少し暖かになったと思いきや、また寒波が襲う、三寒四温の時季を迎えた。雪国では、ドカ雪との格闘がまた続く、生命を守る苦労が偲ばれる。雪国の地方紙にこう記されていた。「新潟市内にドカ雪が降った翌日、土曜日の朝のことだ。いつもと同じ時間に郵便受けを開けたけれど、そこに新聞はなかった。さすがにこの雪では無理なのだろう。奥まった玄関から道路までの雪を、人が歩ける程度によけて、そそくさと家に戻って暖を取った。燃えるごみの収集日でもあった。ごみを出している人はいるか、ステーションへ見に行こうとしたときだ。2時間前によけた雪の上に、長靴らしき足跡が残っていた。跡は家に来て、また道路へ戻っている。もしやと郵便受けに手を伸ばすと、そこに新聞が入っていた。
燃えるごみの収集車は、いつもとさほど変わらない午後の早い時間に、でこぼこ道をやってきた。ごみ袋を回収すると、また車体を揺すりながら去って行った。」(2月18日付「日報抄」)
こういう話題にふれると、普段忘れている「おかげさまで」という思いが深く湧き起こって来る。日常生活のあたりまえの根本を支える諸々の働き、最近はエッセンシャル・ワーカーと呼ばれる方々の労苦の重さ、大変さを思うと共に、そういう仕事の深刻な人手不足が伝えられて、複雑な気持ちにさせられる。これから私たちの生活は、どうなって行くのだろうか、今までのようにはいかないとすれば、私たち自身が、発想や生き方そのものを変えなくてはならないのだが、どのように変えるのか。
「頼まれごとは試されごと」(中村文昭)という言葉を耳にした。ある実業家が講演に語ったものらしい。頼まれるということは、相手はこの人を信頼できると思って頼んでいる。だから実は試されているということなんだ、ということで、他者から頼まれたことを前向きに捉え、その人に感謝されるよう取り組むことの大切さを意味する言葉であるという。この一言を巡って、こういう姿勢の是非、仕事に対する姿勢、生き方について、いろいろ議論が繰り広げられている。皆さんはどう考えるか。先ほどのコラムで、大雪の中、いつものように日常生活が支障を来さないように、と額に汗し働く人々のこころにあるもの、そのまことに、私たちも心を伸ばしたい。
今日の聖書の個所、マタイ福音書15章の「カナンの女の信仰」と題されている記事は、他の福音書には、マルコ7章に見ることができる。まずマタイとマルコだけに共通する話というのがめずらしい。もともとマルコ福音書に描かれたこの記事を、マタイもまた自ら書に採用したということだが、ルカ、及びヨハネには省かれている、というのはどういうことか。「ティルスとシドンの地方」の出来事として伝えられるところに、その訳を知る鍵があるだろう。ユダヤ・ガリラヤからちょいと一足、北に上った異邦の地、外国である。主イエス一行は、異国に足を踏み入れているのだが、もちろんこの時代、パスポートやビザなどない時代だから、今ならば不法侵入者として、即刻、収監されて強制退去という憂き目に会うことだろう。まあ地元民は日常的に、相互に物々交換や取引等、商売めいたことはしていたはずである。その体で、主イエスの一行も息抜きの小旅行に出かけた、という具合か。ところがそこで現地の外国人の女が、どこから噂を聞きつけたのか、悪霊払い、癒しに力のあると評判のナザレのイエス一党が、お忍びで滞在していることを知って、やって来たのである。即ち、異邦人、外国伝道への先鞭をつける出来事ということになる。
ルカやヨハネの教会は、まさに異邦人教会の拠点の如く、さまざまな出身の人々に盛んに伝道するような趣があったから、こういう話題はお話にならない。主イエスが、こんなに外国人の求めに対して消極的で、否定的な態度を示していることに、合点が行かないのである。今日のマタイによれば「イスラエルの失われた羊以外には遣わされていない」、という返答や、「子どもたちのパンをとって、子犬に投げてやってはいけない」という冷たい言葉を、しかも主イエスご自身の言葉を、どうにも理解できなかったのである。しかしマルコとマタイは、主イエスが明白に「ユダヤ人」であったという事実を隠すことはできなかった。やはり主イエスもまた、ナザレのひとであり、イスラエル(ユダヤ)と異邦世界を当然のように区別し意識していたのである。
