クリスマスシーズンになると、いくつか聞こえて来るなじみの音楽がある。先日も桜美林高校のチャペルに伺った折、礼拝の後、「ハレルヤ・コーラス」の練習の歌声が聞こえて来た。つくづくクリスマスシーズンを感じさせられた。
ヘンデル作曲のオラトリオ『メサイア・救世主』もそのひとつである。この聖譚曲は全演奏に二時間以上かかる大作で、長大な楽曲であるが、極めて短期間、3週間ほどですべて作曲されたと伝えられる。その背景について、以下の裏話が伝えられている。
ヘンデルは五十三歳の時、大病をして倒れた。半身不随になった。それでも何とかリハビリをしてオルガンが弾けるまで機能が回復した。しかし彼はそれまであった創作意欲が減退し、新しい曲を作ることがとても難しくなってきていた。音楽家として創作が出来ないということは耐えられない苦しみである。彼はやがて自分に対して希望を失った。他の人と話すことも、書くことも教えることも、そして音楽を考えることさえ億劫になってしまった。丁度この時に、かの傑作、『メサイア』は誕生しているのである。順調の時に、いい作品ができるものでもない。失意や落胆、失望の中で生み出されるものがある。
今日はイザヤ書の40章からお話をする。イザヤ書は40章以下のみ言葉は、イザヤとは違う、誰か名前の知られていない無名の預言者が語ったとされている。最も味わい深い預言の言葉の語り手が、名前が知られていない、というのは実に興味深い。人間は名を残す必要はないということか。神に覚えられていたらそれでよい、ということか。
外国から、またこの国でも、自然災害や人為による大きな破壊の出来事が時に伝えられる。自分の故郷が大きな災害や戦争で、破壊され灰燼に帰する、そういう悲しみを味わられた方がここにもおられるだろう。その時、経済的な損害、損失だけでない、大きな心の喪失感を、きっと味わわれたことであろう。最もつらかったのは、その時、別れ、いろいろな事情で、愛する人親しい人と離別しなければならなかったことではないか。人生にはいろいろな辛さがあるが、別離には寂しさ、空しさ、かけがえのないもの、よりどころの喪失など、また格別のつらさがあるだろう。聖書の人々は、バビロン捕囚の出来事で、故郷と共にまさに自分自身をまったく失ってしまったのであった。
すでに聖書の民、ユダの人々は、半世紀余り、異郷の地バビロンで暮らしている。決して短い時ではない、それだけの期間が過ぎれば、生活もそれなりに整ってくる。素より異郷の地である、故郷に暮らすのではないから、いろいろ制約や不自由、差別や偏見を被ることになる。それでも、半世紀、短くはない時を、忍耐して過ごし、生計の途を見つけて生き抜いて来たのである。そして今や、自分たちをここに捕らえ、連れてきたバビロニアが破れ、新しい支配者ペルシアが台頭しようとしている。新興国の王はかつて捕囚となった民に対して、それぞれの故郷の国に帰れ、と布告、勅令を出している。そういう社会状況の中に、聖書の民は置かれているのである。
一番の問題は、お金や仕事のあるなし、あるいは健康や家族が守られるという保証等の問題ではなかった。今更、荒れはてた故郷に帰ってどうするのか、家も知り合いも何もない荒れ野に戻って、どうするのか。ユダの国は、50年前の敗戦による崩壊で、打ち捨てられたままになっている。そこに戻れというのか。安住の地は、ここバビロンに、既にあるではないか。このまま暮らした方が、よほど安心ではないか。
だから捕囚民の一番の問題は、立ち上がり、歩み出す力を失ってしまっていたことなのである。聖書の民は、子どものように、知らない余所に出て行ったら、ちゃんと戻れるかを気にし、心配する人々であった。そして実に神は、「出て行くのも、帰るのも守られる」方なのである。それなのにバビロンに捕らわれた人々は、行きっぱなしで、戻ることを忘れている。否、戻り道を歩もうとする力、気力を失っているのである。
2節に「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」と記される。ユダの人々にとって、故郷への戻り道は、「主のための道」であり、「主に戻って行く」ための道である。しかしそれは「荒れ野の道、荒れ地の道」であるという。だから人々は、怖れ、戻るのに躊躇し、歩むための力を失うのである。
1節「慰めよ、慰めよ、わが民を」、このような神の慈しみの呼びかけをもって、名もなき捕囚期の預言者は語り始める。ヘンデル作曲の有名な大曲、オラトリオ『メサイア』も、この言葉を最初の歌詞として歌い始められる。テノールのソロが、ゆるやかでやさしい調で、人々のこころに染み入るように歌いあげる。「慰めよ、慰めよ、わが民を」。この「慰める(ナーハーム)」という言葉は、他の個所では「力づけて」、また「あわれんで」と訳される用語でもある。「ナーハーム」は旧約で108回、詩篇では12回使われているが、最も有名な個所は、詩23編4節「あなたのむちとあなたの杖、それがわたしを慰める」。岩波訳では「励ます」、関根訳では「勇気を与える」とも訳されている。羊飼いの必携の仕事用具、「むちと杖」がなぜ「慰め」を与えるのか。どちらかというと私たちは、その道具を「こらしめのため」のものとイメージする。羊が迷い出たり、自分勝手に振舞う時に、罰として痛い目に会わせる、という理解である。しかしまことの羊飼いならば、「むちと杖」を、家畜を痛めつけるために用いることはしない。「むち」は激しく振って、先端を空中で打ち合わせ、打ち鳴らして、大きな音を出すための道具である。それは遠方からでも、羊の飼い主がここにいて、羊をいつも見守っていることを伝える「しるし」、あるいは「証」であり、野獣や敵に対する警告でもある。むちの鳴る音を聞いて、飼い主が共にいてくれることを、羊は知って、安心するのである。段落の末尾11節にこう語られる「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる」。
