ある地方紙にこのような記事を見かけた。「『あっち向いて、ほい』―。子どもの頃、きょうだいや友達と何度も繰り返した。注意しても相手の指の動き通りに顔が動いたのは、なぜだろう。山形県の大学生が、ユニークな新聞広告をデザインした。『まずは、左下をご覧ください』の文字下に矢印がある。素直にその方向に目を向ければ、実は右下。だまされた。隅にある『矢印のように詐欺師は簡単にあなたの行動を操ります』とのメッセージに、ハッとさせられる」(9月2日付「あぶくま抄」)。「なりすまし詐欺」に注意喚起を促す意図だが、懐かしいかの遊びのように、分かっていてもついついつられてしまう、ということが人間にはあるし、そこを巧みに突いて悪だくみを画策する人間もいる。
昨今の詐欺事件の多発から「他人を見たら詐欺師と思え」という乱暴な主張もなされるが、すべての事柄を「性善説ではやっていけない」とか「お花畑思考」とかと一方的に断じて、切り捨てるのはどうなのだろうか。用心のために家の戸に鍵をかける、というのはあるだろうが(心理的に安心が得られるということで)、外は危険だからと、ずっと鍵を掛けたままで、まったく内に生きることは、おそらくできないことだろう。
今日の聖書の個所は、非常に興味深い話題が語られている。まず19節以下「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」。最初の殉教者ステファノの事件は、初代教会の人々に大きな脅威となった出来事であった。迫害が激しさを増し、信仰者たちは「散らされた」というのである。つまり激しい迫害を避けてユダヤから他の国、フェニキア、キプロス、アンティオキアに逃げて行ったというのである。「ユダヤ人以外の誰にも語らなかった」というのは、語学的な限界があったからだろう。常識的に考えれば、彼らは日常、アラム語で生活し、当時の地中海周辺の人々の公用語、ギリシア語は、片言で使うことはできるにせよ、十分慣れていなかったということである。しかし、「彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」。迫害され逃亡して来た人々の宣教を耳にした人々の中に、ギリシア語が巧みな者たちによって、(シリアの)アンティオキアでギリシア語を話す人々に、図らずも計画や意図をしない宣教が始まって行った。というのである。古代の噂のネットワークの仕業であるが、これは今に言う「SNS効果」のようなものだろうか。そして「主がこの人々を助けられた」とルカがコメントしているように、神の御手のわざは、こういう風に、人間の思いや働きを超えてなされるのである。迫害により命からがら逃亡するという人間の後ろ向きのあり方を逆手にとって、神は宣教を行われるのである、「信じて主に立ち帰った者の数は多かった」。
この出来事が機縁となって、エルサレム教会で一人の人物に白羽の矢が立てられるのである。その名を「バルナバ」、この呼び名は通称で「慰めの子」の意味だが、彼の振る舞いを見るとまさにこのような「綽名」を与えられるに相応しい人物だったと推察される。この人の本名はヨセフといい、レビ族の出身で、キプロス島生まれのユダヤ人であったという。彼は自らの財産を進んですべて売り払って、その代金を教会のために使徒たちに差し出したという。さらに迫害者だったサウロ(パウロ)が回心すると、バルナバは偏見なく彼を受け入れ、反感から生命の危険にさらされたパウロを保護して、彼の故郷タルソスへ送り届けたのである。
エルサレム教会は、このバルナバをアンティオキアに派遣して、宣教の務めに当たらせ教会形成を計画するのだが、このバルナバはキプロス出身ゆえに語学的な素養は心配ないにしても、孤軍奮闘という訳にも行かなかったのだろう。他に働き人はいないか、という時に、かの元迫害者のことを想起したようである。25節「それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」。
つくづくこのバルナバと皆から呼ばれた人物には、好ましい印象を受ける。パウロにとっては、正に「命の恩人」である。回心したパウロが暗殺の憂き目を会おうとするや、身の安全を確保し、ほとぼりの覚めた頃、引きこもっていた彼を再び呼び出す、こういう人生の機微を知悉する人はそうそうはいない。しかも彼は、「サウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った」というのだから恐れ入る。面倒見がいいというだけの人ではない。そして技量、度量の違いはあれ、こういう人によって昔も今も、福音が真実に語られ、教会が支えられてきたことを、しみじみと思うのである。宣教の根本に何があるか、バルナバもまた、主イエスの後ろ姿を見ながら歩む人であるし、今もそのように、神ご自身が呼びかけてくださる働きを、彼の人生から知らされるのである。
この後、バルナバとパウロの尽力によって、アンティオキア教会が成立するが、その直後にパレスチナに大飢饉が起きて、エルサレム教会の人々の生活が大いにひっ迫した時、「そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた」。この出来事によって、パウロはエルサレム教会と好意的な関係を結ぶことになる。しかしこれもまた背後にバルナバの働きがあってのことである。しかしバルナバの働きの豊かさを支える神の御手の働き、即ち、人間的には迫害や逃亡、さらに飢饉という大いなる危機を通しても、その力が伸ばされていることを知らされるのである。
「あっち向いてほい」では目の前の相手の指の動きに惑わされて、ついつい同調してしまうということが起こる。人間の指は、やはり不確かなもので、はっきりこちらの方、という方向があいまいの時に人は不安に陥るし、追い詰められる時には、分かっていても悪の言うなりになってしまう、ということが起こるだろう。しかし私たちが注目するのは、人の指ではなく、神の指、さらにキリストの御手、それは十字架に釘付けにされた手である。そこに目を注いで、生きるのである。