「旅の途中で」使徒言行録9章26~31節

暦の上では「立秋」、すでに秋を迎えたが、今しばらく残暑厳しい日々が続く。それでも気候の変わり目、そろそろ台風の季節もやって来る。子どもたちがまだ小さい頃、大きな台風の襲来があった。各地で甚大な被害が生じたが、暮らしていた地域でも大規模な停電が起こり、復旧まで大分手間どった。明かりのない真っ暗な部屋でどうにもできず、何とかろうそくを見つけ出し、それを灯して人心地着いた。一本のろうそくの明かりの中で、家族が顔を突き合わせて、さてこの不安な時をどう過ごすか、やはり何か遊ぼうと、トランプで暇をつぶした。「あらしの夜に」、この時の記憶(不安で楽しい)が家族に今も鮮明に残っている。

『あらしの夜に』と題された絵本がある。著者、きむらゆういち、挿絵、あべ弘士の両氏の手により1994年に初版が発行された。大方の好評を博しその後シリーズ化され、小学校の国語教科書にも取り上げられた。このところの国際情勢を背景に、この絵本がまた話題になっているようだ、つい最近、こんな新聞記事を目にした。「『あらしのよるに』という童話がある。激しい風雨を避けて、山小屋へ逃げ込んだオオカミとヤギ。普段なら『食べる』『食べられる』の敵同士の関係にある両者だが、暗がりで互いの正体は分からない。身を寄せ合って話をするうち、かけがえのない仲間になる…子ども向けのファンタジーとはいえ、人間社会への深い問いかけにも読める。先入観も偏見もない状態では分かり合えるのに、それぞれの縄張りに戻れば、相手を快く思えなかったり、おびえたりする。敵と味方を分かつものはいったい何だろう。80年前まで『鬼畜』と呼んで憎悪した国は今や外交上、最も大切なパートナーである。向こうはどう思っているかは別にしても。友情も憎しみも、永遠に変わらぬ保証はどこにもない」(7月10日付「有明抄」)。

「向こうはどう思っているかは別にしても。友情も憎しみも、永遠に変わらぬ保証はどこにもない」、「行く川の流れは絶えずして」と語られるように、すべてのものは途上にあり移り変わって行く、それは国と国同士ばかりではない、人と人との間も同じであるが、二つのものを結び付けるものが何か、また逆に軛や絆を解き放ち、決裂させるものが何か、皆さんはどう考えるか、ごく大雑把に言えば、それは「ことば」であるのだろうが、紐帯になるのは、具体的にはどのような「ことば」であるのか、が問われるべきであろう。

31節にこう語られる。「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」と記されている。もう少し原文に即して訳せば、「さて、教会は全ユダヤ、ガリラヤ、サマリアにわたって、平和を保ち、主(へ)の恐れによって建てられ、歩み、聖霊の呼びかけによって増えて行った」。初代教会、それもごく早い時期に、教会の状況がどのようであったのか、がコメントされている。ここで「平和を保ち」という言葉に目が留まる。何よりも教会には「平和があった」というのである。ではその「平和」とは、いかなるものなのだろうか。何を持って著者は「平和」と語るのか、非常に興味深いテキストである。

26節「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた」。著者はこの使徒の名前を、きちんと使い分けている。「サウロ」と「パウロ」、一方はユダヤ名、もう一方はギリシア名、そこから各々「迫害者」、「使徒」という区分けである。ここではまだ「サウロ」、さもありなん、皆、教会の人々、主イエスの弟子たち、あるいは教会が出来てから召されて教会に集った人々、皆が、彼のことを「恐れた」というのである。使徒のひとり、ステファノの殉教に一枚噛んでおり、キリスト者捕縛のために、意気揚々とダマスコに乗り込んだ素性の男なのである。今日のネットやSNSと同様、古代では「噂」が立ちどころに広まる。もちろん彼が回心し、洗礼を受けたという情報も、教会内には「噂」として広まっていただろう。しかし、その「噂」情報が、そのままストレートに善意をもって、等しく皆に受け入れられる訳ではない。パウロという人物についての評判は、「迫害者」と「回心者」の間で、微妙に揺れ動いていたことであろう。どっちつかず、はっきりと分からない、曖昧模糊という時に、人間は非常に恐れるものである。ここで「信じないで恐れた」という表現は非常に興味深い。信じないと人間は恐れるのだという。目の前のその人間が信用できる、信用できないという目先のことを超えて、取り巻くすべて、状況やら見通し、展開、諸々のものが、恐ろしく思えて、人間を縛り付けがんじがらめにするというのである。