「慰める」という言葉のニュアンスは、決してセンチメンタルな言葉ではなく、困難や苦しみの中にあっても、歩めるような声掛け、力づけと励ましを意味するのである。幼児は、自分だけの力で立ち上がり、歩み出すのではない。手を引き、身体を支え、一歩一歩共に歩む助力者がいてこそ、歩き出せるようになる。いわば「歩ませる力と励まし」を与えることこそ、「慰め」、即ち「あわれみ」なのである。果たして、叱責や命令、文句や激しい非難の言葉が、人間の心を変え、事態をよく変化させるだろうか。
こんな険しい道、自分の乏しい脚では、歩めるはずがない。確かに、バビロンからパレスチナに至る道は、山あり谷あり、幾つも峠を越えて行かねばならず、非常に高低差の多い、山行である。その行程を見晴らすだけで気力を失い、目的地にたどり着くなど、到底できない相談だと思うだろう。しかし羊飼いである主が、その歩みを導くのである。その御手にある「むちと杖」が、絶えず道を示し、誘い、さらに共にいますことを、常に教えるのである。その音と声を聞くことが、羊にとって、ユダの人々にとって、歩む力となるのである。歩む力は、自分の中からは生まれて来ず、外から与えられる。
ある動物行動学者がこう語っている。(動物の世界に)私は何千もの「慰め」を見てきた。「慰め」はそれほどありふれた行動なのだ。チンパンジーの間で自然に発生した喧嘩が終わったあと、何が起きるか・・・「慰め」だ・・・攻撃を受け、つい先ほどまで命がけで逃げ回ったり、助けを求めて叫んだりしていたメスが、今はぽつんと座って、不機嫌そうに口を尖らせ、傷を舐めたり、気落ちした様子を見せたりしている。そこへ、傍観していた1頭がやってきて、抱擁(ハグ)したり、グルーミングしたり、傷をじっくり調べたりしてくれると元気を取り戻す。慰めはとても感情的なものになりうる。2頭のチンパンジーが抱き合って叫び声を上げることすらあるのだ。・・・被害者の慰め手は、おもに近親や友達である。どうも「生き物」は慰めなしには、生きていけないようなのである。これからすると「慰め」とは、「共にある」と言い換えても良い言葉であろう。
預言者はこう語る。1節「慰めよ、わたしの民を。あなたたちの神は言われる」。わたしの民、あなたたちの神、この言葉を聞いて、人々は驚いただろう。かつて、自分たちは神に大きな罪をおかし、神から見捨てられた。その見捨てられたはずの私たちに、なおも今「わたしの民、わたしの子どもたち」と呼びかけて下さる。そして「エルサレムの心に語れ」。これも味わい深い。破壊され、荒廃したエルサレム、そのようなずたずたになった心に、神は呼びかけて下さる。さらに2節「苦しみは過ぎ、赦しの時がやって来た、あなたがたは赦されたのだ」。
ヘンデルの『メサイア』作曲の裏話の続き。「彼の家に一つの小包が届いた。それは彼の長年の知り合いの詩人からだった。彼はおそらく中に、詩が書かれているであろうその小包を見て腹立たしく思った。作曲の力が失なわれている自分に、これが一体何の意味があるのだろうか。彼は私をからかっているのか。無視してベッドに身を投げて眠ってしまおうとしたが、なかなか眠りに就けない。小包を開けて中の詩を一枚一枚目を通した。最初の詩の言葉が目に入った。『慰めよ、慰めよ』イザヤ書40章1節。作詞家の手になる長大な一連の詩は、このみ言葉から始まっていた。その言葉を見た時に、生きるのに疲れ果て、悲嘆に暮れていたこの音楽家の心に、何か新しいものが湧き起こってきたのである。『慰めあれ』、何という響きだろうか。急に彼の心の扉が開かれ始めた。それからの三週間というもの、彼はもう寝ることも食べることも忘れてその詩に曲をつけていった。何かに取りつかれたように音楽が次々と湧きあがって来た。その三週間で全てを書き終えた。その時もう彼は放心したように、こんこんと心地よい眠りに就いた」と伝えられる。「慰めよ」とのみ言葉によって、最も深く慰められたのは、実は作曲家自身に他ならなかったのである。ここに、『メサイア』の生命の源がある。
「慰め」は家畜小屋の中、飼い葉桶の中にある。そこに寝かされている乳飲み子に出会った人々、夜、ぽつんと侘しく野宿をしていた羊飼いたちは、幼子に出会い、神を賛美しながら帰って行った、という。東方の博士たちは、星の光に導かれてベツレヘムにやって来て、幼子に出会い、彼らは「別の道を通って」帰って行った。小さな無力の赤ん坊によって、彼らは賛美し、今までと違う別の道を歩む力を与えられたのである。これこそが「慰め」である。