「革命」という言葉がある。「皮革」の「革」と、「生命」の「命」が結び付けられた言葉である。辞書によれば、「革」は、動物の皮を剥いで、鞣し加工した状態を指し、「あらたまる」という意味があり、「命」は「天命」のことを指す。元来は中国古来の「易姓革命」から出たもので,天の命が革 (あらた) まり,王朝が交代することを意味した、と説明される。他方、英語で「革命」を表す言葉は「Revolution」であるが、これは元々天文用語で、「回転」を意味していたそうである。それが後に政治的な意味合いで使われるようになったという。文化的な差異によって、語源的意味合いは異なるが、両者とも「天」が意識されていることが興味深い。即ち、人間の行ういかなる「統治」あるいは「支配」も、「天命」によらなければなされ得ないし、永遠ではなく有限なものであり、「天命」に反すれば、ひっくり返るものだという意識が、言葉の背景から読み取れるのである。
列王記上9章から10章は、ニムシの孫、ヨシャファトの子であるイエフが、北王国エフライム(イスラエル)の王ヨラムと、さらに南王国ユダの王アハズヤを謀殺し、政権を得て「イエフ王朝」を打ち立てたことが記されている。彼の政権奪取までの動きは極めて迅速で、彼の企てをクーデタと見る向きもある。但し、列王記の著者の理解では、バアル礼拝を許容し、文化的政治的にも異教的傾向の強かったアハブ体制を打破し、ヤーウェ主義に回帰した王として、もろ手を挙げてではないにしても、彼の統治を称賛しているのは、間違いはない。
9章の内容は、3つの部分から成っているが、最初から13節まで、イエフが行動を起こすまでの経緯、次いで29節までには、イエフによる北王国と南王国双方の王の殺害が語られ、30節以下には、イスラエルの異教化の元凶であった、イゼベルの悲惨な最期が記述される。そして、10章にはイエフ体制が行った、異教的なものへの凄まじい粛清が語られる次第である。列王記史家の目からは、イエフの業績はまさに「革命」の名に値するものでであり、それが理念化神学化されて現在の記述になっている、と言えるだろう。
しかし、カナン人やアラム人との交流や同盟により、国力を高め、軍事力を増強し、北パレスチナ地域の筆頭国として、アッシリア帝国の侵攻を阻んだアハブ王の治世と比較すれば、イエフは逆に近視眼的なヤハウェ信仰重視のイスラエル優越主義に基づき、カナン人やアラム人を敵視して国力を衰退させ、遠方の大国アッシリアに跪き、この地域への侵入を助けたという点で失策であり、またイスラエルの最終的な破滅を早めのではないか、と考える歴史学者もいる。
確かに、聖書外資料によれば、イエフ、および彼の支配するイスラエルが国際的にどのような地位にあったかについては、アッシリア王シャルマネセル3世の碑文に、帝国に朝貢した地中海沿岸地方の一人の王としてイエフが言及されている。また、ニムルド(アッシリアの首都カルフの遺跡)から出土したブラック・オベリスクのレリーフには、シャルマネセル3世に跪拝して朝貢するイエフの姿が描かれている。
今日の個所は、キーパーソン、イエフが預言者エリシャの仲間の手によって、王として立てられる次第を伝える記事である。イスラエルの伝統として、王、あるいは大祭司は、オリーブの香油を頭に注がれて、即位あるいは任職されることとなっている。「救い主」は、ヘブライ語マーシャハ(油を注ぐ)という動詞に由来するが、そもそもその名詞形がメシア(油注がれた者)なのである。この「油注がれた者」がギリシア語では「クリストス(キリスト)」と訳されるのである。
なぜ衆生を救うと目された者が、任職の際、頭に塗油されるのか、その理由は、「オリーブ油の持つ薬効になぞらえる」、また「かぐわしい芳香で儀式に花を添える」、あるいは「美容効果により見栄えを高めるため」等、様々に想像されるが、オリーブ油が用いられるのは、ひとえに当時の人々にとってそれが、生活の為、なくてならぬものであり、もっとも有用で日常的な事物であったからであろう。
イエフの油注ぎにおいて、いくつか気になる点がある。まずエリシャ自ら、イエフに塗油したのではなく、代理の者を遣わしたことである。どうしてエリシャ自らが出向かなかったのか。この者は、かの預言者の従者であって、「若者」であったと記されている。彼に預言者は「腰に帯を締め」と命じているが、これは正装であり、戦いに出てゆく際に、告げられる言葉である。つまり「油断怠りなく、勇気を出して」というような意味合いである。さらに「(イエフに塗油したら)戸を開けて逃げてきなさい、ぐずぐずしていてはならない」と命じている。これはどういう訳だろうか。手っ取り早く既成事実を作ってしまおう、というような切迫さも感じられる。確かに権力がらみ、政治がらみで利害が絡む事柄は、皆で議論をしはじめたら、収拾が付かなくなる恐れも十分にある。この個所の表題が「イエフの謀反」としたのも、そういう事情を汲んでのことである。「謀反」のための決断は、「その時勝負」なのであろう。
おそらく「何事にも時がある」ということであろう。熟慮も必要だが、時と場合によっては、ぐずぐずしてはおれず、すぐに決断し、行動し始めなければならない「時」というものもある。皆で話し合い、十分に意見を交換し、お互いに議論を煮詰めてから決断する、というのは確かに正論であろう。しかしこと「神の時」が人間に臨む際には、悠長なことを言っておれない、その時、すぐに決断しなければならない、という事があるだろう。
例えば、人間の手の業には、「手遅れ」、「取り返しがつかない」、「遅すぎる」という事が確かにある。しかしどんなに遅くなっても、無駄だ、無益だとはならないものが、「悔い改め」であると言われる。同時に、今でなければ役に立たない、というのも「悔い改め」なのである。
主イエスが最初に招かれた弟子たち、シモンとその兄弟アンデレ、さらにゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟は、主イエスから「ついて来なさい」と招かれるや、「網を置いて従った」と記されている。主イエスの招き、神の召命に対して、人間の側から、「待った」はないのである。人間的にはイエフの業績は色々に評価されるだろう。しかし預言者の行動と王の決断は、青天の霹靂の感があるが、神の前での人間の取るべき態度を、深く教えるものである。