年の瀬を迎えた。明日は、新しい年の始まり、元旦である。「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」という嘯いたような冷徹な見方もあるだろうが、新しい年を迎えるに「生命なりけり」という感慨にふけるのも、人間の性である。年の初めの例とて「初日の出」を眺めるというのも、そのひとつであろう。昨日、地表に沈んだ太陽と別段変わる所はないのだが、その年最初の曙光を目の当たりにするというのは、やはり節目、かけがえのない時を心に受け止める「縁」となるであろう。
聖書の時代、エルサレム神殿では、新年(春分、あるいは秋分)太陽が昇ると共に礼拝が開始された。真東に向って神殿は建てられているので、新年、最初の光が正面大扉から光が射し込み、最奥の聖所を照らすと同時に、賛美と祈りが捧げられ、礼拝が始まるという案配だったらしい。預言者イザヤは、この新年の礼拝において預言者としての召命を受け、何らかの就任の祭儀が執り行われたようである(イザヤ書6章)。新しい光は、新しい出来事を生じさせる。
「東」とは、「ひむがし」、「日に向かう」から来ていると言われる。光に向かうことで方向を定め、そちらに出発して行った人間の営みが、この一語には込められているだろう。ヘブライ語にも「東」という言葉には、「会う」「迎える」「出迎える」という意味も込められている。しかも動詞の場合には強意形ピエル態で使われるゆえに、人と人との関係(出会い)のみならず、神との出会いがまさにそこでなされる、という理解があると言える。但し、聖書の世界では、昼日中の太陽の光は余りに強烈だから、月や星のひかりによって、正しい道を見いだすという感覚だったと思われる。砂漠を渡って遥かな旅をする隊商は、日中の強烈な日射しを避けて、夜、その道中をたどるものである。
今朝は、マタイが記すクリスマス物語に目を注ぐ。ルカ福音書では羊飼いが、他方マタイでは東方の博士たちが、誕生の主イエスに最初にお目にかかったと伝えている。どちらも中心、真ん中ではなく、片隅、周辺、端の方に生きている人々である。東方の博士、今のイラクあたりに暮らす古代の知識人たちであろう。なぜ彼らはやって来たのか。口語訳聖書ではきちんと訳出されていたが、新共同訳には削除された用語が隠されている。「見よ」、読者への注意喚起の言葉あるいは合いの手のような調子を整える言葉なので、敢えて訳出する必要はないと言えるのだが、1節「見よ、東の博士たちがエルサレムに来て」と語られる。この「見よ」は、もう一度すぐ後に繰り返される。9節「すると見よ、東で彼ら(博士たち)が見た星が、先立って進み」、ここで「見よ」が何を強調しているかを確認する必要があるだろう。「東」そして「星の光」が、この「見よ」の強調点、注目事項なのである。
彼らはヘロデ王にこう語っている「わたしたちは東方でその方の星を見たので、やって来たのです」。わざわざはるかに旅をしてここまでやって来た理由は、ただ「その方の星を見たから」なのだという。星を見て、その光を、決してぎらぎら輝く、眩い光ではない。福音書は、最初から最後まで、「星の光」と遠慮がちに表現するのみである。赤く大きく輝いている星ではない。おそらくは微かな光を見て、長年の研鑽と経験からの知恵によってキリストの誕生を知って、はるばるペルシア、現在のイラク辺りからやって来たのである。この世の判断からすれば、余程の酔狂である、物好きである。人間の中には、そういう人がままあるかも知れない。金にならない、世のために実利があるわけではない。そして何の保証や報酬があるわけでもないことに、骨折り損のくたびれ儲け的に、一生けん命に力を尽くす。それでいてもう一度人生があるとしたら、同じ仕事がしたいとうれしそうに語ったりする。この世にそういういう人がいるからこそ、この世界は救われているのかもしれない。すべて経済や損得や勝ち負けだけだったら、余りに寂しすぎる。それにしても「微かな光を見る」というのはどういうことか。
もう6年前になるが、2017年のアドヴェントの期間、12月10日に国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」“ICAN(アイキャン)”へのノーベル平和賞授賞式がオスロで開催され、その関係者のひとり、サーロー節子氏が世の人々に向けて、一人の被爆者として講演をされたことを今、思い起こす。「核兵器の使用も辞さない」と政治の指導者が、恥じらいもなく公言してはばからない時代がまた回帰している現在である。
