「何も話さないように」マルコによる福音書1章40~45節

ついこの間、新しい年が始まったかと思うと、はや1月も末である。今年も残る所あとわずか335日しかない、と言ったら、気が短すぎか。日が少し長くなり、日の光も明るさを増して来たように感じられる。時は止まることなく動いてゆく。コロナの蔓延の程度を表す数字に、一喜一憂しながらの生活が、あるいはマスク生活が、それこそ習慣のように馴染んでしまったのは、長い目で見れば、不幸か、それとも幸なのか。制約の中で、コロナをダシにして、小咄が語られるようになったのは、人間の精神が、まだ健全である証か。こういう話が語られている。

コロナ禍において、世界各国の政府が国民に外出を控えるよう求めることになった。

アメリカ政府はこう発表した。「外出は正義に反する」、アメリカ国民は外出しなくなった。イギリス政府はこう発表した。「外出は紳士的ではない」、イギリス国民は外出しなくなった。中国政府はこう発表した。「外出したら拘束する」、中国国民は外出しなくなった。フランス政府はこう発表した。「外出しろ」、フランス国民は外出しなくなった。日本政府はこう発表した。「外出の自粛を要請します」、日本国民は外出しなくなった。

世の中には、「自粛」の一言でも、ちゃんと耳を傾ける人がおるかと思えば、かたや「逆説」がお好みのへそ曲がりな人もいる、人間それぞれであるが、「説得」とか「お願い」を上手く受け入れてもらうというのは、かなり大変なことであると、つくづく思わせる話である。

さて今日の個所は、前回の続きのような物語である。新共同訳では「重い皮膚病」を患っている人が、主イエスのみもとにやって来て、癒しを願う場面である。旧版、そして口語訳では「らい病」と訳されていた。現在では、この病気は、原因菌発見者の医師の名をとって「ハンセン病」と呼ばれている。但し、この病気が、聖書の語る「ツァーラート」あるいは「レプラ」と同じかどうかは、不明である。「重い皮膚病」は、かなり無理した意訳であるが、ふさわしい翻訳に窮する用語である。

但し、ハンセン病と同じく、ユダヤの律法は、この病に対して、非情な規定をし、厳しく命じるのである。レビ記13章45~46節にこう定められている。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき(一目でそれとわかる格好をして)、口ひげを覆い(マスクをして)、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない」。汚れていると判定されたら(PCR検査?)、その人は自分の汚れが人に移らないように、人に会うごとに「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらなければならない(告知義務?)。そしてさらに、「その人は独りで宿営の外に住まなければならない(療養施設への入所?)」とあるように、一般の人々の共同体の中にいることができない、そこから出て、別に暮らさなければならないのである。

「病気、病人」と訳しているが、本文にはそれらの語はなく、「汚れ」と呼ばれており、

神の「呪い」あるいは「懲罰」的なニュアンスでもって語られている。実際、ハンセン病はまったくこの規定と同じく人々から受け止められ、長くこの国においても「隔離・排除」の政策が取られ、今に至っている。原因が突き止められ、画期的な治療薬が開発されたのが1943年、そして、10年後、1953年、旧法を改訂した「らい予防法」制定される。「強制隔離」「懲戒検束権」などはそのまま残っている。患者の働くことの禁止、療養所入所者の外出禁止などが規定されている。その悪法がようやく廃棄されるのは、ようやく1996年になってである。

律法は「汚れ」と規定した。「汚れ」は宗教的な観念であるから、本質的に見える実態ではなく、何となく嫌だと感じてしまう、恐いと思ってしまうというような感覚的事柄である。しかし、この観念はなまじ見えないからしぶとく、人間の思考や行動に無意識に働きかけ、人間を貶めるのである。こんな聖書で規定されているような古代の観念、「汚れ」はもうすでに医療の先進国であるこの国にとっては、全く無縁で、関係のない問題であろうか。コロナは、そういうこの国の人間の、心の奥底にある闇を、明るみに出したのではないか。こういう歌がある。「やすみじかん/くしゃみをするといっせいに/じろみをされてうごきがとまる」、ある小学校4年生が、こんな自分の日常の緊張感を詠んでいる。「汚れ」の観念は、今なお健在ではないか。

