祝イースター、この日に因むこういう話がある。南米チリの沖合に、イースター島という孤島がある。海辺にモアイの巨像が立ち並ぶ風景で知られる。オランダの軍人、ヤーコプ・ロッヘフェーンが1722年の復活祭(イースター)の日に島を発見した事から、こう名付けられた場所であるが、但し、彼が発見する以前から島はそこにあるわけで、元々は“ラパヌイ(広い大地)”と呼ばれてきたという。
そこでクイズをひとつ。旅をするのに、この島から始めるのが良いという、どうしてか。答え「イースター島だから、いいスタートをすることができる」。復活祭は、春の訪れを喜び祝う時でもあるが、こういうお寒いジョークでは、また冬に逆戻りの感がある。教会にとっても、復活祭、イースターは、いいスタートの時である。そもそも教会は、ここから生まれ、歩み始めたと言えるからである。毎年、イースターの度に、私たちはその初めの出来事を福音書から読み、心に思い起こすことから始めるのである。
この受難節にも、公私にわたり、さまざまな方々の訃報が伝えられた。時代の変化を感じるひとこまであろう。去る今年3月3日、ノーベル賞作家の大江健三郎氏の訃報が伝えられ、多くの報道機関がこぞって、追悼記事を載せた。その中でこういう文章『死者の声を聞く』を目にした。「初めてインタビューしたのは2005年12月。取材前は不安ではち切れそうだった。大江さんをよく知る編集者に助言を請うと、『必ずジョークを言うので、笑ってくださいね』。でも大江さんは親切だった。何度かジョークが繰り出され、ちゃんとおかしかったので声を上げて笑った。取材では、エリオットやオーデンといった詩人、トーマス・マンやフォークナーといった作家の名前が次々に出た。もっと近しい人たちの名前も口にした。恩師でフランス文学者の渡辺一夫(わたなべかずお)、古くからの友人で義兄でもある映画監督の伊丹十三(いたみじゅうぞう)、作曲家の武満徹たけ(みつとおる)、思想家のエドワード・サイード…。『僕は死んでしまった友人たちのことを書きたいんです。でも回想録や私小説のように書くつもりはない。僕自身がリアリティーを感じられるようになるまで書き直していくんです』。死者のことを考え、その声を聞く。それが創作の根幹にあった」(3月27日付「雷鳴抄」)。大江氏にとって、自分の文学とは「(親しかった)死者の声を聞いて、自分自身がリアリティを感じられるようになるまで書く、書き直す」作業だというのである。これはどこか福音書記者たちの思いでもあるかのように感じられる。
さて、今日の聖書個所は、復活の出来事の最初の伝承を伝えるものである。4つの福音書どれにも共通する要素が認められる。最初の復活の証人は、女性たちであった。彼女たちは、主イエスの遺体を収めた墓が、「空」だったことを知る。そして驚いて墓から帰った女性たちが、使徒たちにこの出来事の次第を伝える。これが復活伝承の「核」となっている事柄である。しかしそれぞれの福音書に記される復活の物語は、他の記事にまさって多様な描き方がされている。それは大江氏の言うように「僕は死んでしまった友人たちのことを書きたいんです。でも回想録や私小説のように書くつもりはない。僕自身がリアリティーを感じられるようになるまで書き直していくんです」と軸をひとつにしているのではないか。
「週の初めの日(日曜日)の明け方早く、女たちが準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった」。復活伝承の核になる記事であるが、それに続けてこの福音書記者は、自分の心の内を、吐露する、他の福音書にはない言葉を付加する。「そのため途方に暮れていると」、復活の出来事を前にして、女たちが直面した次第が「途方に暮れる」様子だったとルカは主張するのだが、これは復活の出来事に対する著者自身の直截な思いの丈が、込められている表現であろう。すぐ後に、墓から戻った女たちから「墓が空であった」ことを告げられた使徒たちはこのように反応したという、11節「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」。これもまたルカ特有のコメントであるが、彼自身の率直な心中の表明でもあるだろう。「たわ言のよう」。だから彼は「僕自身がリアリティーを感じられるようになるまで書き直していくんです」とばかり、復活の物語をさらに先に先に書き進めてゆくのである。「使徒言行録」という形によって。
