暦の上で、先週20日は「大寒」であった。言葉の通り、寒さがさらに厳しくなり、1年中で最も寒い時季である。小寒から立春までの30日間を寒の内といい、大寒はそのまん中にあたる。雪国では数年来の大雪に悩まされている声も聞こえる。確かに厳寒の時期であるが、ただ「寒い寒い」と言って、この時を過ごすのか、あるいは「厳寒」だからこそ、できることに取り組む、という過ごし方もあろう。
「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」。大寒を詠んだ一首、俵万智氏の歌である。歌人はこの歌とともに、子どもたちに大寒という言葉の説明をしている。「大きい寒さと書いて大寒。一年でもっとも寒い時期です。ここが寒さのピーク。春はそこまで来ています」。「春遠からじ」を教える歌ということだろう。さらにこの歌について一歩踏み込んだ解釈も添えている。「そばにだれかがいるって、うれしいね。キミの言葉をキャッチしてもらうっていうことは、キミの心をキャッチしてもらうっていうことなんだよ」。「寒さ」が単に気温の問題ではなくて、人間の心の問題であり、人と人との繋がりの問題であることを、教えるのである。「寒さ」はエアコンやストーブだけで解決できる問題ではない。そういう意味で今年の冬は例年になく厳しい。
ホセア書を取り上げる。この預言者は、イスラエルの北王国に生まれ、前8世紀半ばから北王国の滅亡までの時期に活動したと考えられている。この時期は、北王国にとって最も繁栄し、国力が増大した時代であるとともに、アッシリアによって無残にも壊滅させられた崩壊の時代でもあった。北王国は歴史の舞台から消失する、その根はどこにあるのか。なぜ滅亡していったのか、ホセアの預言のみ言葉には、象徴的にではあるが、その経緯が克明に伝えられている。
ホセア書を理解するために厄介な問題に、「ゴメル問題」がある。ホセア書1章から3章に渡り記される、預言者個人にもまつわる、聊か醜聞めいた話題をどう受け止めれば良いのだろうか。1 章 2 節に「行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。」と命じられる。そして3 節「ホセアはディブライムの娘ゴメルをめとった」。さらにゴメルは、一度ならずこの後も不倫を繰り返し、その都度、預言者は彼女を赦し、その子どもたちを受け入れる。ここに、預言者の実体験の反映をどう考えたらよいのか、そもそもゴメルとは何者なのか、これらが解釈者にとっての難問なのである。
1章から3章に続く一連の記述は、ホセア自身の言葉だけでなく、後代の付加も認められるので、ホセア自身が抱えていた問題を、具体的に理解するのは容易ではない。しかし、ここで語られている事柄の根本は、「イスラエルと神ヤーウェ」との関係についてであり、預言者とゴメルの関係もまた。この両者の関係の比喩として、「たとえ話」のように重ね合わせられていることに、間違いはない。イスラエルの背信、神ヤーウェとの関係の破綻とは、どういうことか。
一連の章句の中に「バアル」という用語が見える。「バアル」は「主人」を意味する用語だが、古代パレスチナでは土着の神々の中で、もっとも一般的に信仰されていた主神であった。豊穣をつかさどると信じられた農耕神であり、パレスチナの随所に聖所があり、縁日には農耕儀礼が営まれていた。これはイスラエル民族がパレスチナに定住するようになり、ヤーウェ宗教が導入されてからも、バアル宗教は併存し、農耕祭儀は続けられたのである。やはり農耕は土地に縛られるため保守的な思考を欲し、古からの信仰儀礼は慣習として、長く温存されるのである。さらにはヤーウェ宗教と土着の宗教が混淆した状態にまでに至った。
農耕祭儀は、豊穣を祈願する呪術が基本となるので、自然の繁殖力を増大させると見なされる様々な模倣的呪術が執り行われることとなる。神を祀る神殿では、そこに仕える巫女がバアル神の妃に比定され、娼婦としてふるまうことも、その呪術の一端だったわけである。だから農耕国家であったこの国でも、寺社町には必ず遊郭が付随する。だからホセアの妻、ゴメルは神殿に仕える巫女のひとりだったのではないか、と推測する学者もいる。
しかし土着の神々への習俗とヤーウェ宗教の混淆を、神ヤーウェへの背信として、裏切りとして強く批判したのが、預言者ホセアなのである。2章7節以下に語られる、背信のイスラエルの振る舞いや台詞は、実にリアルに不倫の渦中にある人間の心理を、巧みに描き出している。こういう個所の表現の巧みさから、預言者自身の実体験の反映を読み取ることも可能であろう。
「不倫」は関係のゆがみであり、関係の破綻である。そのような「ふたごころ」の志向は、どんなに巧みにバランスを取ろうとしても、いつか傾き、ほころびを生じ、憎悪を生み出して行くだろう。イスラエルは神ヤーウェの愛の下に養われ、成長し、自分の足で歩めるようになっていった。その生い立ちを彼らは忘れたのである。かつてエジプトで奴隷としれ悲惨の中にあった自分たちの涙を見て、呻きと嘆きの声を聴いてくれたのが誰であるかを、忘れたのである。繁栄と豊かさは、艶やかなものであるから、とかく人の目を引くが、生命の潤すまことの力がどこにあるのかを忘れた所では、生命は歪み、委縮する。
「寒いほど粘るんどすえ九条ねぎ(島田章平)」。数年前に、ある新聞社に寄せられた平和の俳句のひとつである。「九条」とは言外に「日本国憲法9条」を指している。ねぎは「寒さ」の中でこそ、美味しさの秘密である「粘り」を増して行く。「9条」もまたそのような生命を保っているのではないか。この国の悲惨を皆が味わうそのただ中で、生まれてきた「粘り」であるとも言える。
繁栄や豊かさの中で、北王国は神の民としての「粘り」を失っていった。艶やかな異教の文化、あるいは強大な軍事力に目を惑わされ、安易さや妥協に走ったのである。その結果、国は滅亡して行った。しかし神はイスラエルの厳寒の中で、神の民への「粘り」を増して行った。「わたしは彼女を地に蒔き/ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)を憐れみ/ロ・アンミ(わが民でない者)に向かって/『あなたはアンミ(わが民)』と言う。彼は、『わが神よ』とこたえる」(3章25節)。