「主をよりどころとして」ガラテヤの信徒への手紙5章2~11節

去る6月23日「沖縄慰霊の日」を迎え、「全戦没者追悼式」で恒例の「平和の詩」が詠まれた。本年は846作品の応募があり、その中から豊見城市の中学2年生、亀谷琉奈(かめやるな)さんの作品「生きたいと願った証」が選ばれ、式上で朗読された。この詩は、亀谷さんが5歳の頃に曾祖母(沖縄戦後81年は、ひ孫世代を迎えている)の右足にある傷跡のわけを尋ねた際に、曾祖母が話してくれた戦争体験を基に書かれたという。その方が自らの戦争体験を語ったのはその時、たった一度だけだったというが、「真実のことば」ならばたった一度でも残り続け、回数は問題ではないことを思い起こさせる。コマーシャルや政見放送のようなしつこく何度も繰り返すような言葉は、却って偽りを糊塗する意図を感じさせる。一部、紹介したい。

「まだ若かった曾祖母は/小さな体で必死に走った/血だらけの道を/倒れた人たちの横を/もう動かない人を見ながら/涙を流す暇もなく/ただ生きるために/そして/愛する夫の命を案じながら/『お願い 生きていて』/その想いだけを胸に/足がもつれても/呼吸が苦しくても/転びそうになっても/前へ前へと走った/しかし/その願いは/もう二度と届かなかった/その時のことを話す曾祖母の声は/今でもとても優しい/でも 私は知っている/その優しい声の奥に/今も消えない悲しみがあることを」。

艦砲射撃の「鉄の暴風」の只中、まだ若かったひいおばあさまは、「ひたすら走った」という。銃弾に追われて、逃げ惑い、命助かるために逃れようとしたのではない。小さな島の沖縄で繰り広げられた戦争は、どこに行っても逃げ場のない容赦ない攻撃であった。そうではない「愛する夫の命を案じながら/『お願い 生きていて』」と走ったというのである。生命の危機の中、自分の生命を救うために逃げ、走るのではない。否、自分の為なら簡単に挫けてしまうだろう。「その想いだけを胸に/足がもつれても/呼吸が苦しくても/転びそうになっても/前へ前へと走った」という。ここに人間の行動を後押しし、押し出して行くものが何であるかが、如実にあらわにされているだろう。たとえわが身がどうなっても。

今日はガラテヤ書5章から話をする。2節「ここで、わたしパウロは」、と語られている。この書き出しは、大上段からの物言いのようで、いかにも仰々しい。ある聖書学者は、「ここから数節は、パウロ自身が筆を執って、自ら記したのではないか」と推定している。当時、文字を書くのは、特殊技能であった。専門の筆記者がいて、手紙なども口述筆記したのである。パウロの例外ではなかった。勿論、文字を書くことは出来るが、専門家のようにきちんと整った書式で書ける訳ではない。どうも「下手くそな大きな字」であったようだ。それでもここで、パウロは自分で、記さない訳にはいかなかった。それ程彼にとって、重大事だったのである。その重大事とは何か。

7節「あなたがたは、よく走っていました。それなのに、いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか」。ここでパウロは「走る」という喩えを用いて語っている。ユダヤの世界では「走る」ことは大人の振る舞いとしては、大方の眉を顰めさせるような不調法な類のものであった。大人はおとなしく、ゆったりと構えているべきもので、それこそ走れば着物の裾がまくれあがって腿まであらわになり、およそ無様だからである。しかしパウロはヘレニズム文化の申し子である。スポーツ(競走)を熟知しており、その世界では人間の「徳」の獲得に意義があることも知っている。しかし、「時は縮められている」のである。間もなくこの時代は終わりを迎える、そして再び主イエスが再臨し、この世を裁くのである。そういう切迫した意識をもって生きているパウロにとって、信じることは「走る」ことであり、てれてれとろとろ、ゆったりという生活感とは無縁だったのであろう。

「ガラテヤ教会の人々よ、あなたがたは、私と共によくがんばって走って来た」、走る限りは、ただ行く先もめあても分からず、やみくもに走るわけにはいかないだろう。「目標を目指して走り、神の与えてくださる賞を得るために」。私たち信仰者の人生目標は、「身を立て、名を成し、やよ励めや」ではない。「ただキリストに向かって」、なのである。そこに希望が生まれて来る。「走る」と言ったが、そんな一流アスリートのような風のような見事な走りができるわけではない。時間的にはオリンピックの短距離ランナーは、時速37キロ程度で走っている。人間にはこれが最高速だが、野生の動物はこれ以上の俊足ランナーは、いくらでもいるので(例えば犬、カバ、トナカイ、マグロ)、人間あまり得意にならないがよい。パウロも持病でぶっ倒れることがしばしばだったので、いつも「走る」訳にも行かず、「ただ前に向かって身体をのばしつつ」、これは「倒れ伏して、起き上がれないから、せめて身体を前に伸ばしてもがく」という状態を表している。ここまで意地を張らないで、病気の時にはおとなしくしておくにしくはないのだが、気持ち的に収まらないのである。「いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか」。

