説教『復活の主イエスはあなたと共にいます』(ルカ24:13~36)

2015年 4月 5日    イースター・復活日・礼拝説教要約
説教『復活の主イエスはあなたと共にいます』(ルカ24:13~36)

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◎今日は4月最初、新年度最初の主日です。今日は復活日・イースターです。私達はこれまで受難節の日々を過ごし、先週は、その最後の受難週を過ごし、水木金と祈祷会を持ち、祈りを捧げてきました。特に金曜日には、十字架の主のお苦しみを思い、その苦しみは我が苦しみのため、との思いを深くし懺悔と感謝の祈りを捧げました。しかし、その三日目、今の日曜日の朝、主が復活されたことが聖書に記されています。今日は、ルカ福音書の中から主の復活の記事を取り上げ、主の復活の意味と意義を深く知り、心に深く刻んで参りたいと思います。
◎ まず冒頭の24:13には「ちょうどその日、二人の弟子がエルサレムから60スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた」とあります。その日とは主が復活された日を指します。60スタディオンは約11キロ。二人の弟子はエルサレムから約11キロ離れた故郷に戻る所だったのでしょう。二人は三日前に主が十字架につけられたこと、その日復活されたニュースを耳にしたことなどを悲しみながら話し合っていました。二人は主が復活されたことを信じることができず、希望を失い、深く落ち込んでいました。そこに復活された主が二人にそっと近づき、一緒に歩き始めます。目がさえぎられ、それが主と気づかない二人に主は「何を話していたのですか」と尋ねます。二人は「ナザレのイエスと言うお方が十字架に架かり、今朝、仲間がお墓に行ったら遺体がなく天使が『イエスは生きておられる』と告げたというのです」と答えます。それに対して主は「メシアは苦しみを受けて栄光に入るはずではなかったですか」といい、聖書全体にわたって御自分について書かれていることを解き明かされました。そして、村に入り、主と二人が食事をしている時、主がパンを裂いて渡される姿を見て二人の目は開け、それがイエスだと分かったのでした。その後、主の姿は見えなくなりますが、二人は再びエルサレムに向かい、復活の主に出会ったことを仲間に伝えたのでした。
◎これが今日の話の概要ですが、この話は一体何を伝えようとしているのでしょうか。今日はこの記事の中から3つのメッセージを読み取り、お伝えしたいと思います。第一のメッセージは、「復活された主イエスは生きておられる」ということです。エマオに向かう二人の弟子に主はそっと近づき、一緒に歩まれ、また、話しかけ、問いかけ、解き明かされたといいます。この時、二人の心はどうだったでしょうか。二人は「暗い顔」をしていたと書かれています。二人は主イエスが十字架に架かり、希望と目標を失い、深く落ち込み、悲しんでいたのです。そういう二人に主はそっと近づき共に歩んでくださり、希望と力、命をあたえてくださるのです。特に主は、
深い悲しみの中や苦しみの中にある時に、そっと近づき共に歩まれます。3・11の夜、これまで見たことのない美しい星が輝き、被災者を元気づけたと言います。あの星のように主は私達を励まし勇気づけてくださるのです。
また、主は私達が誤った道を歩んでいる時にも現れ、私達に語りかけます。伝道者パウロはかつてキリスト者を迫害していた時に、復活の主に出会い、方向転換して、伝道者になりました。復活の主は私達を正すのです。
◎第二のメッセージは、「主イエスが十字架に架かり、復活することは旧約聖書全体に証言されている」ということです。今日の記事に、メシアが苦しみを受けて栄光に入ることになっていること、つまり、ご自分のことを聖書全体にわたって解き明かされたとあります。天地創造と人間の創造、人間が罪に堕ちたこと、ノア・アブラハムなどを選び、人類を救おうとされたこと、しかし、再び民が罪に堕ちたこと、それでも神は人類の罪を赦すために独り子である主を遣わし、十字架につけ、復活されたこと、そのようなことを語られたのでしょう。その時、二人の心は燃えたと証言しています。我らの主イエスのことは聖書全体で証言されている。十字架と復活は、
偶然の出来事ではなく、遠い昔から神様が御計画されたものであり、約束されたものだったのです。そのことを主イエス自ら語られたこと、その言葉に二人の弟子の心は燃えたこと、御言葉が力を与えたことを教えています。
◎第三のメッセージは、「復活の主イエスは私達の目を開かせ、絶望から立ち上がらせ、新たな道・使命を示し、押し出してくださる」ということです。聖書の解き明かしに心を燃やされた二人は、その人を家に招き、食事をしている時に、その人がパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂き、それを渡そうとされた時、二人の目が開け、それが主であることが分かったと言います。すると、二人はすぐにエルサレムに向かい、それを仲間に伝えたと言います。日は沈み、真っ暗な道を二人は喜び溢れて都に向かったのです。復活の主は、二人の弱った心を強め、新たな希望と力を与え、二人を立ち上がらせたばかりか、二人の目を開かせ、神の御心を知らせ、新たな使命を与え、新たな道へと踏み出させたのです。復活すると訳されたギリシャ語エゲイローは「目を覚まさせる、
起こす、立ち上がらせる」の意味を持っています。復活の主は私達の目を開かせ、立ち上がらせるのです。復活の主に出会った弟子達は絶望の中から立ち上がり、新たな使命、世界伝道へと向かいました。復活の主は私達にも働きかけ、私達の目を開かせ、希望と命を与え、立ち上がらせ、新たな使命へと押し出してくださるのです。