良くなってどうするのか」、と主イエスは問われる。人は病気に苦しむ。しかし病気もまた、人間が生きることの一つの姿である。そこに主イエスが声を掛けて下さる。病気の時だからこそ、却って主イエスの声が、はっきり聞こえるのである。主イエスの声からすべてが始まるのだ。