祈祷会・聖書の学び サムエル記下20章1~7節

ここ数年のコロナの影響のもと、いわゆる「お家時間」をどう楽しむか、ということで、ひとりでできる手芸や楽器の練習が紹介された。それで、学生時代に手を伸ばしたギターに再びチャレンジしよう、という意気込みで、楽器を新たに買い求めた人の多いことが伝えられた。何事にも、ハードルはあるもので、ギターの場合、最初の障壁は、「F」コードである。人差し指を拡げて全部の弦を押さえる「セーハ」を習得できるか、ここが練習継続の分水嶺でもあった。

1960年代後半、この国にフォーク・ブームが起きる。そのきっかけとなったのは、年代半ばにアメリカから伝わったPPM(ピーター・ポール&マリー)やジョーン・バエズ、ブラザース・フォー、ボブ・ディラン、キングストン・トリオらのレコードであった。彼らがギターを奏でながら歌う姿にあこがれて、親からギターを買ってもらった思い出を持つ人も多いのではないか。若者の多くが、ギターのハードケースを手に、界隈を闊歩する姿が、町の風景としてしばしば映し出されたが、そのケースの中身に、肝心の楽器は入っておらず、週刊マンガ雑誌と衣類の入れ物と化している場合も多かった。即ち、ギターに「挫折」したのである。それでも後に、もう一度やってみようと思い返すのは、その時の体験が、空しく費えていないことの証でもあろう。

今日の聖書個所は、サムエル記の末尾近く、ダビデの「感謝の歌」に続く「最後の言葉」と題されたテキストである。「王位継承記」はこれで終わらず、さらに列王記へと前へ筆が進んで行くのだが、老境を迎え、神のドラマの舞台の後方に退こうとする主人公ダビデと、新たにその晴れの舞台の前面に登場しようとする新しい王ソロモン、二人の登場人物の間を繋ぐ間奏曲のような役割を果たしている。ダビデの生涯の掉尾にあたって、その生涯を装う諸伝承が挿入されているという体裁である。

この「ダビデ最後の言葉」と題されている詩は、彼の生涯回顧の心情が豊かに吐露されている作品として理解されるだろう。2節「主の霊はわたしのうちに語り/主の言葉はわたしの舌の上にある。イスラエルの神は語り/イスラエルの岩はわたしに告げられる」。かつて年若い日、士師サムエルから油注がれて、それ以後、主の霊が彼に激しく降るようになったと伝えられる。その通りに彼は終生、神の言葉と分かちがたく結ばれ、そのみ言葉によって歩み、生かされて来た。たとえサウル王の妬みを買い、その凶刃を避けて生命からがら逃げ惑う時にも、ひどい罪を犯して預言者ナタンから叱責され、主から厳しく問われた時も、年老いて体の不自由さをかこつ時にも、変わることはなかったのである。しかしそれは油注がれてメシアとされてからのことではなかった。

彼がまだ少年で、ベツレヘムの野に羊飼いの末っ子として暮らしていた時に、箏を奏で、歌を紡ぐのに巧みであったと伝えられる。そうした評判がサウル王の耳に届き、心病める王の、その心を慰めるべく宮廷に召し出されたのである。古代において「歌」とは、一握りの天賦の才能を持つ芸術家の嗜みではなく、万人のものであった。「冠婚葬祭」すべてにわたり、人間の営みの、いついかなる時にも「歌」なしには何事も為し得ないのである。即ち「生活」そのものが歌に支配され、それが歌の源泉でもあったのである。但し、歌を歌うのに巧みであったということは、神の恵みが豊かに注がれていたことの証でもあるとみなされた。

かつての職場の同僚で、文学研究者として、また歌人として働かれていた教師がいたが、運転免許を取得され、自家用車の運転をするようになった。何分、田舎のこと公共の交通機関も不便で、仕方なく運転しているという雰囲気であったが。その先生に、「車を運転するようになって、何か変わりましたか」と尋ねると、「歌が作れなくなった」と言われる。成程、歌人の感性とはそういうものかと感じさせられた。つまり、自分で歩いたり、誰かの運転する交通機関に乗せてもらったりするのではなく、自身で運転するとなると、常に注意を集中せねばならず、よそ見はできないのである。歌の題材は、生活のここかしこ、自分の生きる現場に沢山転がっているのである。ところが、運転は、そういうものに気を取られていたら危険で仕様がない、という訳である。「生活」と「歌」との緊密なつながりを語る逸話ではないだろうか。

「主の言葉はわたしの舌の上にある」という文言は、「一言語っておしまい」というのではなく、「何度も繰り返し、口ずさみ、反復して」、という風に、楽しく歌を歌っているさまを描写する表現であるだろう。同時に、人生に「歌」が途切れることなく、いつでもどんな時も絶えず歌い続けられる様子をも語る情景である。ダビデの生涯は、まさに年少の時から、歌と共にある人生であり、彼が歌と共に生きる人であり、神が共におられるとは、彼にとって「歌と共にある」ことの同義的意味合いであったとも言える。その「歌」から生まれてきたものは何だったか。一介の羊飼いの子であった彼の一生は、「歌」によってサウル王に見出され、「歌」によってヨナタンとむつび合い、「歌」によって王となるまでの人生が切り開かれて来た、と言える。しかしそうした人生の紆余曲折において、「歌」の果たした一番の働きを、彼は次のように歌うのである。

3節以下「神に従って人を治める者/神を畏れて治める者は/太陽の輝き出る朝の光/雲もない朝の光/雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光」と彼は朝の訪れの喜びを歌うが、世の闇に朝の光が差し出でる光景、そして雨季の雨降りしきる季節に、その雨が上がった後に若草が萌え出る風景は、彼の人生を比喩する心象風景に他ならないだろう。実際、彼ほど夜の闇に呻いた者はいなかったし、降りしきる雨の中に、身を小さくしながら雨の上がるのを待った人も居ない。どれほど闇は深くても、どれ程、夜の雨はひどくても、いつか朝は来る、いつか雨は上がるのを知らされて来たのが、彼の人生の歩みであった。そして「朝の光」「陽の光」をもたらすものは、自然の成り行きや時の経過ではなくて、実に「神の言葉」であり、彼の苦境や困難に「歌」として訪れ、それが「朝」をもたらすことを知らされたのである。その証が今日の詩の歌うところであろう。

「牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる」(伊藤左千夫)。羊飼いのことして生まれ育ったダビデもまた、この歌のように新しい歌に生かされて来た。それは生涯続いたのである