横綱の土俵入りには、前後に二人の力士が付き従う慣習がある。横綱の前に歩く力士を「露払い」と呼ぶが、この起源について、次のように説明されている。「露払いは、蹴鞠(けまり)に由来する。公家が蹴鞠の会を行う際、まず鞠を蹴って周囲に植えられた木の露を払い落すことや、それを行う人を『露払い』と言った。転じて、『露払い』は貴人の先に立って道を開く人を指すようになり、行列などの先導をすることや、先導する人の意味となった。そこから更に転じて、横綱の先導役をつとめる力士を指すようになった。遊芸などで最初に演じることや、その演じる人も『露払い』と言う(語源由来辞典)」。
9章に「十二弟子が派遣される」という記事に続いて、この章では「七二人」の派遣が伝えられている。最初に12人、さらに72人への拡大を記す著者の意図は、主イエスの宣教の活動が、ついに佳境に入って来たことを示すためであろう。それらの人数を表す数字は、実数というよりは、ある種の理念を示す象徴的なものである。「12」とは、ヤコブから出た部族の数としてあまりに有名であるし、「72」はその6倍数であるから、イスラエル十二部族の拡張、拡大が示唆されている。
「72」という数について言えば、紀元前3世紀中葉から紀元2世紀にわたって、ユダヤ人の正典、所謂「ヘブライ語聖書」がギリシア語に翻訳された。通常「セプトゥアギンタ(70の意)」、「七十人訳聖書」と呼ばれて、この写本は現代にも伝えられている。なぜ「70」なのかと言えば、伝説によれば、当時のエジプト王プトレマイオス2世フィラデルフォス(在位前283~前247)の治世に、『旧約聖書』(原典はヘブル語)の5書の最初のギリシア語訳が、パレスチナから派遣された72人の長老により72日間でなされたとしたことによる。「72」は、イスラエルの12部族の6倍数で、非常に縁起の良い数字と見なされていたので、それに合わせられたということであろう。大部な旧約聖書の翻訳であるから、実際は長期間に、非常に多くの手が加わって作業が行われたと推測できるだろう。
福音書の著者ルカは、歴史家でもあったから、「72」という数字によって、イスラエルの十二部族を意識しつつ、さらにその6倍数を計上することで、旧約の歴史が、今や主イエスにおいて完成の時を迎えたことを、象徴的に示そうとしているのである。そもそもイスラエル民族が神の選民なのは、彼らが大きく強く、優れているからではなく、どの民族よりも貧弱であったが、「ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から導き出されたのである」(申命記7章8節)。そしてイスラエルは、この「主の愛と慈しみ」を証しし、諸国民の間に宣べ伝えることこそが、「神の選民」とされた理由である。ところがユダヤ人たちは、この尊い務めを忘れ、「選民」を民族的特権であるかのように勘違いをしたのである。
主イエスの宣教において、真のイスラエルが立てられ、諸国民にあまねく神の言葉が伝えられる。それが神の国の到来の出来事の始まりなのである。13節以下に「コラジン、ベトサイダ、カファルナウム」等が、福音を受け入れようとしない頑迷な町々として言及されているが、これもまた象徴的な意味合いで語られているのであろう。神の国の到来は、信じる者たちだけに伝えられるものではなく、「信じない者」の地、即ち異邦世界、辺境の地、あるいは遥かローマにまで、やがて福音が持ち運ばれることを、示唆しているのである。そして福音宣教の担い手たちは、使徒とされた12人のみならず、主にふれあい、従った無数の名もなき弟子たちの働きを通してであることを、福音書記者は語るのである。教会はこのような無名でその働きが特に記録されるわけではない、「財布も袋も履物も」持たない、およそ見栄えのしない者たちの宣教によって立てられ、形づくられて行く、それは今日の宣教においても、全く変わることはないであろう。但し宣教は、人間の手の働きを通してなされるものではあるが、根本では主ご自身のなされるみわざである。そのための働き人は、何か相応な資格とか免許、あるいは資質によって選び出されるのではなく、今、主によって招かれたすべての人が、働き人として呼びかけられ、遣わされるのである。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」。宣教の現場においては、いつでも人手不足なのである。だから「私にはその素質、能力がありません」、と言い訳することは出来ない。
確かに、かたくなな町々、福音を拒絶する場所はあるだろう。いや、簡単に受け入れるようなものは、却って人は、また容易く手放し捨て去るのである。容易く宣教ができる所など、この世にあるだろうか。だから「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」と言われるように、主イエスは宣教の現実から実際をよく知っておられる。それを知りながら「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす」と命じられる。この言葉は、難題への叱咤激励とか強制、無理強い意図するものではないだろう。わたしが遣わすのだから、わたしが宣教に必要なものは、すべて提供しよう、備えようという。だから「財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな」と語るのである。殊に「挨拶」云々は、今流に言えば、「営業」の技術、あるいはお愛想はいらないということである。自分の中に、何もなくても、能力やら資質やら、努力までも、宣教に持ち物はいらないのである。
そもそも主の宣教において何を語るのか。主イエスが命じるのは、ただひとつだけである。「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい」。宣教の言葉とは、ややこしい教理や深遠な真理を語ることではなく、とどのつまりは出会う人に「主の平和」を告知することに尽きるのである。主はいつも出会われる人々に、「平和」を告げられた。十字架で主イエスが亡くなられた後、弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、部屋に堅く鍵をかけ、息を潜ませていたが、復活の主イエスは固く閉ざした扉を潜り抜け、弟子たちに「平和」を告げられたのである。これによって弟子たちは喜びと力を回復し、外の世界に歩み出すのである。
72人もの大勢の弟子たちの派遣の発端がどこにあるか、著者は9章51節に記している。「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」。つまりいよいよはっきりと十字架への道、エルサレムへの旅が始まったのである。宣教とは、主イエスの十字架の歩みなしには、成り立たないのである。なぜなら、主の平和は、主の十字架のみ苦しみによって、私たちに与えられた恵みだからである。十字架から復活の生命がほとばしる、そこに私たちの安心・安全、平和の基がある。