病人が主イエスのもとにやって来て願う「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」。新共同訳はこのもって回ったような微妙な言い方を、何とか再現しようとしている。ただ「病気を癒してください」ではない、「あのですね、おたく様のほんの少しのお気持ち次第で、清めていただけるのですが~」。どうしてこんな卑屈な態度になるかと言えば、こと「汚れ」が問題だからである。そもそも「汚れた者」は、皆と共にいてはいけない、自らを隠すべき存在なのである。それが大勢の人々の前にしゃしゃり出て来た。いつ石が飛んで来ても不思議ではない状況である。

これに対して、主イエスはこのように応答される。「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ」。「深く憐れむ」という言葉は、ある写本では「憤って」と記している。激しい感情の動きを表す用語である。この時の主イエスの心、「汚れた」者を前にして、その人が跪いて、卑屈に、慇懃に、か弱い声で訴える。この人が負っているのは単に「病気」ではなく、「汚れ」なのである。「汚れ」そのものは目には見えないが、さまざまに人間の生活や関係に非情な力を奮う。汚れた者は、皆の前に出てはいけない、共に食事をすることができない、誰とも語らい、触れ合うことができない、共にいることができない、見えてもいけない、のである。この「汚れ」そのものに、主イエスは激しく憤り、その「汚れ」を貫くように手を伸ばし、彼にさわって、こう言われる「よろしい、清くなれ」。

「よろしい」は、原文では「わたしは意思する」、文語訳は「我が意(こころ)なり」と訳している。「よろしい」ではあまりに弱い。「汚れ」を打ち破る、引き裂く、打ち捨てるかのような、強い気持ちがみなぎっている。主イエスのみ言葉とみ手によって、主イエスの方から、人間と人間を引き裂き、分断している壁が打ち破られるのである。その人の身に厄介ごとが起こることを危惧して、主は「だれにも、何も話さないように」と注意されたが、その人は「大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」という。清められた者、真の癒しを受けた者の姿が、象徴的に語られている。

主イエスは、「手を差し伸べてその人に触れ」たという。学生時代、出席していた教会は、岡山の国立療養所にある教会、長島光明園教会と親しく交流を持っていた。夏休みには、青年会が療養所を訪れ、気候の良い季節には、こちらの教会に来てもらって、礼拝を共にし、食事を共にし、証し会をし、語り合う時を持っていた。ある時、出迎えのために最寄りの駅まで行って、共に歩いて教会までの道のりをご一緒したことがあった。病気の後遺症のために、視覚と運動機能が衰えている方々が多く。杖を突いて、こちらは肩を貸して、ゆっくり一歩一歩、歩いて行った。

元気な人なら5分とかからない短い道のりであるが、ゆっくりと歩いて、教会に着くのに30分位はかかったろうか。そこで気付かされたことは、駅の階段の上り下りは、まるで山登りをするような急坂のよう、歩道を歩けば、電信柱が真ん中に通せんぼしている。さらに沢山の自転車がバリケードのように道を塞いでいる。その度に、車道に降りて、よろよろと回り道をするのだが、その脇を自動車が猛スピードで走り抜けていく。その方とぴったり共に歩きながら、この国の道路は何と恐ろしい場所か、歩道なのに「歩くな」と言っているように実感した。普段のひとりの歩きでは、決して見えない経験であった。教会に着いたときに、療養所の方々は皆、口々に言われる。「またこの教会に来ることができた、なんとうれしいことか、幸いなことか」。

主イエスは「手を差し伸べ、その人に触れ」て、重い病のその人を「清めた」という。「癒す」ではなく「清める」、それは極めて宗教的な観念ではあるが、それは病気の人だけの問題ではなく、健康な人の問題でもある。「清め」とは、本来「関係の修復」あるいは「和解」のことである。病気であろうと、健康であろうと、人と人との当たり前の関係が絶たれることがなく、病気故に、区別や差別をされることがなく、きちっとつながって、共に生きられるようになることが、「清め」の本質である。「手を伸ばし」、「共に歩む」時に、今まで見えなかった事柄が見えて来る。私たちもまた一緒に歩く、という些細な出来事を通しても、主イエスのなされた清めのわざの意味を、深く味わうことになるのである。