李省展先生・説教『光は輝くのか』(マタイ5:13~16)

2015年 7月26日      アジア・アフリカ礼拝・説教要約
李省展先生・説教『光は輝くのか』(マタイ5:13~16)

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◎ 鶴川北教会のアジア・アフリカ礼拝にお呼びいただいたことを光栄に思います。特に今年は戦後70年を迎え ますが、今日は「帝国日本と植民地の関係」についてお話したいと思います。まず二人の人物についてお話したいと思います。一人は恵泉女学園を創立した河井道のことです。河井道は1945年、戦後、アメリカで最も知られた日本人女性でした。米国の大学で学び、YWCAの幹事をし、恵泉女学園を創設した教育者です。もう一人は朝鮮の国民的詩人、尹東柱(ユン・ドンジュ)です。彼は、1917年に中国東北部のカンドに生まれました。

父親が教会の長老で、キリスト教の影響を深く受けています。ピョンヤンの学校で学んだ後、ソウルのキリスト教主義の学校・エンキ専門学校(延世大学の前身)で学び、さらに日本に渡り、立教大学・同志社大学で学んでいます。しかし、1942年に民族運動に加担したということで治安維持法で捕えられ、1945年2月に獄死しています。彼の詩に「命尽きるまで天を仰ぎ、一点の恥じるところがないように生きる」とありますが、実にまぶしすぎる存在です。マタイ福音5章の「山上の説教」にある「地の塩・世の光」のような存在だと言えるでしょう。

◎この教えを大事にしたのが河井道です。彼女は亡くなる前年・1952年の卒業式のしおりに「汝の光を輝かせよ」と書いています。河井は1929年に恵泉を創立しますが、当時は「恵泉はあたかも戦児の感がある」と書く程の闇の時代、「汝の光を消す」ことを求められた時代にあって、それに抵抗するかのように設立したのでした。1937年に日中戦争が始まると、「この戦争は間違っている」と語っています。しかし、戦争が進むにつれて河井の考えは変化していきます。当時、日本のキリスト教は天皇崇拝を肯定する日本的キリスト教に変質していきました。1940年の日本の紀元2600年・奉祝キリスト教大会が盛大に開かれ、報国と一致を宣言し、翌1941年に日本基督教団が誕生しました。河井も日本の戦勝を祈るようになっていきます。学園として軍用機を献納したり、特攻隊を賛美したりしています。戦後、一変+し、平和のシンボルとなります。このことについて、1999年、当時、理事長であった隅谷三喜男先生は1943年1月の文章を引用して「学園の責任者としてぎりぎりの言葉」と書いておられますが、私の考えでは、特に1944年・45年の言葉は(戦争責任の)一線を超えていると言わざるを得ません。それをどう批判し、何を継承して行くべきなのか、それは今後、検証していかなければなりません。

◎それに対して、朝鮮のキリスト者達は、日本の皇民化政策の一つである神社参拝を拒否しました。朝鮮のキリスト教主義の学校はアメリカン人宣教師たちが帰国したこともあり、多くが閉校となりました。神社参拝に対して抵抗した朱基徹(チェ・キチョル)牧師の闘いは知られています。神社参拝は信仰に反しないと説得に来た日本基督教団の統理・富田満に対して朱牧師は「あなたには豊かな神学的知識があるが、聖書を知らない。神社参拝は明らかに十戒に第1戒に違反しているのに、なぜ、それが分からないのですか」と批判したと言います。

◎戦後、河井道は「光の源はイエス・キリストです」と語り、「その光をもって世の隅々まで照らす光として生き て行くように」と教えています。石燈籠の灯火とも、人工的な光とも違う、イエス・キリストという光をです。

このように、今日は「帝国日本と植民地」というテーマで、河井道と詩人・ユンドンジュの二人の生き方を中心に様々な人達のことをお話しました。それぞれ異なった生き方から学ぶべきものことは多くあると思います。

◎最後に戦争責任告白についてお話しておきます。1967年の3月26日の復活祭・イースターにおいて日本基督教団の総会議長であった鈴木正久の名前で戦争責任告白が公表されました。それは、1944年の復活祭において、当時の日本基督教団の統理・富田満が送った「大東亜共栄圏の基督信徒に送る書簡」を打ち消すためであったと言われています。その戦争責任告白には「『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした」と書かれています。この戦績告白は、戦争によって引き裂かれていた韓国や台湾との教会と和解するために必要なものでした。しかし、問題がない訳ではありません。天皇を神として拝んだ罪、偶像崇拝の罪を犯したことや植民地支配したことへの言及はありません。そのことが明確になったのは、1996年5月1日に出された日本聖公会の戦争責任告白においてです。それは、戦後50年を期して出された村山談話において植民地支配に対する謝罪が明文化されたからです。今年は、戦後70年を期して安倍首相談話が出される予定です。今、注目されている所ですが、それがこれからの東アジアにとって良きものとなるようにと願っています。

◎現在、中国には7千万人~1億人のクリスチャンがいると言われています。韓国では約1500万人のクリスチャンがいます。それに対して日本のクリスチャンは約100万人と言われ、全人口の割合は少ないです。しかし、父・李仁夏(イ・インハ)牧師は、クリスチャンは少数者でもよい、いや、むしろ、少数者だからよいと常々、言っていました。少数であっても、クリスチャンは、そして、教会は「地の塩・世の光」としてアジアの平和のために積極的に寄与できると信じます。主イエスの灯火に導かれながら、平和のために力を尽くして参りましょう。