しかし殊更、「イスラエルの失われた羊だけ」という差別的な物言いをしたのか、幾分かは想像を巡らすことができる。「この地に生まれたカナンの女が出て来て、『主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています』と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった」。主イエスの沈黙というよりは無視の態度はやはり冷たいと感じるが、この態度には訳がある。「悪霊払い、病の癒し」は、主イエスだけの占有専権事業ではなくて、どこの国、どこの市町村にも、そうした「霊験あらたか」な癒しの活動は掃いて捨てるほどあったのである。因みにギリシャには、「アスクレピオス医師団」が人気高く、押しの子たちも大勢、付き従っていた。但し、そうした活動を行うにあたっては、「領分を守る」、即ち「余所のシマを荒らしてはならない」、という暗黙の了解が仁義としてあった。パウロなどは宣教旅行に際して、そんなこと意に介さずお構いなしに活動したものだから、地元の顔役との軋轢を生んで、騒ぎを起こして幾たびか投獄されるという憂き目を見た。しかし彼には伝家の宝刀「ローマの市民権」があったから、ついに念願のローマにまでたどり着くのである。
しかし、地元の女が、「憐れんでください」と大騒ぎして、やって来て、冷たく無視しても退散しないのである。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」と弟子たちが訴えたのもよく分かる、この騒ぎが商売敵の耳に入ったら、ただでは済まされない。自分たちの身が危うくなる。そのような「憐れんでください」なのである。これでは主イエスも相手をせざるを得ない、何とか穏便にことを済まそうではないか。
「憐れんでください」、ラテン語で「キリエ・エレイソン」、伝統的な礼拝では、開会にあたり、司式者と会衆が交互にこの言葉を呼びかけることで、礼拝が始まる。歴史を遡れば、紀元3世紀頃には既に、シリアのアンティオケの教会の礼拝の中で、「連祷(リタニー)」の形式で用いられていたようだという。今日の聖書個所の舞台は、まさに「シリア」である。この伝承が、最初のキリスト者の心に深く刻まれ、大きな刻印を押して、「礼拝」という主イエスとの出会いの始まりに、この女の叫びを繰り返し思い起こしたということである。「主よ、憐れんでください」、この言葉は、もちろん旧約聖書、詩編詩人の言葉にも繰り返される有名な言辞である。しかし、今日の個所の「憐れんでください」は、大きな拡がりを有する声である。他の個所では、自身の身に病を負い、しょうがいに苦しむ人が、その痛みや辛さのゆえに、「憐れんでください」と叫ぶ情景として描かれる。しかしここでは、「娘が悪霊にひどく苦しめられています」と訴えるのである。自分ではない、娘の病のことで、その苦しみや痛みを背負って、その娘に成り代わって、主イエスのもとにやって来たのである。世間に親情といい、人は母の涙というが、娘の辛い病を自分自身も背負いながら、やって来たのである。
「憐み」これは元々の言葉では「腸がよじれる」という表現である。沖縄の言葉には。これに近い言い回しがある。「肝苦(ちむぐる)しさ」、古い日本の言い回しである。「腸ねん転」という症状があるが、そのように胃腸がよじれて、今にもちぎれそうになっている様子を表している。「憐れんでください」、とは文字通りには、「あなたのはらわたがちぎれてください」「痛さと辛さをあなたも味わってください」といういささか物騒なお願いとなる。そして聖書ではこの「はらわたのちぎれる思い」は、第一に、人間のものではなくて、「神の思い」であると教えている。神の義、その正しさは、「憐み」の内にある、と主張される。それは神という方は、自らのはらわたがちぎれる痛みを知っておられる、というのである。この異邦の女は、娘の痛みをわが身の痛みとしつつ、神の憐れみ(痛み)に向かい、訴えるのである。初代教会がこれを礼拝の始まりの第一の祈りにしたことは、十分に頷ける。
最初に紹介した記事の後半をもう少し、「どちらの働き手も、きっと難儀をして出勤したに違いない。除雪が追い付かず、歩道も埋まり、歩けない所はたくさんあった。自転車やバイクでは到底、走れない。休日で助かったと、胸をなで下ろしていた自分が情けない。交流サイト(SNS)では、やはりドカ雪に見舞われた北海道帯広市で胸まである雪の中、こぐように出勤する看護師の動画が流れてきた。自分を必要とする人を思って踏ん張っているのだろう。使命感に頭が下がる」。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」、この物語で、主イエスの最後の答えがこれなのだが、余り良い訳文ではない。もう少し訳せば「あなたの信実(まこと)は大きい、あなたのこころそのままに」。病の娘と、母親、そして主イエスのこころが、ここにつながる。はらわたの痛みの中で、癒しは起こる。「その時、娘の病気はいやされた」。