「逆風のために」マタイによる福音書14章22~34節

ある大学の研究室のHPが、こういう研究室レポートを記している。「令和2年度の新入生は、入学式もなければ、キャンパスへの立ち入りも暫く許されなかった、言わば不遇の年次でした。秋に開講された『ファンダメンタル・セミナー』という科目で、私は初めて教室で彼ら一年次生25名と対面しました。すぐに感じ取られたことは、彼らがそれまでの年次よりもある意味で『敏感』である、ということです。入学した途端に強いられることとなった自粛と鬱屈(うっくつ)の生活を通じて、彼らはこれが果たして学生生活と言えるのだろうか、自分は何のために大学に入ったのだろうか、と自問してきたように思えます。彼らは半年に及ぶこの内向生活の間に、社会の様々な出来事に対する、そしてまた自分自身の生き方に対する、批判と自省の『眼』を知らず知らずに養ったのではないでしょうか。またその「眼」をもってコロナ禍を見詰めたとき、今日でも差別が決してあり得ないわけでないこと、人権がいつどこでも容易く保障されるわけでないことを、直観したのではないでしょうか」(川合全弘「コロナ禍が育てた若者の『歴史眼』」)。

この歴史学専攻の大学教師の学問的テーマの一つが、「ナチス・ドイツ史」であるそうだが、普通、学生たちはその歴史のプロセスを「当時が道徳面でも制度面でも現在と全く異なる『野蛮の時代』であったからか」、あるいは「ヒトラーという特殊な極悪人が暴力や宣伝によって一般人にそれらの残酷事を押し付けたからだ」、と解釈しがちだという。しかしコロナ禍を経験した学生たちは、こう考えるようになるという。「自分たちの生活が壊されるという危機意識から心の余裕を失ったドイツ人は、言わばすがりつくような激しい思いでナチズムを支持したこと、コロナ禍における日本人の動揺振りを思うならば、ナチス・ドイツ史上の異常な出来事を他人事でなく我が事として見る謙虚な姿勢が必要であること」に眼を開くというのである。こうした「眼」が、「入学した途端に強いられることとなった自粛と鬱屈(うっくつ)の生活を通じて」生じた、というのは、天からのギフトと呼びうるものなのだろうか。

さて、今日はマタイによる福音書14章22節以下の記事「湖の上を歩く」と題されている個所に目を向ける。これは物語後半の記事に重点が置かれた表題である。確かに、25節以下の主イエスとペトロを巡る逸話には、極めて興味深い要素がある。湖の上を歩いて舟にいる弟子たちの所にやって来られる。弟子たちは皆、「幽霊だ!」と騒ぎ立てる。ペトロが「わたしも歩いてみたい」と願うと、主イエスが「お出でなさい」と招かれる。ところが風と波を見て怖しくなり、おぼれそうになると、主の強い御手がすぐさまペトロを捕まえる。これは主イエスを信じる者たちに与えられる恵みとは何か、を語ろうとする、一種の信仰論的な寓話、また譬話なのであろう。怖れに、主から目を背ければ、海に沈む。

しかしその前段、22節以下の記事が、教会の宣教的視点から見ると、さらに興味深い主張がなされているように思う。「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた」とある。弟子たちを送り出し、そして主イエスのもとに集まって来ていた群衆を解散、つまり散らされるのである。集まったものを、集められたものを、散らされて、送り出される。これは昔も今も、営業活動という見地から見たら、非常に不可解な印象を受ける。折角、市場を開拓し、顧客を得て、商売の地盤を築いたならば、その地の利、人脈を駆使して、さらに営業を拡大するというのが、一般的方策である。それをあっさりと手放すという、しかも主イエス自身の手で。一体、そこからどこに向かうというのか。

マタイはマルコの文章を引き写し(コピペ)、ほぼそのまま記述しているのだが、マルコはその行き先を特定して「ベツザイダ」と記さている。ところがマタイは行き先を「向こう岸」と記すのみである(後の段でベツサイダの地名を記してはいるが)。そこが一体どこなのか、マタイは、知っていてわざとここでは地名を隠しているのだが、なぜ敢えてこの地名を省略するのか。

主イエスと弟子たちは、度々ガリラヤ湖を舟に乗って渡り、いろいろな地域を訪れ、行き来している。弟子たちの多くは、漁師だったというから、舟の扱いには慣れていたろうし、ガリラヤ湖の土地勘にも長けていて、自分家の庭のようなものだったろう。ところが、ガリラヤ湖は南北20キロ、東西10キロ程度の大きさの湖である。「魚を獲る」という積極的な目的があるなら別だが、交通のために舟を使うということに、どれ程のメリットがあるか。確かに順風ならば船足は、徒歩よりも早いだろう、しかし夜の航行、ましてや、暴風の際には、却って時間がかかり、危険すら伴う。この時は、夕方に湖に乗り出して、真夜中まで大風と大波に悪戦苦闘していたというから、優に6時間くらいは経過している。普通の漁師の判断だったら、近くの船着き場に舟をもやい、明け方まで待つか、風の収まる潮時を見るか、あるいはどうしても早くいかねばならないなら、とっとと歩いたことだろう。そこまで「舟」にこだわるのはどういう訳か。

