説教『わたしたちの造り主である神様』(前半)(イザヤ44:22)

2015年 3月 8日       主日礼拝・全体礼拝・説教要約
説教『わたしたちの造り主である神様』(前半)(イザヤ44:22)

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◎皆さん、おはようございます。今日は、3月8日、3月2回目の日曜日です。今日は、今年度、最後の
全体礼拝です。この3月は学校では卒業式があります。鶴川北教会の子ども達の中にも卒園・卒業するお友達が9人います。また、その他、ここにいるすべてのお友達は一つ上の学年に進みますね。それで、今日は、卒園・卒業してくお友達、そして、進級する皆さんに向けてお話をしたいと思います。
◎今日は、最初に、最近、読んだ絵本で心を打たれた絵本がありましたので、その絵本を紹介したいと思います。題名は「ひとりぼっちのオルガン」といいます。ある教会にあるオルガンの話です。ある村に、大変、古びた教会がありました。その礼拝堂には小さなリードオルガンが残されたままでした。そこにある一人に男の子がやってきました。男の子はオルガンの鍵盤をめちゃくちゃにたたいて、でたらめな音を出して遊びました。オルガンは悲しくなりました。私の音は、こんな音ではない。こんなでたらめな音ではない。誰か、私の本当の音を聞かせて!そう叫びたくなりました。季節は夏から秋へ、肌をなでる風は少しずつ涼しくなっていきました。そういう、ある秋のある日、学校帰りの女の子たちがやってきました。一人の女の子がオルガンを見つけると引き始めました。オルガンは、何か美しい音色が出してくれると思い、わくわくしました。でも、それはオルガンの本当の音ではありませんでした。女の子は、ただ、オルガンが弾けることを自慢したいだけでした。引き終わると、友達は「すごい」と言って、拍手をしました。女の子たちは、笑声を挙げて立ち去りました。オルガンは、また、悲しくなりました。誰か、わたしの本当の音色を出して、そう叫びました。
◎秋が去り、冬がやってきました。雪の降るある日、口ひげをはやし、眼鏡をかけた男がやってきました。男は
わき目もふらず、オルガンに歩みより、カバンから楽譜を取り出しました。男が楽譜をおくと、オルガンを弾き始めました。男は楽譜通りに正確に引きました。でも、それもオルガンの鳴らしたい音色ではありませんでした。男は、機械のように正確に演奏すると、あわただしく外に出ていきました。オルガンはまた、悲しくなりました。わたしの音色は、そんな機械のような音ではない。私は機械ではない、機械の部品ではない、そう思いました。
◎オルガンは、悲しくなり、ある日、決心をしました。教会にすみついているジョンという大きな犬に声を掛けました。「ジョン、わたしを二階のベランダにつれていって!」。ジョンは、不思議そうな顔をして、言われたとおり、頭でオルガンを押して、二階のベランダまで運びました。ベランダに上ると、オルガンは言いました。「もう少し、押して!」ジョンは言いました。「これ以上、押すと、下に落ちてしまうよ」「いいの、押して」、そうオルガンは叫びました。その時です。下から声がします、「おーい、どうしたのかい」下から叫んだのは、一人の年老いた旅人でした。「どうしたんだい、おっこちてしまうよ」。オルガンは低い小さな声で言いました。「死のうと思っています。」「どうして」「わたしは、どうしてここにいるのか分からないのです。だれもわたしの本当の音色を引いてくれません。子ども達は、でたらめな音を出すし、大きい女の子は、自分のことを自慢するために引きます。また、男の人は、わたしを機械のようにあつかって、本当の音色を出してくれませんでした。私の本当の音色は誰も弾いてくれません。」老人は大きく手を振ってこたえました。「ちょっと、まってくれないか。
◎老人は、二階のベランダに上がってきて、オルガンにゆっくり歩み寄り、オルガンをじっと見つめると、いすに静かに座り、オルガンを弾き始めました。すると、これまで誰も弾いてことのない、暖かく美しい音色がオルガン全身からしみだしてきました。それは、何と軽やかで、しかも深く美しい音色でした。その美しい音色をそよ風が村中に運びます。仕事をしている人達の手が止まりました。それは、昔、聴いたことのある懐かしい讃美歌でした。一人、二人と、その懐かしいオルガンを聴くために教会に集まりました。集まって人達は、記憶をたどるように、歌い始めました。やがて、村中から大勢の人達が集まり、讃美歌の大合唱になりました。オルガンは驚きました。もう、壊してしまおうと思った自分の体の中から、美しい命の音楽が村中に響きわたっているではありませんか。オルガンは心からうれしく思いました。この音色が自分の本当の音色だと思いました。自分の本当の音色は何と気持ちのよいことでしょうか。この時、オルガンは生きててよかった、生まれてきてよかったと心から思いました。さて、このオルガンを弾いた老人とは誰だったのでしょうか。この老人こそ、このオルガンを造った人、オルガンの製作者だったのです。このオルガンは、この老人が若い頃、心を込めて造った作品だったのです。だから、このオルガンのことを一番よく知っていて、どうしたら、一番美しい音が出るかを知っていたのです。オルガンは、自分を作ってくれた人と出会って、本当の自分を取り戻すことができたのでした。

