自由律俳句でユニークな作品を世間に問うている、せきしろ氏のエッセーに『それからゆで玉子』という小文がある。ちなみに氏は「喉飴5秒で粉々」、「カバーはいらないと言ったのにしてる店員の手」、「嫌いな人の影も長くなる夕方」等の句をものしている。こんな文章である「妻が病気になった。人間誰にだってそういうことはあって、それはいつでも突然であることは頭でわかっていたのだが、驚き、ただただうろたえ、悪いことしか考えなくなった。手術の前日。私はまったく落ち着かなかった。大きな原稿の締め切りが迫っていたので一応取り掛かるものの、一向に進まなかった。ネガティブな単語は書きたくなかったし、ポジティブな単語は自分の原稿に合わなかった。原稿は諦め、ひと眠りしようかと思ったがまったく眠れず、朝イチで病院に行かなければいけなかったので寝ないことにした。若い頃はよく聞いていた新聞配達のバイクの音を久々に聞いた。夜が明けて、病院から少し行ったところに〇〇珈琲店があることを思い出し、そこに向かった。開店と同時に入店して、コーヒーとモーニングを注文した。相変わらずいろんなことを思案していたものの、周りを見渡すといつもの日常があって、スポーツ新聞の見出しの色でさえも日常であり、自分の非日常が薄らいでいった。妻に何かあったらすぐに自分も後を追おう。そんな極端な決意をしたら落ち着いた。バターが染み込んだ厚めのトーストをいつものように頬張った。ゆで玉子がいつもより綺麗に剥けた」。
この人の文章は、声に出して読んでいくと、すべて自由律俳句のような雰囲気を持っているように感じられる。「周りを見渡すといつもの日常があって、スポーツ新聞の見出しの色でさえも日常であり、自分の非日常(切迫さ)が薄らいでいった」。朝食を摂ることで、あたりまえの日常がよみがえり、切羽詰まった大変さを抱える中にも、落ち着きが生み出されて来る。「バターが染み込んだ厚めのトーストをいつものように頬張った。ゆで玉子がいつもより綺麗に剥けた」というのは、それでも生かされているという実感でもあろう。
何はともあれ、ご飯が食べられる、というのはつくづく幸せだと思う。特に朝食、栄養学的にはいろいろ議論はあるだろうが、一日の活動の前に食べる、生きるために食べることができるのは食事の意味に適っているといえるだろう。若い頃は、食べずに学校や仕事に出かけたものだが、年齢を重ねるにしたがって、いつの間にか朝食の習慣が身について、おいしく感じられるのは、なぜなのだろうか。私たちの住む東アジア圏では、中国はじめ各国で共通して「もうご飯(朝ごはん)は食べましたか」が、挨拶の言葉としても用いられてきたことに、成程と感じさせられる。
さて、今日の聖書個所、ヨハネ福音書21章以下であるが、この福音書の補遺、つまり最初の原福音書には、記されなかった逸話が付加されたいわば「おまけ」の部分である。「おまけ」は色々な意味で美味しいものだ。付加されたにはそれ相応の理由がある。復活の主との出会いを語るテキストの中で、これほど魅力的な話はないだろうから。朝早く、ガリラヤ湖のほとりで、炭火が熾してある。焼きたてのパンと炭火で焼いた魚、さあ朝飯を食べよう、と主は言われる。ガリラヤ湖は鯛に似た魚が取れるという。かつての海水魚が淡水魚になったらしい。朝の光の中、弟子たちと復活の主が再会する。そして一緒に朝ごはんを食べるのである。何と言う麗しい光景であろうか。しかも、その朝食を整えてくださったのは、主イエスご自身の手なのである。パンと焼き魚のシンプルであるが、主の手料理である。主はまかない人、調理人としても働かれるのである。かつて「私作る人、私食べる人」という食事についての役割の固定化キャッチが物議をかもしたが、主イエスはここでは「調理人、給仕人」として働かれている。
この麗しい朝食の出来事の前には、こう記される。ペトロが突然「漁に行く」と言い出す。所在無いままに、ただ呆然としている訳には行かない、体を動かして、何か気を紛らわしたいということだろう。倦怠や逡巡、空虚感から自分を取り戻したい時に、身体を動かすというのは、確かに効果がある。ペトロにならい他の弟子たちも、湖に乗出し、夜通し働いた、が「何も取れなかった」という。岸辺に立った復活の主は言う「子たちよ、何か食べるものがあるか」。