世界の伝説や神話には、「船」が登場する物語が非常に多く見出だされる。旧約にも「ノアの箱舟」「ヨナの物語」等々、船が登場する話が散見される。船は単に人やモノを運ぶ「輸送手段」のひとつではない。「うみ」という道のない底知れぬ水の上を、港から港へと橋渡しをする「媒介」「仲介者」としての神秘的な働きが、強く意識されたのである。即ち、この世の地理的な場所と場所を繋ぐだけではなく、この世とあの世を取り結ぶ「霊的な乗り物」としても、イメージされたのである。帆に風を受けて進む、見えない力に押し出されて先に進んで行くという有様も、霊的なイメージを増幅させるものであった。この国にも古来からの習俗として「精霊船」の信仰が、今も残っている。故人の霊がそれに乗って、この世とあの世を行き来するというのである。聖書にも「ノアの箱舟」の物語が良く知られているが、箱舟は、舵も推進器もないが、古い世界から新しい世界へと旅をする器として、描かれるのである。

初代教会において、自分たちは何者か、どこに向かって行こうとしているのか、鋭く問うたキリスト者たちは、教会を「霊的な船」「聖霊の導く舟」として理解しようとしたのも、当然至極であろう。今日のマタイの記述で、舟の行き先「向こう岸」がどこなのか、具体的な地名が記されていないのも、教会の目指すところ、行くべき場所がどこかを、神学的に捉えようとしているからである。行き先は神が与えてくださる。

マタイの語ろうとする「向こう岸」とはどこか。それはまだ見ていない所、未知の場所という意味があろう。即ち、異邦の世界である。慣れ親しんだ故郷から、異質の世界へ、そこに行くためには「逆風のために波に悩まされる」(24節)苦しい道のりとなるだろう。ここで「イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ」と語られる。その道程は、主が強いられるものだという。この言葉は厳しく響く。教会は安住して、慣れ親しんで、何も煩わされななくてもいい所に隠れ、引きこもっているのではなく、ひとつところから、またもう一つの所へ、即ち「向こう岸」へと、主によって否が応でも押し出されるのである。だから「大風に苦労し、漕ぎ悩む」のである。それが迫害であれ、経済的な困難であれ、人々が教会から去ってゆくという別れであれ、そこで起っている一番の危機は、肝心の主イエスがいないではないか、主イエスの働きが見えないではないか、という不安である。肝心の主イエスは何をしていらっしゃるのか、主は私たちの苦境に丸きり無関心ではないのか。

「(主イエスは)祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた」。山に登って、ずっと祈り続けられた、という。山の上であるから、湖の様子、舟が強風のために漕ぎ悩んでいるのを見ておられるのである。つまり船である教会の様子、そこに乗り込んでいる人々の有様を。つぶさに見て、祈ってくださっているのである。残念ながら、それを忘れている教会がある、私たちがいる。 だから25節「夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた」、明けない夜はない、主イエスは時にかない、ちゃんとお出でくださり、御手を伸ばされるのである。

最初に紹介した文章をもう少し、「満喫するはずだったキャンパス・ライフの代わりにそのような疑いの『眼』を手に入れることが直ちに幸せなこととは言えませんし、また彼らの批判意識と自省の念が全体としてどこに向かい、どう結実するかは、まだ分かりません。しかし彼らが、上述したような『あたりまえ』と思い込まれた日常——日本の平和な現況の自明視——に対して自ら問いを発しうるだけの眼力を養ったこと、少なくともこのことは確かなように思えます。思うにこれは、総じて実り豊かな仕方で学問と取り組むための、彼ら独自の武器ともなり得るはずです」。

「あたりまえ」との思い込みを切り裂く「疑いの眼」を学生は養われるのだという。それ源泉は、「強いられることとなった自粛と鬱屈(うっくつ)の生活を通じて」、なのである。「向こう岸」、弟子たちにとって後で知ることになるが、主イエスの言われる「向こう岸」とは、遥かエルサレム、そして哀しみの道を通って、十字架に至る道である。それは「あたりまえの道」ではなく、神の子が苦しみ、十字架で血を流し、死ぬという出来事への道であった。しかしそれによって、私たちに、「よみがえりの生命」への道が開かれた。今週、水曜日、受難節の始まりを告げる「灰の水曜日」を迎える。深く、主イエスの赴く「向こう岸」に目を向けたい。