2015年 3月 8日       主日礼拝・全体礼拝・説教要約
説教『わたしたちの造り主である神様』(後半)

◎さて、私達もオルガンと同じように、造られた大切な作品です。でも誰が私達を作ってくれたのでしょうか。
それは神様です。私達は、神様の作品なのです。しかも、他にはない、この世でたった一つの作品です。まず、そのことを心に留め、自分に誇りを持ちましょう。私達は神様のただ一つの作品、神様が心を込めて作ってくださった最高の作品です。私達の中には、私達を造った神様しか知らない素晴らしい力、能力、そして、美しい音色があるのです。それは、ほかの人は出せない音色、その人にしか出せない美しい音色です。
◎では、どうしたら、その音色が分かるのでしょうか。さっきのオルガンも、自分がどういう音色なのか、最初は、分かりませんでしたね。でも、オルガンを造った旅人の老人が弾いてくれたことで、自分の本当の音色が分かりました。だから、私達も、私達を造ってくださった神様に出会い、神様に弾いてもらわなければなりません。
◎でも、神様に直接、弾いてもらうことは難しいことです。では、どうしたら私達は、神様が与えてくださった音、音色を知ることができるのでしょうか。それは、まず、いろいろなことにチャレンジすることによってです。色々な勉強、スポーツや音楽、あるいは、ボランティア活動など、できることは何でもチャレンジすることが大切です。すると、次第に、自分の音色が分かってきます。そして、もう一つ、大切なことは、色々な人に出あうことです。色々な人に出あうことによって、私達は自分の音色が分かってきます。多くの人に出会い、たくさんのお友達を作りましょう。すると、その人を通して、また、その人が映し出してくれる自分の姿を通して自分の音色が分かってきます。どうか、新しく進学する学校で、また、新しく進級する学年で、たくさん学び、たくさんのことのチャレンジをして、また、たくさんの人と出会い、友人をたくさん作ってくださいね、
◎ 最後に大切なのは、私達を造ってくださった神様を知ることです。私達の作者である神様とはどういう方か。
そのことを知ることによって私達は、自分を深く知ることができます。そのためには、聖書を読み、教会に来て礼拝に出席することが大切です。どうか、これから始まる新しい生活の中で、色々な物にチャレンジし、たくさん勉強をし、また、たくさんのお友達を作りましょう。そして、聖書を読み、是非、教会に来て、礼拝に出てみましょう。そのようにして、神様を深く知ると共に、自分を知り、自分の本当の音色がかなでながら、一人一人が活き活きと輝いて生きて行ってほしいと思います。(終わり)