「遊びをせんとや生まれけむ/戯(たはぶ)れせんとや生まれけむ/遊ぶ子どもの声聞けば/わが身さへこそ揺るがるれ」、1180年前後(平安末期)の時代に、後白河法皇によって編纂された今様(流行り歌)集、『梁塵秘抄』。これはそこに収められた数々の歌の中でも、最も有名な作品であろう。「遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか、戯れをしようとして生まれてきたのだろうか、一心に遊んでいる子どもの声を聞くと、私の身体まで自然に動き出してくるようだ」。この有名な歌の「遊び」の一語に込められた意味をさまざまに解釈できるかもしれないが、無邪気に遊ぶ子どもの姿を見て、ふと頬がゆるみ、顔がほころび、自分もまた幼少の頃を思い出して、心も身体も動き出すように思えるのは、自然の感情だろう。
私の子ども時代には、ブリキ製のおもちゃは販売されており、それを買い与えられて遊んだ記憶はあるが、それよりも近所の友だちと一緒に、界隈を駆け回った遊びの方が、もと楽しく想い起されて来る。海外の難民キャンプで、そこに避難している幼気な子どもたちが、何ひとつ遊具のないような場所でも、互いの身体を寄せ合いぶつけ合い、歌を歌い、工夫して遊びに打ち興じている姿を見ると、本質的には人間の営みは不変であり、人生にとって欠くべからざるものが何であるか、深く教えられる気がする。そういう子どもの日常の姿を損なうような大人の振る舞いは、どれほど正義の名を被せようとも、野蛮であり、悪だということである。
今日取り上げる聖書個所は、主イエスの時代の風俗について、貴重な生の情報を伝えるテキストのひとつであろう。それは「遊び」について語る伝承である。安息日を厳格に守る宗旨に徹したユダヤ人にとって、「遊び」とは気晴らしやリクリエーション的な要素は皆無で、修養の根幹をなすものであった。6日間の「勤労の日」と1日の「安息日」によって成り立つ一週間のサイクルの中にあって、本来「遊び」の要素を強くはらむはずの「聖日」を、厳格な戒律に則って過ごすのである。
宗教史的には、元来「遊び」は、神の営みであり、人間は「神楽」「賛美」「供応」によって専ら神を楽しませる務めがあった。そこから派生した「遊び」が、いつしか額に汗すべき日常から解放された貴人たちの嗜みとなり、さらには民衆にまで広がったことが「遊び」の歴史として説明される。それでは「遊び」の具体的な有様はどういうものだったかと言えば、こと習俗であるからその詳細は、案外知られていないのである。
24節「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か」と主イエスは群衆たちに問うている。古代の人々にとって「遊興」の名に値する事柄は、決して多くはなかったろう。古代においては、ハレの日の「宗教行為」と密接に結びついており、宗旨の命じる祝祭日に、聖所や神殿に詣でて、一同に会して祭祀にあずかることが、主だったであろう。しかしそれ以外にも、「しなやかな服を着た人、華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人」即ち王やその一族、貴人たちが列を作り大通りを練り歩く様を眺めることが、民衆の大きな楽しみのひとつであったことも間違いはない。それと真逆のような荒れ野の預言者、洗礼者のもとに大勢の人々が集ったということも、その傍流だったかもしれない。こういう何気ない記述に、当時の民衆の日常生活の実像を垣間見るのである。
ところが刮目すべきは、後半に「子どもの遊び」の様子がはっきりと記されていることである。宗教改革期に、オランダの画家ブリューゲルが、大作『子どもの遊戯』を描いたことは画期的なことであった。芸術に民衆の日常が描かれ、しかも子どもの「遊び」が記されることは、それまでの時代、まずなかったのである。この一幅によって、この時期が人間観や人生観の一大変革期だったことが知れるのである。それをもたらしたものが、宗教改革の動きであったという事実である。「遊び」の再興は、人間性の回復の姿でもある。
32節「広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった』」。このように主イエスは、当時の子どもの遊びの様子を、目に見えるように語っておられるのである。ここには2種類の子どもの遊びが語られている。ひとつは分かりやすい、「お葬式ごっこ」である。子どもの遊びは、今も昔も大人のしていることを真似して、自分たちの仲間内で、子どもらしく再現して楽しむという方法を取るものである。仲間をして「喪主、宗教家、会葬者、泣き女」、もしかしたら「死人」まで、それぞれ役を割り振り“RPG”として楽しんだのであろう。
ではもう一つの遊び、「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった」とは、どんな「遊び」指しているのだろうか。「踊り」がふさわしい場は、やはり「結婚式」だろう。「タイやヒラメの舞踊り」ではないが。それがなければやはり宴は盛り上がらないし、喜びはしぼんでしまう、喜びを身体によって表現する効果は大きい。そこにいる人々を巻き込むのである。だから人間は、めでたい時には必ず踊ったのである。宴においておよそ上手い下手は問われないが、意固地に、あるいは意地悪して踊りの輪に加わらなかったなら、とんだ興ざめである。実際の婚宴では滅多にあることではなかったろうが、時に、さまざまな思惑によって共に踊ることが憚られる事情も、大人にはあるだろう。それを子どもはしっかり見抜いて、自分たちの遊びの中に再現するのである。
「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている」と主は言われる。これは、自分の思惑で人の輪を乱し、人間関係を損なってはならない、という戒めではないだろう。かえって大人は、私利私欲のために安易に付和雷同し、挙句のはてに仲違いをもするではないか。そういう大人の姿を、子どもはよく見ているのである。そして自分たちの遊びにそっくりそのまま写し取り、再現するのである。「子どもは大人の鏡である」と言われる。子どもの目の輝きやその姿。特に遊んでいる様子を見れは、教育評論家の弁を待たずとも、この世界がどうなっているのか、まことの喜びがあるのかどうか、生きるに値する世界であるのかが、一目で知れるであろう。「では、今の時代の人たちは」の「今」は、わたしたちの生きているこの時代のことである。