「白河の 清きに魚も 住みかねてもとの濁りの 田沼恋しき」、有名な江戸時代の狂歌である。時の老中、田沼意次の賄賂と汚職にまみれた政策が頓挫し、その立て直しのために抜擢された松平定信の寛政の改革。しかしそのあまりの倹約、引き締めに、庶民が辟易し、田沼時代の華やかさを懐かしむ歌とされている。しかし最近、悪名高い老中、田沼意次の行った政策を、貨幣経済の進展に対応する「財政改革」の一環であったと評価する向きがある。一途に「質素、勤勉、倹約」で政治や世間立て直そうとした定信、どちらがこの国にとって、真に必要なものだったのかという問いが、今日、投げかけられているようだ。現在のこの国にとっても、決して無縁のことではないだろう。
「清濁併せ呑む」という人物評がある。政治家として「大物」や「辣腕」と目される人物にしばしば被せられる「枕詞」である。旧約の歴史書『列王記』には、イスラエル(北王国エフライムと南王国ユダ)の歴代の王たちの事績が記録されている。そしてその王たちに、ひとり一人の「人物評」が記されている。ナボト事件で悪名を馳せた王、アハブは「(この王ほど)主の目に悪とされることに身をゆだねた者はいなかった。彼は、偶像に仕え、甚だしく忌まわしいことを行った(列王上」と酷評されている。
他方、今日の聖書個所に言及されているヒゼキヤは、こう記される。「彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、 聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた」。歴代のイスラエル王の中でも、最も高評価されている人物のひとりである。
但し、アハブ王とヒゼキヤ王の評価の違いは、異教的なものを導入したか、偶像に寛容だったかという見地から、主になされているのである。経済、外交、国内のインフラ整備の充実度、国民からの支持率等から計ったら、即ち現在の物差しで判断するなら、真逆の評価となる可能性もある。素より聖書の人物評価は、一言で言えば、人間の目から為されるものではなく、ひとえに神の目から見た評価ということになるだろう。この点は現代の人間を評価するときでも、まったく同じことが言えるだろう。「神のみ前で」、これ抜きに人間を計ることは出来ず、私たちが行うどのような評価も、すべて相対的なものであり、神の留保の下にあるのだと言えるだろう。だから良くも悪くも、安易に、人間をこうだと決めつけないこと、それが最も肝心なことである。
さて、今日の聖書個所は、ヒゼキヤの時代である。ヒゼキヤ王は、南王国ユダの王として、紀元前716年、あるいは715年に即位し前687年まで統治した。彼が即位する少し前、前722年に、イスラエル王国の分裂した半分の国、北王国エフライムは、アッシリア帝国によって滅ぼされ、住民の多くが捕囚にされて、それきり消息を絶ったのである。いわゆる「失われた十部族」の言い伝えは、ここに発する。
丁度、アッシリア王センナケリブの時代である。バビロニア、エジプトがアッシリアに対して反乱の気運が醸成され始めると、ヒゼキヤもそれに押される形で反乱国側についた。しかし、バビロン軍、エジプト軍がアッシリアによって鎮圧され、701年にはユダ王国の46の街が占領され、多くの民がアッシリアに連行されている。さらにセンナケリブは大軍を率いてエルサレムに上り、都を包囲するのである。ヒゼキヤはセンナケリブに、エルサレムから引き上げてくれるようにと懇願し、課せられた銀三百タラントと金三十タラント、さらに神殿の金張りの扉と柱をもおまけとして寄贈し、盛んにセンナケリブのご機嫌を取ろうと躍起になる。
その時の様子が、アッシリアの年代記に、次のように記されている。「ユダの地のヒゼキヤは、朕(センナケリブ)のくびきを負わなかった。丸太を敷いた斜面を踏み固め、攻城器による突撃、歩兵の戦闘を用い、城壁の陥没箇所や割れ目を通じ、また破城具をもってして、彼の46の城壁を備えた要塞都市、及びその周辺の無数の小都市を包囲し、これを征服した。そしてヒゼキヤ自身を、篭の鳥のように、彼のみやこエルサレムに閉じ込めた。」
今日の個所は、センナケリブが部下の広報官ラブ・シャケによって、ゼデキヤとユダ王国を威嚇し、罵っている場面が描かれている。現代でも外交戦略の場で、同様の有様がしばしば伝えられる。しかも広報官だけあって語学が巧みであり、民衆にも理解し得るユダの言葉で、しかも大声で語るのだから、たまったものではない。特に19節以下の広報官の言葉には、さしものゼデキヤ王もおびえおののき、うろたえたのではないか。
19節「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王はこう言われる。なぜこんな頼りないものに頼っているのか。ただ舌先だけの言葉が戦略であり戦力であると言うのか。今お前は誰を頼みにしてわたしに刃向かうのか」。アッシリアの侵攻に、ヒゼキヤ王は、エジプトに自国に救援を求めたが、旭日の勢いの帝国に、ものの数ではなかった。今や、南王国ユダは孤立無援の状態に陥ってしまったのである。
ここで広報官ラブ・シャケは、イスラエルの最も根幹の部分を攻撃し、動揺させようと図っている。「舌先だけの言葉が戦略であり戦力であるというのか」と。イスラエルの一番の力の源は、強大な軍備でも、勇敢な将兵でもなく、ただ「神の民である」という自覚なのである。イスラエルの背後には、神ヤーウェがおられ、このイスラエルの神自らが戦うのである。そしてこの神は、み言葉の剣と槍をもって敵を打ち、勝利を得られる方なのである。み言葉に立つ時に、イスラエルは神のみ腕によって守られ、救いを与えられるのである。
しかし、神の言葉は、目に見えず、ここにある、あそこにあるというように形あるものではない。さらに人間の思惑で、どうにかなるものではなく、ただ神のみ旨だけが、頼りなのである。だから広報官は「舌先だけの」と罵るのである。貴様らの神の言葉など、頼りないでまかせ、根拠のない偽りのようなものではないか、そんな空しいものに頼るのは、愚かではないか。お前たちの神ヤーウェにひれ伏すのではなく、この強大な軍隊を有する大帝国アッシリアの王の前に跪け、というのである。
今も、目に見えない神の言葉に対して、このような揶揄や嘲笑が加えられることがあろう。しかし、大帝国アッシリアは、この後、百年余りの後、歴史の舞台から消滅する。「わたしたちは見えないものに目を注ぐ、見えるものは一次的であり、見えないものは永遠に続くのである」。この言葉を繰り返し思い起こさなくてはならないだろう。