初夏の日差しとなり、教会の子どもたちが、外で水遊びを始めた。水を汲んで、シャボン玉を飛ばし、水鉄砲で水を掛け合っている。もっとも冬の寒い時期も元気に水と戯れているのだが。子どもは「水」が好きでと親しみ、水と遊ぶ、なぜななのだろう。
谷川俊太郎氏の作品に、『川』と題する詩がある。「母さん/川はどうして笑っているの/太陽が川をくすぐるからよ/母さん/川はどうして歌っているの/雲雀が川の声をほめたから/母さん/川はどうして冷たいの/いつか雪に愛された思い出に/母さん/川はいくつになったの/いつまでも若い春とおないどし/母さん/川はどうして休まないの/それはね海の母さんが/川の帰りを待っているのよ」。
滔々と、あるいはちょろちょろと流れる水、川について、子どもは「なぜ」の疑問を親、とりわけ母親に投げかける。その母が、やさしく温かな言葉でこれに応える。親としてこんなに素敵な答え方が出来たらと思うが、生憎、この詩人のような感性を持たない。「川」、「水の流れ」がいのちを育み、いのちを支え、いのちの源である、そして「帰りを待っているのよ」、私たちはひとり放って置かれ、消え果てるのではなく、「待たれている」のだ。
生命を支えるもの、多くの災害、災厄を通して、くりかえし知らされることだが、阪神淡路、東北、熊本、そして能登半島の大きな地震災害では、やはり一番の問題は、水が止まってしまうことである。これは生命を直撃する。人間ひとりが、健康で文化的な生活をするために必要な水の量が50リットルだとされる。この国では、ひとりの人が毎日どのくらい水を使っているか。375リットル。随分恵まれていると言える。
能登半島地震では広い地域で断水が続き、今もなお水の確保が十分にできず問題となっている。水道管が復旧せず、飲み水やトイレ、炊事洗濯などに使う生活用水をはじめ、いざというときの消火栓が使えない地域もある。そんな中、井戸が注目されている。直後の急場で既存の井戸が活用されることはもちろん、新しく掘るという試みもなされている。
ある大阪の地質調査会社は、2月末までに輪島市や穴水町などで計14カ所の井戸をボランティアで掘ったという。輪島市で民家の敷地内を掘削し5.5メートル掘り進め、20分ほどで水が湧き出た。その会社の担当者が言う「日本は古来、井戸を使っている。多くの地域で水が出ると思う。水源の調査は別として、掘削に1日あれば水を出せるだろう」。さらに識者(室崎益輝氏)はこう言う「水道管はいろんな箇所を修繕しなくては開通せず、復旧が遅れることもある。井戸を掘ったほうが早く水を使える場合もある。井戸水は使っていれば湧いてくる。普段から生活用水として日常的に使えば環境にもよい。水文化を見直すことが防災にもつながる」と。「使っていれば湧いてくる。使わなければ涸れる」という言葉が、含蓄深い。これは「井戸水」だけの事柄ではなく、人間の日常の問題をあまねく言い表しているとも言えるだろう。
今日の聖書、ヨハネ福音書7章37節に「祭りが最も盛大に祝われる最期の日」とある。この祭りは「スコト」という祭りである。ユダヤには大きな祭りが年3回ある。「過越しの祭り」、これは春の祭り。「ペンテコステ(七週の祭り)」、これは夏の祭り。そして「スコト」、仮庵の祭り、これは秋の祭り、「収穫祭」である。そして古のイスラエルの人々が、奴隷の地エジプトを出た後、荒れ野を40年間彷徨った事績に結びつけられている。野原の灌木、木の葉を用いて仮小屋を建て、そこで食べたり飲んだり、泊まったりキャンプ生活のような一週間を過ごすという。今でもユダヤ人は自宅の庭にテントを張って、そこでこの祭りを祝う。もっともこの祭りはぶどうの収穫と関係があり、その時には、村人皆が一斉に数日間、ぶどう畑で摘み取り作業をするために、ぶどう園に仮小屋を作って泊まり込んで過ごしたことに由来する。主イエスの時代になってからも、キャンプ気分で、人々はさかんに歌や踊りで盛り上がり、ひと時、楽しんだことだろう。
その祭りの中で、主イエスは立ちあがって大声で言われた。主は大きな声の持ち主だった。「渇いている人は誰でも、わたしのところに来て、飲みなさい」。なぜここで「水」なのか。それはこの祭りで行われた儀式と関係がある。仮庵の祭りの祭儀で、祭司は神殿の近くにある有名なシロアムの池に降りて行って、水を汲むのである。その水を神殿の祭壇に注いで、祈願する。神が雨を降らせ、泉の水、井戸の水を豊かに満たしてくださるように、やはり生活の営みの一番の課題が「水」の問題だったことがよく分かる。では民衆はどうしていたのだろうか。おそらく自分たちも池から水を汲んで、それを掛け合って楽しんだのではないか。初夏の陽気となり、教会でも子どもたちが楽しく水遊びを始めた。もとも冬でもしているので、元気さは格別である。水に触れることは、本能的な喜びが感じられるのだろう。ユダヤの「仮庵の祭り」は「水かけ祭り」でもある。水を身体に感じ、その生命の恵みを味わうのである。