この文章、細かい意図が込められている。この食べ物は「主食」でなく「おかず」というような意味合いである。ここにも著者の巧みな洞察がある。私たちはとかく「食べるために生きる」と考えて、己の口を糊する術をあれこれ思案し、身体を動かすのである。そうした日々の営みは、軽んじられてはならないし、人生に活力を賦与するだろう。但し、自分の食い扶持を稼いでこそ一人前、生きる価値だと見なすのも狭量だろう。人間の稼ぎは、本質的には「おかず(副食)」なのである。本当に私の生命を支えるものが何であるか、満たすものが何であるかをよくよく思い巡らさねばならない。そうでないとすぐに「生産性」という物差しでのみ、人間の価値を計るようになるだろう。
しかし「生命を支えるもの」が取れたか、という主イエスの問いは、人生への大切な問いかけである。あなたがたは、「生命を支えるもの」を見つけているか。それをどのように手にしようとするか。そもそもあなたがたは人間の力によってだけ、それを獲得しようとしているのではないか。そもそも生命はひとえに神からのものであって、神の恵みであり、人間の努力やスキル、熟練によって得られるものではない。ペトロも網元の漁師、魚を取るプロの中のプロである。その熟練の手のわざも「役に立たない」ということがある。「何もありません」、「なにもできません」。「真実の生命」の問題、自ら望んだのでもなく、不思議にこの世に生まれて、与えられた人生を生きて、死んで、さらにその先の事物について、人間の手の業の何と空しいことか。もし、人の努力で埋めることができないもの、人間の力でどうにもならないものに直面する時には、「ありません」と素直に神の前に降参しお手上げするしかない。しかし、そこから始まる神のドラマ、出来事があるのである。
主は言われる「舟の右側に網を下ろしてみなさい」すると153匹の夥しい魚が獲れた。この「153」という数字に蘊蓄を巡らす人もいる。この時代、世界の民族が153と信じられていた、とか、その数字は「三角数」といって特別な完全数、三位一体を現わすとか言われる。本当はただ「たくさん」という意図であろう。ないないづくしの弟子たち、初代教会の中に、そのような復活の主の大いなる恵みが盛られる、それが「153」という数字なのだろう。そうした自分たちの無力さと主イエスのみわざの間に、祝福の朝ごはんが始まるのである。
爽やかな早朝に。キリストにふれた者たちが食事を共にする、焼きたてのパンと香ばしい魚を分け合って主の思い出を語り合う。するとおなかもこころも暖かくなる。そこには復活のイエスも食卓を共にしておられる。その時に私たちは復活のイエスに会うことができる。「あなたはどなたですか、と尋ねる者はいなかった」。これはヨハネの教会の体験の比ゆだろう。食事のしたく、焼きたてのパンと香ばしく焼けた魚、わたしたちは少しばかり体を動かして、イエスのみ言葉にしたがって、主イエスの言われたように働くのである。そこに主の喜びと恵みがあふれる。「さあ来て、朝の食事をしなさい」、今も主は教会に呼びかけておられる。
ある新聞のコラムに、聖書の一句が引用されていた。「『乳飲み子の舌は渇いて上顎(あご)に付き、幼子はパンを求めるが、分け与える者もいない』。エルサレムの飢餓を嘆く旧約聖書の『哀歌』の一節だ。紀元前6世紀にバビロニアに包囲、征服された頃の伝承という。多くの住民が連れ去られた『バビロン捕囚』である。その後も長い離散と迫害の歴史をたどったユダヤ民族を結束させ、信仰を確立させた原点とされる。イスラエル建国はそうした歴史からの脱却でもあった。昨年10月、イスラム組織ハマスの越境攻撃でコンサートの観衆が殺害、拉致された際にもその伝承が語られた。しかし、半年にわたるイスラエル軍の攻撃でパレスチナ自治区ガザ地区に『哀歌』を思わせる飢餓状況が生まれつつある」。『剣に貫かれて死んだ者は飢えに貫かれた者より幸いだ』。『哀歌』は飢餓の極限状態を描く。そんな古代の悲劇を現代に再現させてはならない」。(4月9日付「余禄」)
旧約のみ言葉は、それが昔々の過ぎ去った出来事でなく、今、世界の中で起こっている事実であることを私たちに指し示している。そして同じパレスチナ、ガリラヤの朝の食事の場面もまた、現在の私たちの世界での、最も至福の状況であることを、教えているであろう。今、哀歌の世界ではなく、福音書の世界を、私たちは生きることはできないのだろうか。復活の主と共に、質素だがこの上ない上質の、朝ごはんを分かち合う、これこそが「復活」の出来事そのものであろう。そこには、復活の主が食卓を整え、待っていてくださるのである。ペトロのように、一目散に湖に飛び込んで、水辺におられる主のもとに駆け寄りたい、と願う。