悪意からあなたがたに邪魔して、キリストへの道を塞ぎ、通せんぼした、とパウロは言う。これはどういうことか。2節「もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります」。キリストへの道を閉ざして、巧みに「そっちは通行止めだ」と教えるふりして、無理やり方向転換させようとする輩がいるというのである。これは過激な表現である。キリストの恵みも愛も、その働きも、ご生涯も、十字架も、何もかも無駄に、無意味になる、というのである。どういうことか。「割礼を受けるなら」。「ユダヤ人であること」「ユダヤ教徒であること」の証は、一番に「割礼」の有無である。律法を守っているという「目に見える証・象徴」がそれである。「私は律法を守っています」というエビデンス、目に見える誓いといってもよい。

キリスト者は、主イエスを信じることによって、「自由」を得た。もろもろの束縛、くびきから解き放たれた。初代教会に人々が集ったのは、そこに「自由」があったからだ。このことは今も昔も変わりない。今、この教会に自由があるか、絶えず問われている。パウロにとって、その自由の中で、最も大きかったのは、「律法からの自由」であった。自分をがんじがらめにしていた律法主義から、主イエスによって解き放たれた。彼の救いの確信はここにあった。

ところが、ガヤテヤの教会に、エルサレムからうるさ型の「ユダヤ主義者」がやって来て、「キリストのみでは救われない、律法が必要だ」と主張したようである。ガラテヤ教会の信徒達は、ユダヤのお偉いさんと事を構えるのも、どんなものか、と相手の顔を立てて受け入れるふりをして、お追従しただけのかもしれない。しかしところが一本気なパウロは、ガラテヤの人々の優柔不断を赦せず、憤り、怒りの手紙を書いた、というのがガラテヤ書の背景である。

「ここで、わたしパウロは」とここで大上段に大見え切っているのもパウロらしい。そしてさらに激しく迫る、4節「キリストとは、縁もゆかりもないものとされ、いただいた恵みも失います」。「恵みから抜け落ちる」と表現されている。キリストの恵みは、ちっぽけではない。この世のものすべてを包み込むほど、大きく広がっているのである。もっと言えば、大きな罪を犯したとしても、信じる者も、信じない者も、全て大きく包み込むものである。しかし神の恵みは自由であるから、「信」の絆で主イエスと繋がっていないと、いつのまにか滑り落ちてしまう。丁度、山登りで急峻な崖を登るようなものだ。互いにザイルを結び合い、絆を作り登ってゆく。もし誰かが足を滑らせても、信頼のザイルが、その人を滑り落ちないように、支えるのである。

中学2年生の口から発せられた今年の「平和の詩」、曾祖母の右足に今も残る、古い傷跡のいわれを聞くのである。「曾祖母の右足には/今も傷が残っている/それは/戦時中 自分で引っ掻いた傷/灰色の空の下/爆撃の音が鳴り響く/恐怖と不安でいっぱいになり/右手に握った石で/自分の右足を何度も何度も引っ掻く/気づけば手も足も血だらけだった」。

希望を失った時に、人間に何が起こるのか。「恐怖と不安でいっぱいになり/右手に握った石で/自分の右足を何度も何度も引っ掻く/気づけば手も足も血だらけだった」。希望によって私たちは自分自身をそのままに保っている。いったん希望が奪われると、自分等、自分が生きていることなど、どうでもよくなってしまう。人間の「希望」は移ろいやすいものだ。昨日の希望は容易に今日の失望に変わり、明日の絶望をもたらす。私たちにとっても、自分の中に希望はなく、あるとしたら「希望」とは「主イエス」だけである。そもそも私たちは自分に絶望して、主イエスのもとに行ったのだ。そんな弱いことでどうするか、そんな甘いことで生きて行けるかと世の人は言うかもしれないが、主イエスの下で、語ってくださったみ言葉で、私は、ふたたび一歩、歩み出すことができた。あの方の十字架に向かう後ろ姿を見ることで、もう一歩、歩くことができるのである。今も、主イエスはわたしの所にお出でになり、「わたしの所に来なさい、あなたを休ませよう」と言われる。この主のもとに行くのである。

「戦争は人を傷つける/体だけじゃない/心まで壊してしまう/家族と笑う時間/友達と過ごす日々/また明日ね」と言える幸せ/そんな当たり前を/全て奪ってしまう/でもそれは/当たり前なんかじゃない」。私たちは、当たり前でない今日を生きている。「あなたがたはよく走った」、こう主から言われる私の道を、それは戦争への道ではない、主の与えてくださる道を進みたい。