説教『小事に忠実な人は大事にも忠実である』(ルカ16:1~13)

2015年 3月 1日         主日礼拝・説教要約
説教『小事に忠実な人は大事にも忠実である』(ルカ16:1~13)

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◎3月最初の主日を迎えました。今日から3月。今年の冬は寒かっただけに、ようやく3月を迎えたなと深い感慨があります。ただ、まだ寒い日があるかと思いますので、お身体に留意してお過ごしください。
今日も聖書の御言葉から主イエスのメッセージを聞いて参りましょう

。今日から16章に入ります。15章では父なる神の溢れる愛が教えられていましたが、16章は富の問題が取り上げられています。これは15章にある神の愛を受けた者がこの世でどう生きるのかが教えられていると言えます。今日は16:1~13を取り上げ、父なる神の愛を受けている私達がこの世でどう生きて行ったらいいのかを考えて参りましょう。
◎今日の箇所は難解な箇所です。構成から言えば、本来、主が語られた1~9節までの話を、10節以下で補足・説明していると見られます。まず1~7節のたとえ話は、主人の財産を任せられていた管理人が無駄遣いをしたことが主人に分かり、管理人は辞めさせられたらどうするかを考えて、借金をしていた者達の借金を減らしたという話です。この管理人は実にいい加減です。主人の財産を使い込み、それが分かり、主人に叱られると、反省するどころか、辞めさせられた時のことを考えて、借金のある者たちの借金額を勝手に減らし、恩を売って就職活動をする。実に自分勝手で自己中心的、無責任ででたらめの人物です。
ところが、8節では、この主人はこの不正な管理人をほめたと言います。財産を遣い込まれた上に借金の額を減らされてほめる主人はいないと思います。この「主人」は「主」と訳せますので、ここは「主イエスがほめた」と理解し、その上でイエス様がここで何を教えておられるのかを一緒に考えていきましょう。
◎今日の箇所、16:1~13まででイエス様が私達に教えておられることは5つにまとめられると思います。
第一のことは、いかなる人にも長所がある、その長所から学べと言うことです。ここに登場する管理人はどうしようもない人物です。しかし、主はこの男の抜け目ないやり方をほめたと言います。管理人の抜け目なさ・賢さ・したたかさをほめたと言うのです。ここには主イエスと言う方がどういう方かが良く示されています。主はどんな人にも良さ・長所を見出す方でした。主はどんな人も良さを持っており、そこから学ぶことができることを教えています。小説『宮本武蔵』を書いた作家・吉川英治の言葉に「世のすべての人は我が師」があります。イエス様はすべての人から学ぶことができることを教えておれるのです。
◎第二のことは、この世を賢く、抜け目なく生きると言うことです。この管理人は仕事を辞めさせられた時のことを考えて、借金を減らし、恩義を着せて再就職しようとしました。主はその抜け目なさ・賢さを学べと言うのです。主は「この世の子らは自分の仲間に対して光の子らより賢くふるまっている」と言い、この世の人の賢さに学べと教えるのです。確かにこの世の人は賢く生きています。農漁業、製造・サービス、職人、教育・医療・福祉など、あらゆる分野で世の人は工夫と努力を重ねておられる。私達・信仰者は世の人に学ばねばなりません。私達は与えられた身体・能力・時間・人間関係すべてを最大限に生かし、賢く神と世の人に仕えなければなりません。特に私達・信仰者はこの世の終わりの時に私達の生き方が問われることを知っています。私達は、一層、この世で最大限の能力を発揮したかが神に問われるのです。
◎第三のことは、この世に生きて行く時、友を作ることが大切であり必要だということです。主は「不正にまみれた富で友を作れ」と教えています。「不正にまみれた富」とは「世の富」を指します。では、「世の富で友を作る」とはどういうことか。それはこの世で貧しい人・苦しんでいる人を助けると言うことです。マタイ25章にある「飢えていた時に食べさせ、渇いていた時に飲ませてくれた」人の教えにあるように、困窮した人を助けることを主は教えています。ジョン・ウエスレーは節約したお金を貯めて貧しい人を援助していたと言います。貧しい人を助けるべきことは、この後の記事16:19以下の「金持ちと貧しいラザロの話」でも教えられています。主は、この世の富を貧しい人達のために用いよ、と教えるのです。
◎第四のことは、小さなことに忠実であれということです。この管理人は借金の額を減らしていますが、相手によって額を変えています。小さなことに配慮しています。そのように小事に忠実であれと主は教えるのです。私達の人生は小事の積み重ねです。小事に忠実であるかどうかが私達の人生を決めます。映画『炎のランナー』に「ジャガイモをむく時でも心を込めてむくなら、神を証しすることができる」というセリフがあります。小事に忠実であることよって愛と真実は示され神を証ししていくことができるのです。
◎第五のことは、神を第一として生きよということです。どれほど賢く、小事に忠実に生きたとしても、最も大事な神様のことを忘れてはなりません。主は「神と富とに兼ね仕えることはできない」と言われます。私達の出発点は神にあります。神の愛に生かされていることが原点です。神の愛こそ私達の原点です。