氏はこう語っている。「米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、私は13歳でした。8時15分、私は目をくらます青白い閃光(せんこう)を見ました。静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、私は、自分が壊れた建物の下で身動きがとれなくなっていることに気がつきました。私は死に直面していることがわかりました。私の同級生たちが『お母さん、助けて。神様、助けてください』と、かすれる声で叫んでいるのが聞こえました。そのとき突然、私の左肩にふれる手があることに気がつきました。その人は『あきらめるな!(がれきを)押し続けろ!蹴り続けろ!あなたを助けてあげるから。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう?そこに向かって、なるべく早く、はって行きなさい』と言うのです」。
この「声と光」がどこから来たのか、不思議な情景である。肩に置かれた手、そして声、誰の声だろうか。そして崩れた建物のがれきを通して漏れてくる、決して明るくはない、「ひそやかな光」とは何だったのだろうか。
東からの博士たちは、多大な学識や経験を積んでいるのだろうが、やはりただの人間なのである。彼らはユダヤの地に着いて、まずどこに行ったか、エルサレムにあるヘロデの宮殿である。ユダヤの王が生まれたというなら、それは王宮に違いない、極めて常識的、この世的、ありきたりの判断を下していることが知れる。彼らはヘロデに尋ねる「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」。博士たちは星の光を見失ったのである。どこに行ったらいいのか、彼らもまた分からなくなってしまい、立ち往生してしまった。だから王宮に行って王に尋ねたのである。ここに私たち人間の現実問題が、極めてあらわに語られている。
人間が判断する正しさには、やはり限界がある。自分の正しさを、神のみこころと一緒くたにし、かたくなにその正しさに固執する。そうすると自分の光ばかりが大きくなり、他のものが見えないほど、輝いて、神の光を見えなくさせてしまう。そうではない、神の光は強い弱いというよりは、人間の思ってもみないところに、輝いているものである。目で星を観測する時、特に小さな光の弱い星を見るときには、まっすぐに見つめていては、かえって見えないと言われる。横目で見るといいのだという。私たちの目は、まっすぐの光だと見えにくいところがあるらしい。横からの光だと見える。神の光はまっすぐにばかり射してこない。
立ち往生して、どうにもならなくなった博士たち、預言者の伝えた「ベツレヘム」という言葉に従って歩み出した時、再び星の光が現れて、彼らを導くのである。自分で目標を定め、正しさを設定して、そこを目指して歩む。そういう「目指す」ことから「導かれる」ことへの転換が、博士たちに生じた。だから彼らは10節「喜びに喜んだ」、人生が変わったのである。神はそういう光を、どこかに必ず準備されているらしいのである。決して眩い、誰もかれも伏し拝む異様な、大きな光ではなくて、ほとんどの人は気づかない、しかし傷ついた者、絶望して立ち往生している者、寄る辺なく蠢ている人々の所にもたらされる微かな光、その光を「見よ!」。
先ほど引用したサーロー節子氏の言葉をもう少し続けよう。「私は13歳の少女だったときに、くすぶるがれきの中に捕らえられながら、前に進み続け、光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、広島の廃虚の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。『あきらめるな!(がれきを)押し続けろ!動き続けろ!光が見えるだろう?そこに向かってはって行け』」。
この時の声、そしてこの時の光が、氏の人生を貫いている。この時の声は、羊飼いが聞いた声であり、この時の光は、博士たちを導いた星の光にも重ねられるだろう。私たちもまたそのような声と光に出会っているのではないか。言葉によって導かれて、進み続け、光に促されて動き続ける、赦された人生の間、そのように「導かれて」、しかし「あわてないで」歩んで行きたいと、この年の瀬に願うものである。