「ハイキング」と「ピクニック」の違いは何か、という質問がある。どちらも野山など野外に出かけて散策する行為なのだが、「ピクニック」には、必ず「野外での食事」が付帯する。そもそも英語の「picnic」は「野外での食事」という意味で、「食事をすること」が主なる目的なのだと言われる。
それはヨーロッパ貴族の遊びが起源とされており、 貴族仲間、召使い、猟犬など大勢で狩りに出かけて、そのまま外で食事をするのが、彼らの嗜みであった。その貴族文化がやがて大衆にも広がると、気晴らしに屋外へ出かけて、軽食を食べる形に変化したのである。 貴族は、給仕人が食器やテーブルまで用意して本格的な料理を作り、食事を楽しんだが、一般人はもっと簡素に、弁当を持参して、野外で食事を楽しむイベントとして定着したのである。 この国では、「弁当付き野遊び」のイメージだが海外では庭でのバーベキューもピクニックと言うそうである。なおバーべキューも、この国では、参加した皆がグリルを囲んで、わいわい言いながら、焼いて食べて楽しむものだが、海外では、ホスト(招いた人)だけが肉を焼いて、皆に配り、ただそれを食べるだけ、という塩梅である。
今日の聖書個所、イザヤ書25章は、主イエスの復活の預言として読まれてきたテキストである。特に6節以下は、新約との符合が感じられる記述が、幾つも見出せるであろう。8節にある「主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい」というみ言葉は、そのままヨハネの黙示録21章4節に引用されている。
確かに、神が「良い(霜降りの)肉」と「古い(芳醇な、高価な)酒」を」もって、「祝宴」を開かれる、という記述は、「主の晩餐」を彷彿とさせる。また「顔を包んでいた布」とは、十字架上で息絶えた主が、亜麻布を巻かれて墓に葬られたこと、さらに復活の朝、墓の中に入った弟子たちが、ただ空虚な墓の中に発見した、丸められて打ち捨てられている亜麻布を思い起こさせる。また「覆っていた布」は、主イエスが死なれた時、神殿の幕が真っ二つに裂けたことをも暗示させる。そして8節「死を永久に滅ぼしてくださる」というみ言葉は、正に復活を告げているではないか、と読者に感じさせるといえるだろう。
しかし、旧約のコンテキストから見れば、この一連の言葉は、「荒れ野伝承」を強く意識したものであると考えることができるだろう。かつてイスラエルの人々は、エジプトで奴隷であった。奴隷であることの苦しみ、叫び、呻きを神は聞かれ、モーセが彼らの下に遣わされる。モーセはファラオと対決し、艱難辛苦の末に、イスラエルの人々をエジプトから導き出すことに成功する。しかし、すぐその後、約束の地、「乳と蜜の流れる地」に入り、そこで生活できたのではない。約束の地に入るまで、40年もの間、荒れ野をさまよったと伝えられている。
40年に及ぶ荒れ野での生活において、イスラエルの人々は「天幕(テント)」生活、即ちキャンプ生活を送ったのである。荒れ野をあちらこちら経巡る旅をし、あてどもなくさまよっているような生活である。安住の地を持たず、衣食住のすべてを、荒れ野で送るのである。いわばピクニック生活であるが、それが40年にも及ぶのだから、半端ではない。
なぜ「40年」なのか。古代において、40年とは、生まれたばかりの赤ん坊が、となり、親となり、さらに祖父母となる年月である。3つの世代が交代する経過時間であると言える。やはり物事が本物になるまでには、三世代の時が必要となるという事である。荒れ野の時代、イスラエルは神に対して、「頑な」であったと評されている。しかしその「頑なさ」こそイスラエルらしさでもあった。古いものを受け継ぎ、しかも新しいものに変化をするのに、40年という年月は、長すぎず身近過ぎずという事なのだろう。
6節で「この山」という表現が出て来るが、これは通常「エルサレム」を指していると思われる。実にその都は海抜900m程の高台にある。しかし同時に、「山」は神の住まいであり、そこで神はモーセを始め、イスラエルの人々に出会われるのである。神の賜物である「律法」は、イスラエルが山麓にあるときに、授与されたのである。荒れ野は、一面、不毛な場所であるが、他面、神の恵みに満ちた場所だったのである。
そこで40年、過ごす中で、「あなたがたの服は古びず、あなたの足が腫れることもなかった」(申命記 29章4節)と伝えられる。神の賜物は、イスラエルの人々にとって、至れり尽くせりだった。今日の個所でも、そのことが「祝宴」という形で記される。「脂肪に富む良い肉と古いえり抜きの酒」が、荒れ野でのキャンプ、ピクニックでふるまわれるというのである。何と豪勢なことではないか。
このような神の開かれる盛大な宴会では、すべての民の顔を包んでいた布がはぎ取られ、すべての国を覆う布が取り去られるという。顔を布で隠す、とはよく言えば、「謙遜な態度」であり、悪く言えば「正体を隠す」ことである。山の上で神と出会い、地上に降りてきたときにモーセの顔は、神の栄光を受けて、光り輝いていた、という。それを真っ向から見るのを憚って、人々は彼の顔に布をかけて、神の栄光を隠したという。それは遠慮でもあり忖度でもあった。
しかし神のピクニックでは、遠慮も忖度も不要な「無礼講」なのである。顔覆いなど隔ては全く必要でなく、家族のように、旧知の間柄のように、直に神と人とが顔と顔とを合わせて、ともにいて、飲み食いをすることができるのである。主イエスの「大な晩餐会」の譬では、かねてから招かれていた人々は、誰一人集うことができず、そこに招かれたのは、通りがかりの人、貧しい人、身体の不自由な人たちであったという。
神の子、主イエスが人となり、この世に宿り、一人の人として生き十字架に付けられ、死んでよみがえられた出来事は、まさにすべての人から、隔ての覆いを取り除かれるみわざの表れであった。人の一生は、住む家があり、生計があり、共なる仲間や家族がいたとしても、永遠ではなく、いつかそこを後にして、出発しなければならないのである。その旅の終わりが、どのようであるかは、今は想像するしかないが、その悲しさ侘しさを知り、涙をぬぐってくださる方が確かにおられる。荒れ野の中でも「うまい肉と酒のふんだんに用意されたピクニックを開催してくださる方が、おられるのである。だから、旅の苦労もまた楽し、となるのではないだろうか。