祈祷会・聖書の学び イザヤ書5章1~7節

ベツレヘム郊外のパレスチナ自治区とイスラエルの境界あたりに、バティールという名の村がある。エルサレムの南西7kmにあり、古代からエルサレムの衛星都市として繁栄して来たと伝えられる。この地域一帯は、2014年に「オリーブとワインの地パレスチナ――エルサレム地方南部バティールの文化的景観」として、緊急の世界遺産に登録されると同時に、危機遺産にも登録された。

この地は古来よりオリーブやぶどうの生産が盛んで、石を積み上げて造られた棚の壁は総延長554kmに及び、石壁や地下水を利用する古代の灌漑システム等が現在も使用されており、人と自然の共同作品=文化的景観を構成していると評価されている。この村では、古代ローマ帝国の土木技術が、今なお健在なのである。

この地のぶどう・オリーブ畑のたたずまいは、ちょうど日本の美しい「棚田」によく似ており、斜面に展開する緑の木々は、見る者の心をいたわり癒す風情に富んでいる。政治的分断は、こうした人間の心の癒しをも断ち切るような野蛮さで、力づくで推し進められるのである。今日の聖書個所は、預言者の故郷の風景、パレスチナ・イスラエルの原風景を映し出すように語られたみ言葉が味わえるが、同時に、時を超えて、現在の人間が抱える「政治」という営みの、「相も変わらず」の実態という思いを深くする内容を有している。

預言者は言う、1節「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために/そのぶどう畑の愛の歌を」。『ぶどう畑の愛の歌』を奏でるというのである。イザヤという預言者は、芸術的素養も豊かに兼ね具えていた人物であることが知れる。但し、この国でも古代社会では、「うた」が人と人との、また人と神々との間を繋ぐ欠くべからざる媒介であったので、コミュニケーションの手段として、「うた」はすべての人に必須の素養だったと言えるだろうが。そして「うた」のほとんどは、現在も同じく「愛」の歌であったことは言わずもながであろう。こころの訴えは、愛にまさるものはないからである。

美しく広がる「ぶどう園」を瞼に浮かべながら、「愛」を詠うというのは、理にかなった道具立てである。かのバティールの村に拡がる棚田のぶどう園も、数千年にわたり存続して来たというのは、それを大切に保護し、地道に世話をする人々がここそこに生きていたからであり、それはいわば「愛」の力によって、ひたすらに守られて来たからである。それも何世代にもわたって。だからそうした美しいぶどう園を、生涯の「伴侶」に喩えて詠うことは、至極もっともなことであったろう。

預言者の歌う「愛の歌」、という風情からして、若々しい思考の現れとして理解できるが、章の後半からの厳しい社会批判、激しい裁きの言葉は、やはり預言者の若い魂の発露として受け止められよう。解釈者の多くが、イザヤの初期預言の言葉として位置付けている。「愛の歌」だというが、この歌は、当時、皆に良く知られた何ほどかの恋歌の「替え歌」「パロディ」であったと思われる。そしてそれはぶどう園労働者の歌う「労働歌」として歌われていたものであったろう。甘い良いぶどうが実るように、歌を歌って仕事をする。歌が、歌に載せた言葉が、ぶどうを励まし豊かに実らせる、古代の働き人はそれを知っていたのだろう。現代も、果樹に音楽を聴かせて健やかな生育を試みている生産者もいると聞く。

ぶどう作りは年間通しての地味な作業が続き、決して楽な仕事ではないから、ぶどうの作り手は、同じ繰り返しの仕事が多いので、こつこつとした作業を続けられる人に向いていると言われる。そうした中で、忍耐の必要な単調に見える作業も、歌が共にあれば気分も変わるというものである。2節「よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/良いぶどうが実るのを待った」。歌に託して仕事の段取りまでもちゃんと口にしている。それは、自らの仕事への戒めでもあり、次世代への伝承ともなったであろう。人は歌と共に生きている。歌を聞けば世情が分かる。私たちも歌に敏感でなくてはならぬ。歌には人間のむき出しのこころが滲んでいる。

ところが「ぶどう園の愛の歌」は、途中から呪いの歌に変わる。良い(赤い)ぶどうの代わりに実ったのは「腐れぶどう」、原文では「くさい」という意味の用語が用いられている。世話や準備、仕事ぶりは万全のはずであった、ところが実際に実ったのは、「くされ」だったという。何故、こんなことに。

歌の終わりに預言者はブラック・ユーモアのように、ユダ王国の有様をダジャレ(修辞?)によって、あからさまに歌うのである。「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑/主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに/見よ、流血(ミスパハ)。正義(ツェダカ)を待っておられたのに/見よ、叫喚(ツェアカ)」(新共同訳は、原文の音をカタカナで表記してくれている)。裁き(公の裁判)は流血に、正義は叫喚に変わった、というのである。テロにおいて、権力の暴走(戦争)において、「神の裁き」の名の下に「流血」が起こり、「正義」の旗印によって「阿鼻叫喚地獄」が作り出された。イザヤの時代も、現代もさほど変わることはない。イザヤの社会意識は非常に鋭いと言えるだろう。

バティール村のオリーブとぶどうの棚田が、「世界遺産」に登録された経緯は、エルサレムにほど近いこの地域に、イスラエルがパレスチナを寸断する「分離壁」が建設しようと計画したことによるのだという。巧みな土木建築者であったローマ人が構築した水利灌漑システムが、まだ実用として使われていて、棚田が保たれている、というのは、単にローマの技術力の優秀さだけではない。この地に生き、働き、汗を流し、作物を育て、その実りを喜び、感謝して味わい、そうした生活を続けた連綿たる人々の絆によって、この風景が保たれているのである。そしてそれこそが愛の力である。

ヘブライ語で、「裁き(ミシュパト)」と「流血(ミスパハ)」、「正義(ツェダカ)」と「叫喚(ツェアカ)」が、極めて近い音価を持っていることは、実に興味深い。知らず知らずの内に、あるいは意識的に、事柄が挿げ替えられてしまい、人間の勝手が押し通されるということか。あるいは政治という人間緒営みは、つねに似て非なるものによって、挿げ替えられるということか。しかし、神は人間が誤魔化そうとするずるさや曖昧さを、きちっと区分けされるのである。程なく南王国ユダも、北王国同様崩壊して行く。ローマ帝国が滅亡しても、バティールの棚田は、今なお変わらぬ美しさで残り続けている。