わたしを捜す」ヨハネによる福音書13章31-35節(2018.4.22)
今、世の中には色々な記念日が制定されている。先週の日曜日15日は「良い遺言の日」だったそうだ。遺言を記す習慣を根付かせようと、弁護士会が制定したらしい。最近は、記念日に向けて、その記念日にちなむ川柳を募集するという企画が、流行っている。曰く「遺言大賞」。
「遺言で やっとあなたを 理解した」。人間本当に一人ひとり大きく違っている。夫婦と言えども、簡単に自然と分かり合えるわけではない。それでも最後の最後に、「理解した」という気持ちになれるのは、大きな幸いであろう。「ゆいごんで なりたい人に なる私」。宮沢賢治の有名な詩「雨ニモ負ケズ」は、最後「ソウイフモノニワタシハナリタイ」で閉じられる。識者に言わせると、この詩は、彼の手帳にひそかに記された遺言である、という。「ミンナカラデクノボートヨバレ」彼の悔い改めの心が記されている、と評される。大賞を取ったのは次の作品。「こう書けと妻に下書き渡される」。やはり最後まで、奥様の影響は強いものであろう。
今日の聖書個所は、主イエスの告別説教、遺言と呼びなわされている個所である。ここから延々16章まで続き、17章は主イエスの最期の祈り、とされている。何と長い遺言であろうか。なぜこんなにも長いのか。有名人の最期の言葉には、短く寸鉄人をさすものが多い。「葬式無用、戒名不要」、この地に住んだ白洲次郎氏の遺言である。「もっと光を」、これは文豪ギョエテ。「これでよい」、哲学者のカント。どれも最期を看取る人の心に、鋭く響く言葉である。
ヨハネ福音書に伝えられる、主の最期の言葉が、非常に長いのは、編集作業の結果である。最初、ヨハネが書いた時の文章はもっと簡潔だった。後にヨハネの弟子たちが、師であるヨハネの原文に増補・校訂を加えた。どうしても人間、何をするにも欲張りになる。何せ主の最期の言葉である。これも入れよう、あれも加えておこう。これも大切、あれも欠かせない。と言うわけで今のように長々としたものになったし、反面、文章がまっすぐに通じなくなった。今日のところも、34-35節を飛ばして読めば、36節に素直に繋がる。
さて今日のテキスト、その直前、イスカリオテのユダが、最期の晩餐の後、主を裏切るために、外に出て行く。そこにヨハネは一言を記す。「時は夜であった」。福音書中にヨハネはこの一文を、何回か繰り返す。これは単に時刻を表そうとしたのではない。光がない時、全てが闇に閉ざされる時、暗黒、希望の光がない、目当てとするものがない。目標や目的が失われる、失意の時、失望の時、という象徴表現である。十字架を前にして、そういう暗闇の迎えるところで、主イエスは弟子たちに語られる。暗闇だ、絶望だと私たちはネガチィブにとらえるが、そこでしか聞けない言葉、そこでしか味わえない恵みもあるのである。好調の時に、失せる命もあるし、失意の中で、病の中で輝く命もある。
33節「引用」。このみ言葉は、主イエスの十字架を予告するものであるし。さらに主イエスの無残な死、そして埋葬を示唆している。その時、あなたがたはわたしを捜し求めるだろう。失われて初めてその大切さに気づく、と言うことがある。
皆さんは、大切なものを無くしてしまった時、どうするだろうか。ある人が「失せ物を探す秘訣」を伝授してくれている。1 すぐに探し始めない。2 探し物は必ず見つかると信じる。3 まずお茶を飲んで冷静さを取り戻す。4 直感を信じる。5 最後に使ったところを思い出す。6 灯台下暗し。目の前を探してみる。10 探し物に呼びかけてみる。12 どうしても見つからないとき・・諦める。しかし物ならば諦められるかもしれないが、親や兄弟、友人、先生、人もまた去るものは日々に疎し、なのだろうか。
皆さんは主イエスの言葉をどう読んでいるか。「あなたがたわたしを探し求めるだろう。しかしあなたはわたしの行くところに、来ることはできない。捕らえられ十字架への歩みを辿る主に、弟子たちはついて行くことはできなかった。「あなたのために命を捨てる」と言い放ったペトロに、主は「鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないというだろう」と言われた。ところが臆病だから、気が小さいから、情けない輩だから、到底ついて行けないと主は言われているのではない。主が行かれるところは、私たちが信仰告白で語るように、「ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け、十字架つけられ、死にて葬られ、黄泉に下り、三日目に死人の内より甦り、天に昇り、全能の父なる神の右に座す」ことなのである。私たちは誰も、主イエスの行かれるところに行く事はできない。神の子ではない、ただ人間であることの、卑しさ、惨めさ、罪、弱さを謙虚に知り、受け止めねばならないだろう。しかし、使徒信条はさらに続く。「かしこより来たりて」。私たちは主イエスのところに行く事はできない。しかし主イエスの方から、私たちのもとにまたやって来られるのである。
朝日新聞「折々の言葉」にこうあった。『最後にかわした言葉が心残りだった、ということにならないように』(田部井淳子)見るのはもうこれが最後かもしれないと思うと、その姿がとても愛おしくなる。死を意識することは、人や生き物にていねいに向き合う態度を養ってくれるのだろう。つねに死と隣り合わせでいた登山家だからこそ、家族がどこかに出かけるときも、まさかの事故の時のため、その日の服装をしかと脳裏に焼き付けるようにしてきたという。田部井淳子 「それでもわたしは山に登る」から。
「見るのはもうこれが最後かもしれないと思うと、その姿がとても愛おしくなる」。今日のテキストの描く、主イエスと弟子たちの間にあるものである。だからヨハネの弟子たちは34節以下の言葉を付け加えた。伝説によるとヨハネは殉教せずに、百歳を越えるまでに天寿を全うしたといわれる。彼は十字架上の主イエスから、母マリアの後の世話を託される。おそらく、殉教に代わり、介護、看取りが彼の務めになったのだろう。彼もまた高齢となり、弟子たちにいろいろ世話を受け、介助を受けつつ、生かされたことだろう。これは、ヨハネは教会の人々に誠実ごとに礼拝説教をしたが、最晩年になった時には、人々の抱え上げられ、力を借りて、ようやく壇上に上り、話す時には、もうこれしか語らなかったと伝えられている。「愛し合うならば、あなたがたは皆、わたしの弟子だ
。今日は礼拝後に、総会が行われる。このみ言葉をかみ締め、深く分かち合う時でありたい。今も、主イエスが近づき、変わらぬ愛を注いでくださるから、教会が立てられるのである。