祈祷会。聖書の学び 使徒言行録14章1~28節

秋到来、爽やかな大気のもと、野山を散策するのによい季節、登山に赴く人も多い。懐かしソングの『雪山賛歌』に、「テントの中でも月見はできる、雨が降ったら濡れればいいさ」という歌詞があるが、そこまで自然を達観できる姿勢こそが、山人の心と言えるだろうか。

心理学者の河井隼雄氏は、「ふたつよいこと、さてないものよ」をご自身の銘にされていたようである。「私は『法則』は好きでないが、それでも割と好きなのが、『ふたつよいことさてないものよ』という法則である。『ふたつよいことさてないものよ』というのは、ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがあるとも考えられる、ということだ。抜擢されたときは同僚の妬みを買うだろう。宝くじに当るとたかりにくるのが居るはずだ。世の中なかなかうまくできていて、よいことずくめにならないように仕組まれている。それでも、人間はよいことずくめを望んでいるので、何か嫌なことがあると文句のひとつも言いたくなってくるが、そんなときに、『ふたつよいことさてないものよ』とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、なるほどうまく出来ている、と微笑するところまでゆかなくとも、苦笑ぐらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い」(『こころの処方箋』)。

今日の聖書個所は、パウロの第一回目の宣教旅行の消息を伝えるひとこまである。この旅行は、パウロの恩人とも言えるバルナバが企画立案した計画の一環であったことが、その行程からも伺える。シリアのアンティオキア教会から出発して、バルナバの故郷であるキプロス島に渡り、そこから本土に上陸しピシディアのアンティオキアを経由して、現在のトルコの内陸部、イコニオン、リストラを巡るという旅程である。最初は土地勘のある生まれ故郷でウォーミングアップして、そこから本格的な宣教活動に勤しむというルートで、バルナバは、新参者の宣教者パウロと、まだ年若い弟子ヨハネ・マルコ、それぞれに実践経験を積ませようと目論んだのである。パウロ独自のその後の宣教旅行の行程からすれば、短距離であることから、試行的な企画であったと思われるが、それでも中途でヨハネ・マルコはグループから離脱してしまう程、大変な道中であったことが、今日の聖書個所からも理解されるのである。

彼らは、イコニオンのユダヤ人の会堂(シナゴーグ)で話をしたという。そこが地域の人々の集会所(ユダヤ人ばかりか異邦人も集まる)にもなっていたのだろう。メディアが未発達な古代では、外国からの旅人によってなされる新奇な話を聴くことが、大きな娯楽であったからである。その結果、1節「大勢のユダヤ人やギリシャ人が信仰に入った」という。喜ばしい宣教の実り、初穂が語られている、主イエスを受け入れた人々が、ユダヤ人にもギリシャ人にも大勢いたというのである。ところが「ふたつよいこと、さてないものよ」で、アンティオキアの場合と同じように、ユダヤ人たちの中には激しく反発し、パウロたちの宣教をいろいろに妨害する者が出てきたのである。「既得権」を侵害されたと感じたのか、十字架の福音がつまずきになったのか、反対者たちが、この町の異邦人たちをも唆して、「兄弟たちに対して悪意を抱かせた」のであるという。

人間は一人では生きられず、関係性の中で生活を営むという形を取る以上、どのようなアクティビティでも、それが新規で人の耳目を集めるようなものならなおさら、これまでの動きに影響を及ぼし、関係を揺り動かすものである。時にそれが暴力沙汰に発展することがある。その結果、町の人々が分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒たち、つまりパウロとバルナバの側についたというのである。宣教活動によって、町を二分するような対立が生じてきたというのだが、現在の国政選挙においても、そのような形相を呈している観がある。その二分は「善と悪」とか「正義、不正義」という具合に、単純に割り切れるものではないにもかかわらず、人間はすぐにそうした区分をして、頭で分かったつもりになるのである。それで「敵」を設定し攻撃する、これがポピュリズムの常套手段であるが、こと「宣教」の場においても、心されねばならないだろう。

次のリストラでも同様なことが起こる。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった人をパウロが癒したことで、彼らはまるで「ゼウス」や「ヘルメス」といった土地の神々の如くにあがめられ祀られそうになる。するとやはり、19節「ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した」という。この時、パウロは死んだふりをしたのだろうか。ともあれ、パウロ一行は、大きな祝福と実りを味わいつつ、片や大きな迫害に晒され、生命の危機に直面しつつ、次の場所に足を進めるのである。全て幸いと禍いとを共々に味わいつつ、一つ所に留まらず、次の場所を目指すのである。使徒言行録の著者は、宣教とはまさに「ふたつよいこと、さてないものよ」と思い起こしつつ記しているのであろうか。

今日の個所の末尾で、こう語られる。21節「二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました」。「多くの苦しみを経なくては」という言葉は、信仰のみならず、人生につきまとう普遍的な課題であろう。苦しみなくしては歩めないのだが、そこにはそれと裏腹に喜びをも現れるのである。いかなる人生でも、苦しみだけの人生はないし、喜びだけの人生もない。信仰においても「ふたつよいことさてないもの」なのであり、それへの洞察が「踏みとどまる」力となるであろう。

「ふたつよいことさてないもの、とわかってくると、何かよいことがあると、それとバランスする『わるい』ことの存在が前もって見えてくることが多い。それが前もって見えてくると、少なくともそれを受ける覚悟ができる。人間は同じ苦痛でも覚悟したり、わけがわかっていたりすると相当にしのぎやすいものである。あるいは、前もって積極的に引き受けることによって、難を軽くすることもできるだろう」。主イエスの歩まれた人生行路に、人生のありのままの姿を見るが、その行き着く先は、やはり父なる神のおられる所であり、恵みの在りかに向かう歩みへ導かれていることを、深く覚えるのである。