祈祷会・聖書の学び イザヤ書25章1~10節

茨木のり子氏の詩に『さくら』と題された作品がある(1992年作)。「ことしも生きて/

さくらを見ています/ひとは生涯に/何回ぐらいさくらをみるのかしら/ものごころつくのが十歳ぐらいなら/どんなに多くても七十回ぐらい/三十回 四十回のひともざら/なんという少なさだろう」。

なるほど、満開の桜が咲くのは、年に一度、だから詩人が詠うように、人が一生の間、桜の花の咲き誇るの見ることができるのは、どんなに長く生きても、百回に満たない。「なんという少なさだろう」、それをしかと捉える感性を持つ者が、詩人、言葉の人なのか、と感じさせられるような作品である。しかしそうではない平凡な人間は、生命の厳粛さを当たり前にしか受け止めきれないから、せわしく生きる多忙さの中でも、年に一度の桜が咲けば、花に誘われ、満開の樹の下で、親しい輩とひと時の宴を開くという塩梅になるのだろう。但しそこはそれ、「花より団子」、あるいは「酒なくて何の己が桜かな」の風情となるのだが。

今日の聖書個所、イザヤ書25章前半は、後代、主イエスの復活の預言として教会で読まれてきたテキストである。初代教会の集った人々は、主イエスの生涯に起った一連の出来事ついて、いろいろ思索を巡らしたが、その手助けになったものは、やはりユダヤ人の聖書、即ち「旧約聖書」だったのである。特にこの章の6節以下には、新約との符合が感じられる記述が、幾つも見出せるであろう。8節にある「主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい」というみ言葉は、そのままヨハネの黙示録21章4節に引用されている。

また、神が「良い(脂肪に富む)肉」と「古い(芳醇な、高価な)酒」を」もって、「祝宴」を開かれる、という記述は、主イエスの語られた「大宴会の譬」を彷彿とさせる。さらに7節「顔を包んでいた布」とは、十字架上で息絶えた主が、亜麻布を巻かれて墓に葬られたこと、さらに復活の朝、墓の中に入った弟子たちが、ただ空虚な墓の中に発見した、丸められて打ち捨てられていたという「顔を覆っていた布」をも思い起こさせる。さらそれは、主イエスが十字架上で亡くなられた時、神殿の幕、即ち至聖所を隔てる幕が真っ二つに裂けたことをも暗示させるであろうし、そして8節「死を永久に滅ぼしてくださる」というみ言葉は、正に復活を告げているではないか、と読者に感じさせる。

このみ言葉を語った預言者イザヤは、ユダの王ウジヤ(前801年~前733年)の死んだ年に召命を受けたと伝えられている。すると紀元前740年頃には、祭司として職に服していたことであろう。聖書の国は南北に分裂してこのかた、二世紀を経ようかという時代である。その頃までは、北のイスラエル王国も南のユダ王国も、周辺国家の干渉をそれ程受けることなく、概して平穏な時代が続いていた。しかし国家の繁栄とは裏腹に、否それだからこそ、人々の心はゆるみ、贅沢となり、結果としてとりわけ為政者の心は信仰から遠ざかり、外面的には豊かであっても、内面的には非常な危機をはらんでいたと言えるだろう。アモス以来の預言者たちは、それに厳しい警告を発したのだが、高慢な統治者たちの心にそれは届かなかった。

ところがイザヤの活動期、紀元前8世紀の中頃には、イスラエルの南北両王国は、オリエント一体を侵略するアッシリア帝国に脅威にさらされるようになり、パレスチナは、北のアッシリアと南のエジプトの二大帝国に挟まれ、受難の時代を迎えるのである。アッシリアは、パレスチナ諸国の大部分を侵略し、これらの地域に住む民の入れ替えを行うことにより、反乱を防止し、人々は捕囚として他の国々に連れ去るという政策を行った。北王国イスラエルはシリアと同盟し、この圧迫に対抗しようとしたが、BC722年のサマリア陥落によって、エフライムの民は捕囚にされて来たイスラエル王国は滅亡するのである。

イザヤは元々神殿に仕える祭司であり、今でいうところの高級官僚エリートである。今日のテキストの前後には、彼が神殿祭儀の中で語ったと思しき「諸外国預言」が配置され、その預言が再構成されていると考えられる。エレサレム神殿の祭儀において、預言者がどのような機能を果たしていたのかは、詳細は不明であるが、神の託宣を告げる重要な役割を担っていただろう。古代において「言葉」、しかも「託宣」は神の力の発露であるから、それ自体が「出来事」となって働くと信じられていた。ユダを取り巻く周辺諸国からの圧力に抗する手段として、「託宣」が機能していた訳である。イザヤもそれに倣って、敵対する諸外国、特にアッシリア、エジプトの侵攻に対する神の裁きを語っている。

今日の聖書個所は、「諸外国預言」に挟まるように記されている自国への、エルサレムへのヴィジョンが語られるテキストである。6節に「この山」という表現が出て来るが、これは通常「エルサレム」を指すとされる。実にその都は海抜900m程の高台にある。そもそもイスラエルで「山」とは、神の住まいであり、そこで神はモーセを始め、イスラエルの人々に出会われ、さらにそこでこそ神の賜物である「律法」が、授与されたのである。その山において、神は「祝宴」を催され、「すべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒」を供されという何と喜ばしいことか。さらに「主はこの山で/すべての民の顔を包んでいた布と/すべての国を覆っていた布を滅ぼし/死を永久に滅ぼしてくださる」のだという。神の開かれる盛大な宴会では、すべての民の顔を包んでいた布がはぎ取られ、すべての国を覆う布が取り去られる。顔を布で隠す、とはよく言えば、「謙遜な態度」であり、悪く言えば「正体を隠す」ことである。しかし神の祝宴では、遠慮も忖度も不要な「無礼講」なのである。顔覆いなど隔ては全く必要でなく、家族のように、旧知の間柄のように、直に神と人とが顔と顔とを合わせて、ともにいて、飲み食いをすることができるのである。

このイザヤのヴィジョンをどう理解するかは議論のある所だが、2節「あなたは都を石塚とし/城壁のある町を瓦礫の山とし」という発言から、終末論的に理解するべきであろう。つまりこの預言者は、自国の、エルサレムの都の将来の運命を、冷静に洞察しているということである。主イエスは人々に「神の盛大な祝宴」の譬を語られた。それは「脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒」が供され「すべての顔から涙をぬぐい」という宴だという。しかも通りがかりの者すべてが招かれるのだという。この祝宴を、主イエスはまさに私たちのもとに繰り広げられるのである。