今年も梅雨入りが発表された。「梅雨(つゆ)」の語源のひとつに、「ついゆ」、つまり「ついえる」という言葉が基になっているという説がある。じめじめして、かびが生え、食べ物などがだめになり損なわれる、という意味から派生したのだという。だから「梅雨」を「黴雨」と記す習慣もあるとのこと。但し、心にまでかびが生えて、費えてしまわないように、ゆめゆめ気を付けたいものである。
「かなしいのでもいい/よろこばしいのでもいい/こころは/うごいておれよ/なまなましく/かんがえておれよ」、八木重吉の詩である。この詩人は、短く、やさしい言葉遣いで、信仰心のあふれる作品を多く残している。しかし、この作品から読み取れるように、彼の魂には、火のように燃え盛る激しさが、常にあふれていたことが知れる。当然のことだが、決していつも穏やかで、落ち着いた心で生きていた訳ではなく、喜怒哀楽に右往左往しながら、だからこそその心を、祈りとして神に注ぎ出して生涯をたどったのであろう。彼の詩はみな、彼の祈りだとも言えるのではないか。
ヨハネ福音書11章には、「ラザロの復活」の物語が記されているが、そこには、主イエスの豊かな感情の起伏が伝えられていることに、注目させられる。「ナザレのイエスとは誰か」という問いに、「まことの神、まことの人」という応答した古代教会の信仰告白の言葉は、まさにこうした主イエスの「喜怒哀楽」の表現から紡ぎ出された文言であることが、了解される。主と私たちとは、時代も世界もまったく異なったところに足を置きながら、それでも豊かに共感、共鳴できるのは、主の心の有りようが、福音書に見事に伝えられているからである。
今日の個所の直前にある章句、35節には「イエスは涙を流された」と記されている。原文のギリシア語では、たった3単語で、新約中、最も短く、かつ最も美しい聖句とも呼ばれている。愛するラザロの葬られた墓を前に、主イエスが涙を流されている、この主の涙を、あれこれ詮索する向きもある。すぐ後でラザロを甦らされるのだから、愛する者を喪ったことを悲しんでいるのではない、復活を信じようとしない、信仰のない人間の心を嘆き悲しんでおられるのだ、という解釈もあるが、愛する者の死を前に、嘆き悲しむ一人の人としての主の姿が、私たち自身と重なり合うのではないか。インマヌエル、神ともにいますとは、そんな私の涙に、主もまたともに涙されるということではないのか。いや、翻って、私たちは、親しい誰かとの別れ、葬りの時に、魂の底から悲しみ嘆くことがあるのか、この主の涙によって、深く問われる思いにもなるのである。
さて当該箇所には、主の憤りが語られている。38節「イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた」。「再び」とあるように、33節にも、「憤り」の様子が伝えられている。「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して」、再度語られるというのは、やはりその憤りが、大きなものであったということであろうか。昔から、この激しい憤りの理由が何であるか、聖書解釈者たちの頭を悩ませて来たのである。
旧約には、預言者を始めとする「神の人」の激しい感情の吐露が多く伝えられている。精神的(霊的)な大きな高揚感の中に、あるいは極度の激情の中に、神の言葉(託宣)は告げられ、癒しのわざ、あるいは英雄的な行為がなされるというのは、聖書のみならず、普遍的に知られていることである。古代ではカリスマが示す「喜怒哀楽」を神聖なものとしてみなす観念が一般に認められたとされる。
それでも主イエスの憤りが、何に向けられていたのか、解釈者は色々に詮索する。復活を理にかなわないとして信じようとしない人々に対して、信仰心がないことを嘆き、さらに憤った、というのである。主イエスの肉声を聞いているはずのマルタにしても、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と婉曲的な言い方であるが、「もう遅すぎます、手遅れです」という具合に、全く人間的、常識的尺度で発想し、そこから一歩も踏み出そうとしない「頑なさ」に怒っているのだという見方もある。但し、これは余りにマルタに対して、冷たく意地悪な見方ではないのか。
また主の憤りを、「死」そのものに対してのものだという解釈も多くなされている。人類の最後の敵としての死に対して、医学のある分野では、「不死」の研究が今も続けられている。クローンや幹細胞の研究は、これを目指していると言えなくもないだろう。確かに人は無意識の内に死におびえ、死を回避しようとさまざまな努力を試みて来たし、現在も続けている。しかし死は無残にも、例外なくどんな人間にもいつかは襲い掛かり、生物学的生命の終わりをもたらすのである。この「死」に対する私たちの無力感を深く知る主は、ここで死に対して大いなる憤りを起こされている、ということは取りも直さず、私たちが死の軛から解放される途を、ご自身の十字架と復活の歩みによって、開こうとされていると理解される。即ち、主の憤りとは、私たちをよみがえりの生命に導く熱情のあらわれなのだというのである。
この国のキリスト教界でリーダー的な存在でもあった内村鑑三氏は、1912年、原因不明の突然の難病により、数え年19歳で愛娘、ルツ子さんを天に送った。その葬儀の席で、氏は「今日はルツ子の葬式ではなく、結婚式です」と述べた。さらに雑司ヶ谷の墓地に埋葬する時には、一握りの土をつかみ、その手を高く上げ、甲高い声で「ルツ子さん万歳」と大声で叫んだという。
確かに、このひとりの宗教者ほどに強い表現で感情を吐露し、愛する者の死と別れの時をあらわすことは、あまりないであろうが、どこかに主イエスの激情と連なるものがあるとは言えないだろうか。私たちにとっても、「死」は、確かに「終わりの時」であるかもしれないが、また「始まりの時」でもある、と信じて葬儀の場に連なるのである。死で終わりにならないもの、それは何か。今日の聖書個所43節「『ラザロ、出て来なさい』と(イエスは)大声で叫ばれた」ことが、私の死においても起こるということである。主の言葉は永遠になくなることはない、だから「永遠の生命」とは、死んでもなお、主が私たちと共にいて、眠りについた後も、定められた時が来れば、み言葉が告げられるという意味であることを教えているのである。