「途方に暮れる」という言葉を聞いて、皆さんは、どんな状況、情景を思い浮かべるだろうか。「どうにもならない、どうにもできない、お手上げだ」という時に使う言い方だが、元のギリシャ語では、「戦う、争う」という用語に、「通して、共に」という前置詞が付けられている。「どうにもできないで、立ち往生し手をこまねいている」、というよりは「右往左往しながら、どうしたものかと算段し、堂々巡りしている」様子を表していると言えるだろう。ルカ自身も、自分の内側で、どれほど「途方に暮れた」ことだろうか。
ヘレニズム世界の一流の知識人であり、福音書を書けるほどの歴史的、文学的才能があった著者、ルカである。主イエスの生涯を、他の福音書記者よりもなお、自分の目と手で綿密に、精緻に調べ上げて、文章を紡いで行っただろう。その生涯の結末が、十字架の死、そして墓への埋葬で終わるなら、「ひとりの人間の一生」ということで、話は簡単であったろう。しかし、物語は「死」で終わりにはならなかったのである。「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れている」のは、女たちばかりか、福音書を記している著者、本人なのである。そして、この著者は、ここからまた主イエスの働きの先、続きを書き始めることになるのである。主イエスの死によって、「途方に暮れている」者たちの姿が描かれ、福音書はこれで閉じられると思いきや、ここから新しく物語が始まる。それこそがルカの伝えたいところなのである。
はじめにこの3月に召天された小説家のことを話題にした。大江健三郎講演集『人生のハビット』の中に「信仰を持たない者の祈り」と題される一編がある。あるキリスト教学校で語られた講演である。そこでこう語られる。「言葉をまったく話さず、母親の話しかけにも決して反応しない子供が、なぜか鳥の声のレコードだけには反応する。それで、鳥のレコードを朝から晩までかけつづけることになった。そうして、彼が6歳になったある夏の日のこと、高原の別荘にいき、朝、息子を肩車して、外を歩いていると、クイナがとんとーん、と鳴いた。すると、頭の上で、クイナです、と言う声がした。幻聴だと思った。しかし、もしかして息子がしゃべったのかもしれない。だとすれば、もう一度、クイナの声がして、そして息子の声がすれば、息子が人間の言葉を話しはじめるかもしれない。幻聴かと思ったが、鳥がもう一度啼いたらいいと思った。『そのときどうしたかというと、私は祈っていたわけなんです。(原文改行)私は無信仰の者なんです。カトリックを信じない。プロテスタントも信じませんし、仏教も信じない。神道も信じていない。信じることができない。だけども祈っていた。祈ったというよりも、集中していたというほうが正しいかもしれませんけど。目の前に一本の木がありましてね。〔……〕いま自分がこの木を見て集中している、ほかのことを考えないでコンセントレートしている。このいまの一刻が、自分の人生でいちばん大切な時かもしれないぞ、と思っていたんです。』もう一度クイナが啼いた。長男がクイナ、ですと言った。感動的な体験であった」。これを氏は「エピファニー」と呼ぶのである。「エピファニー」「顕現」、主イエスが皆の前に、ご自身のまことを顕わされたこと。すべての人の前に、信じる人も信じない人も、良い人も悪い人も、善人も悪人にもすべて、神は、主イエスは自らを開示なされる。いろいろな働きを用いて。その時、私たちは、神がいますことを知って、大いに驚き怖れるのである。
皆さんも「途方に暮れる」体験をされたことがきっとあるだろう。その内容、事柄はそれぞれであろうが、それより先にはもう歩めない、と思われるような経験をする。かの小説家も、それで為すすべなく、言葉をしゃべれない子供のために、「鳥の声」のレコードを聴かせる。そして、思いがけない時に、突然、舌がほどけるように言葉が回復される。
墓に行った女たちもまた、空虚な墓を前に「途方に暮れた」。しかしそこに、み言葉が告げられる。「輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。』婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた」。すべてここから始まるのである。人間の「途方に暮れる」ところにみ言葉を告げ、出来事をもたらされる神の働きがある。「エピファニー」、私たちは「死」で「墓」で終わりを迎えるが、神は「死」から新しいことを始められる。「途方に暮れる」ところに神は働き、そのみわざを現されるのである。生きることはまさにそれを知らされる歩み、「途方に暮れて」、光を見るのである。