その人々の喧噪の中で、「渇いている人は誰でも、わたしのところに来て、飲みなさい」と主は叫ばれる。「ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ」と宮沢賢治が詠ったように、災害や渇水で、水が乏しければ、人は渇きのために生命を失いかねない。しかし、水が豊かに湧きあふれ、それを掛け合って喜び、楽しむ中にも、まさにその中に「渇く」という人間の事態が起こる。私たちの生命のために最も大切なものが満たされない、ということがある。
主イエスはサマリヤの女との対話の中でこう言われたではないか。「この水を飲むものは、誰でもまた渇く」、井戸の水を何度飲んでも、本当に魂の渇きが癒されることはない。大地震で水道が止まり、多くの人々が飢え渇いた。苦労せず、ごく当然のように、外から与えられるだけの水は、それが止まってしまえば、もうどうしようもない。これまでの震災で必ず語られたことは何か、「昔はどこの家にも井戸があったもんだ。今もそれがあれば」、とぼやいた被災者も多かった。「この水を飲むものは、また渇く」この主の言葉の通り、信仰もまた同じ面を持つ。一度、神の言葉をいただいても、私たちはまた渇くのである。魂の渇きは、留まるところを知らない。「使っていれば湧いてくる。使わなければ涸れる」だから毎週、毎週、礼拝に集い、新しい生命の水をいただいて帰るのである。
しかしそこから、人知らず、我知らず、生まれ出るものがある。38節「その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」。主イエスの生命の水、ことばを繰り返しいただく人は、いつかその人の内、腹から生きた水が川となってあふれ流れ出るようになる。つまり自分の魂に、井戸を掘れ、そこから水を汲め、というのである。それは自分をうるおし、他の人もそれにあずかるようになる。
震災の中、渇きを抱えながら、わずかな水を大切に分かち合う人々の姿があった。こういうところに、心の井戸から湧き出る命の水を思う。ほんとうに渇きをいやすのは、このような水である。心の井戸からの水を飲んでいるかどうか、私たちの人生はこれを問われるのであろう。
「水」にまつわるこういうエピソードがある。「あるイスラム圏の村で井戸の掘削事業を行ったときの出来事。日本のスタッフが最初に村を訪れた時、女性たちは恥ずかしがって出てこなかった。(イスラムの女性は慎み深いからだろうな)と日本のスタッフたちは思ったのですが、井戸が整備された後にもう一度訪問した時には、女性たちがうれしそうにみんなの前に出てきたそうです。理由を聞いたらこうでした。井戸ができるまでは、水不足のため服を洗う余裕などなかった。汚れた服のままでは恥ずかしくて、人前に出ることができなかった。けれども、井戸が整備された結果、服が洗えるようになったのでもう姿を見せても恥ずかしくないんです――。彼女たちはこう話したそうです。水は生命を維持するための飲料というだけではなく、人としての尊厳にもかかわってくる存在なのです。健康で文化的な最低限の生活、日本国憲法で謳われている基本的人権の確保にとって水は必要不可欠だ、ということだと思います」。水が心にまで届いている証である。一つの小さな井戸が、人々の心の井戸にまでなっている。平和の構築とはこういうことだろう。
主イエスは言われる、34節「あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない」、震災のさまざまな困難の中で、「水」ほど深刻な問題もないだろう。ところが水ほど日常的、当たり前のものもないのである。喪われて初めて、そのかけがえのなさを知らされるのである。しかし主イエスは、目に見えない姿で、共にいてくださることを約束してくださった。だから、水源が地の深みにあって見えないように、主イエスもそのような水の源となって「その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」のである。ところが「使っていれば湧いてくる。使わなければ涸れる」のである。