キリスト誕生の際に、ベツレヘム周辺の嬰児をことごとく虐殺することを命じたとされるヘロデ大王、その家系は、歴史家のヨセフスの伝えるところ、誰が誰とがつながっているのか、反目しているのか、縦横に交錯し、実に複雑怪奇な形相を呈している。権力者の家柄とは、その力を巡って、常に駆け引きが演じられ、人間関係がややこしく込み入るものなのか。ヘロデ大王は、ユダヤ全土を支配する絶大な「王権」をローマ帝国から賦与されていたことは、彼の政治的手腕の巧みさ、ち密さを物語るものだろう。大王の死後、ユダヤは三分割されて3人の息子たち、アルケラオ、フィリポ、アンティパスに委ねられることになったが、彼らは「王」ではなく「領主」に留まったこともその証左である。
今日の個所で登場するヘロデは、大王の子のひとり、アンティパスのことで、主にガリラヤ地方からベレア地方の領主としてこれを統治した。後にカリグラ帝の時代に、妻ヘロディアの兄妹アグリッパの策略によって失脚し、領地のはく奪と、イスパニアあるいはガリアに流刑されたと伝えられている。福音書によれば、アンティパスは、他の兄弟の妻であったヘロディアを、その夫が存命中にもかかわらず妻にしたことが福音書に記されるが、これが洗礼者ヨハネの人生を、そしてアンティパス自身の運命にも、大きく左右することになる。
さて、そのヘロディアの連れ子、「サロメ」、福音書に登場する人物の中で、人々によくその名が知られているひとりであろう。但し、肝心の「サロメ」という名前はいずれの福音書にも記されていない。もっとも主イエスの十字架の死から三日目に、遺体に香料を塗るために墓に赴いた女たちの中に、サロメの名が伝えられているが(マルコ)、同一人物ではありえないだろう。では「サロメ」がどうして有名かと言えば、作家オスカー・ワイルドが新約の伝承を翻案して、1891年にフランス語で執筆され、1893年にパリで出版された戯曲、『サロメ』によって、人々の関心を引き出したからであり、1894年に出版された英訳版ではオーブリー・ビアズリーの挿画とも相まって、非常に話題を提供したのである。つまり、かの作家のイマジネーション、洗礼者と少女サロメとの間の確執、さらに主人公の歪んだ愛の形に、読者が非常に共鳴したからなのである。
福音書に記される物語は、ワイルドの作品のように、それ程劇的なものではない。伝承史的には、元々マルコの記述を基に、マタイ、ルカらが短く端折ったと跡付けられるだろう。マルコの描くところには、事件のディテールが緊迫して生き生きと描かれるが、他の福音書の記述は、やはり味気のないものとなっている。マタイ、ルカは、洗礼者ヨハネの死を、スキャンダラスなものとせずに、あえて控えめに淡々と記すことで、政治的な忖度を行っていると解釈することもできるだろう。もっとも、アンティパスの宴会で、その余興として招待客の前で見事な踊りを披露した少女は、母親の言葉に唯々諾々と従ったのであり、ワイルドの描くような小悪魔的な策略家とは到底言えないであろう。ヨハネの死を画策した黒幕は、実にその母ヘロディアであったことを、福音書ははっきりと記すのである。8節「娘は母に唆されて、『洗礼者ヨハネの首を盆に載せて』」。「サロメ」という名は、よく知られたヘブライ語「シャローム(平和)」と同じ語根を持っている。当時のユダヤにおいては、非常にありふれた名前であり、彼女もまたその一人であった。だから福音書が「娘」という呼び名で記しているのも、わざわざ固有名詞を呼ぶまでもない、と判断したからだろうし、ドラマの主役は、あくまでも「母親」であって、少女は「道化回し」に過ぎないという位置付けなのであろう。
今も昔も、権力者や支配者は、民衆からの批判の的にされる。何せ娯楽の乏しい時代のこと、自分たちの上に偉そうに君臨し、支配する統治者は、うわさ話の格好の種となる。仕事の合間に興じる無駄話で上級民の悪口を言うのも、いくばくかのガス抜きにはなるだろう。洗礼者は、そのような民衆の心をよく分かっていた。アンティパスとヘロディアの歪んだ関係を、「律法違反」という大義名分のもとに論うのであるが、民衆はそれを様々な憶測によって敷衍し、うわさ話を大きく膨らませてうっぷん晴らしをしたのであろう。
アンティパスの業績の中で興味深いのは、いわゆる「ガリラヤ湖」周辺に温泉が湧くことを発見すると、そこに皇帝ティベリウスの名を冠した一大リゾート地を建設するのである。但し「温泉」なるものにユダヤ人は関心がなかったし、その地は昔、埋葬地だった故に、なおさら彼らはそこを忌んだのである。だからその町は、多くの外国人が行き来するグローバル的な雰囲気を持っていたようだが、これもまた口さがない民衆にとっては、格好の悪口の種だったろう。主イエスも彼のことを「きつね」と呼ぶほどである。福音書はアンティパスをもっぱら宗教的な見地から評価を加えているが、歴史家のヨセフスは、著書『ユダヤ古代誌』の中で、「ヨハネの評判が良すぎて彼が人々を扇動するのを危惧した」とヨハネ殺害の動機を説明している。福音書もヨセフスも、結局、同じことの表裏を語っているのであろう。それだけ洗礼者の舌鋒は鋭くあったし、民衆はその言葉に心酔していたことは間違いない。そして古代においては、政治と宗教は表裏一体なのである。
民衆のうわさ話に右往左往し、その火消しに躍起になる領主アンティパスと妻ヘロディア、領主の方は、洗礼者を捕らえ獄に繋いで口封じを目論んだが、ヘロディアは役者が一枚上であった。夫の宴席上の失言の、言葉尻を捕らえて、娘を出しにして禍根の根を断とうとする行動に出たこの女の、決断力と肝の強さに、しばし驚かされる。権力とはこうして維持され、保持されるものであるのか。邪魔者を人の目から遠ざけ、獄に繋ぎ、時を見計らって無きものとする、これはこの世の権力者の常套手段である。しかし聖書は冷静にに、そのような力を弄ぶあり方は、決して長くは続かないことを示唆する。誰かを排除しようとする者は、自らもいつか捨てられるのである。
アンティパスが失脚し、放逐された事の次第をヨセフスは伝えている。へロディアはアグリッパの姉妹であるため、ローマからある程度の情けはかけられたが、本人が夫について行くことを望んだため、一緒に流刑地に行き、残された領地はアグリッパが相続したという。その後アンティパスは「へロディアと一緒に流刑地で死んだ」(ヨセフス『戦記』)とも、「カリグラ帝に殺害された」(ディオ『ローマ史』)とも伝えられる。この夫婦の最後を見る限り、アンティパスとヘロディアの関係は、ただお互いの利害にのみ動かされた欲得ずくではなく、何ほどかのまことの愛の形がそこにあったことを、うかがわせるものであろう。ただ思うに、この夫婦は「幸せ」であったのだろうか。