「恐れて」いたのは、教会の人々ばかりではない。28節には「それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった」と記される。「恐れずに教えるようになった」ということは、パウロもまた「恐れ」の中に、最初の教会の人々とのふれあいをしていたのである。それはそうだろう、お互いに得体のしれぬ間柄なのだ。こういうところに、「平和」を創り出す時の課題の典型が潜んでいるのではないか。「恐れ」と「恐れ」がぶつかり、互いの「恐れ」に絡めとられてしまい、疑心暗鬼にかられ、身動きできなくなる。やわらかさや広さ、寛容を失うのである。初代教会もまた、人間の「恐れ」の中に置かれている。

ところが、人間が「恐れ」の中で生きているにしても、教会にはまた別の力が働くのである。ひとつはとりなしの人、バルナバの働きである。この人は余程、気のいい、面倒見の良い好人物である。弟子たちの仲間に加われないで、うろうろおろおろしているサウロ・パウロに声を掛け、一緒に連れ立って、使徒たちの所に案内し、今までの事情や彼の身に起った次第をすべて語り、執り成し、口添えをしたというのである。それでようやく「サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった」のである。ここで「自由に行き来し」と記されているが、正確には「ともにいて、行き来し」、「ともにみ言葉を語った」というのである。バルナバがいなくては、パウロの働きもなかったといって良い。

人間の「恐れ」が、どのようにしたら解消されていくかが、実にはっきりと伝えられているのである。ひとりがひとりに出会うところ。肩書や付加価値なしに、あたりまえのありのままの人間が、ここで出会う。教会は今も昔も変わることはない。ひとり一人の人間が、ともに行き来し、ともにひとつの言葉を、お互いに聞いて聞き合って、語り、分かち合う時に、人間の「恐れ」は変えられていくというのである。

しかしここで、もっと決定的なことが語られている。27節「バルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した」。少し私訳をしてみよう「しかしバルナバが(途方に暮れている)彼をつかまえて使徒たちの所につれて行き、彼が(ダマスコへ行く)途中で主を見たこと、主が彼に語られたこと、また(その後)彼はダマスコでイエスの名で大胆に語ったことを彼らに話してきかせた」。この章句では「話す、語る」という用語と、もう一つ「主、イエス」という言葉が幾度となく繰り返されるのである。バルナバはサウロと使徒たちの間に入り、その破れ口にあって両者をつなぎとめるべく話し、語ったのであるが、その中心にあるのは、バルナバ自身でなくて主イエスであることを、必死に伝えようとしているのである。「信」とは人間がお互いを見つめたり、この人がどんな人であるかを理解したり、言葉を交わしたりすることで生まれるのではない。人と人との背後にあって、私に出会い、言葉を語り、私を手を伸ばして捕まえ、私を押し出して行く方、主イエスがおられることを、ひたすらバルナバは語るのである。あの十字架の道を歩まれ、十字架に付けられ血を流し、命を注ぎ出し死んで行かれたあの方は、ペトロに、ヤコブに、パウロに、そして私に呼びかけ、み言葉を語られるのである。そこにすべての「信」の源がある。

「あらしの夜」運命のいたずらか偶々暗闇の中で出会った二人、狼と小羊、相いれない者同士を結び付けたのは、ただ真っ暗闇の「あらしの夜」の出来事であった。物語の最後の方で、二人はこういう言葉を交わす。「じゃあ、おいらたちの合い言葉は、『あらしのよるに』ってことっすね」、「じゃあ、気をつけて、あらしのよるに」、「さいなら、あらしのよるに」/さっきまで荒れ狂っていた嵐が嘘のように、さわやかな風がふわりと吹いた。

皆さんにとって、「あらしの夜」の出来事と聞いて、どんな記憶を呼び起こすか。私たちにとっての一番のそれは、主イエスが十字架で血を流し、苦しみつつ語られた出来事、「エリ エリ レマサバクタニ」という叫び、このみ言葉によって、神と人間を隔てる壁、神殿の幕が真っ二つに切り裂かれたのである。ここにいつも立ち帰るのである。