2014年4月6日 主日礼拝・説教要約
説教『最強・最良の解放者』(ルカ11:14~22)
◎4月最初、新年度第1回の主の日を迎えました。先週は桜も満開となり春爛漫の週でした。今週、入学式を迎える子ども達・若者達も多いことでしょう。私達も新たな思いで新年度の歩みを始めたいと思います。受難節も第5主日となり、来週は受難週です。主の十字架を見上げつつ今週も歩んでいきましょう。
◎今日、取り上げる個所は受難節にふさわしい箇所だと言えます。主イエス自らが自分は悪霊の頭などではなく、神の御業を行う救い主・解放者であり、主の到来によって神の国が始まったことが証言された箇所です。今日はこの箇所を通して主イエスとはいかなる方かということを改めて心に留めて参りましょう。
◎まず、そのような証言をなさるに至ったきっかけは何だったのというと、11:14にあるように口を利けなくする悪霊をイエス様が追い出された。そして、その後、その人が語り出したのでしょう、それを見ていた群衆が驚嘆した。その出来事が発端になっています。ところで、ここに「口を利けなくする悪霊」と言う表現があります。悪霊が取り付いているから口が利けないと言うのは差別ではないかと思われます。
しかし、聖書にはそれとはまったく異なる見方もあります。ヨハネ福音書9章にある「目の見えない人の癒し」の記事よると、イエス様は「この人の目が見えないのは両親の罪によるのでも本人の罪によるのでもない。ただ、神の栄光が現れるためである」と言われました。ですから、ここで「悪霊がとりつく」という表現を用いたのは、人間が背負っている不幸の中には人間の力を超えた悪の力が働いていることがあり、その悪の力をイエス様が追い払う力を持っておられたことを伝えるためであったと言えるでしょう。
ですから聖書は口の利けない人に対して差別的に見ていないということをお伝えしておきたいと思います。
◎さて、そのようにイエス様が口を利けなくする悪霊を追い出すと言う奇跡を見た人達は、大変、驚きますが、その中に悪霊を追い出したイエス様に対して難癖をつける人達がいたと言います。それは、マタイ福音書12章には「ファリサイ派の人達」とあり、マルコ福音書3章には「律法学者達」とありますから、イエス様のことを苦々しく思っていた宗教指導者達であったと思われます。彼らが「あの男は悪霊の頭・ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言ったと言います。悪霊の頭とは悪魔・サタンを指していますが、そのサタンにはベルゼブルという名前が付けられていたと言います。ベルゼブルとは「家の主」を意味します。それに対して主はこういわれます。「内輪で争えば、どんな国も荒れ果て、家は倒れてしまう。つまり、悪霊同士、サタン同士が争えば、内輪もめということになり、その国は成り立たない。滅びるばかりだ。私は悪霊の頭などではなく、神の指によって悪霊を追放したのだ」と。つまり、主イエスは悪霊の頭ではなく、神の力・働きによって悪霊を追放したのだ。私は神の業・神の働きをする者だ、と言われたのです。そして、さらに「私が神の指で悪霊を追放しているのであれば、神の国はあなたたちの所に来たのだ」と言われ、ご自分がこの地上に来られ、神の業をなすことによって、神の国・神の支配が始まったこと、神の恵みの支配がここに来たこと、始まったことをはっきりと語り、明確に証言されたのでした。
◎ これが今日の話ですが、私達はここからどのようなメッセージを聞くのでしょうか。それは、一言で言えば、「イエス様は、悪霊によって支配されている私達をその神の力によって解放し、悪魔の元から神の元に取り戻してくださった、奪還してくださった」ということです。かつて私達は悪霊の支配下にいました。
悪霊の働きは広く私達に働きかけます。第一に人間の感情に侵入します。怒り・恨み・憎しみ・悲しみ・不安・恐れなどの感情に入り、自己と他者を否定と滅亡へと導きます。第二に欲望に侵入します。食欲・性欲などの肉体的な欲望、名誉欲・金銭欲などの精神的な欲望が肥大化すると自己と他者を滅ぼします。第3に主義・主張に侵入します。自分が絶対的に正しいとする自己絶対化に陥ると他者を裁き、否定し、滅ぼそうとします。第4にこの世の勢力に侵入します。流行・はやり・商業主義・マスコミ・国家主義など人間を悪しく方向に導いていきます。第5に人間関係の中に侵入し疑い・不信を大きくし、神との関係に入り込み不信頼・不信仰へと誘います。悪霊・サタンは私達を常に否定・滅びへと導こうとするのです。
◎弱い私達はしばしば悪霊とサタンの支配に苦しみます。しかし、そのような私達の所に神様から遣わされたのがイエス様です。主は神の子・救い主として私達に臨み、私達を支配している悪霊・サタンを追放し、私達を神の支配下に取り戻してくださったのです。イエス様は、荒野の誘惑に打ち勝ち、ゲッセマネの祈りに勝利し、最後は十字架にお架かりになり、ご自分の命を捧げ、復活することによって、罪と死に勝利し、サタン勝利されました。私達はその主イエスの力強い力・聖霊によって常に守られているのです。