説教『約束された永遠の命・復活の命』(ヨハネ11:27~37)

2015年10月25日       永眠者記念日礼拝・説教要約
説教『約束された永遠の命・復活の命』(ヨハネ11:27~37)

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◎ 今朝も実に爽やかな秋晴れの朝を迎えました。今日は、永眠者記念日として礼拝を捧げたいと思います。鶴川北教会では、この1年間に4人の兄弟姉妹、12月に伊藤喜市兄、3月に橋本和弥兄と近藤雅子姉、7月に江守昭三兄を天に送りました。それぞれに信仰者の姿を私達に見せてくださいました。今日は、鶴川北北教会から天に送った、その4人を含む、65名の信仰の先輩方のことを心の覚えながら、今日の礼拝をお捧げしたいと思います。

◎さて、「死」というものは、古来、人類にとって大きな「壁」でした。人類は「死」に直面すると人は何か深い暗黒の世界に直面したように深い恐怖と悲しみを抱きました。宗教の起源は死者の葬りにあると言われますが、人類にとって死は古来、謎であり恐怖でした。私達にとっても死は恐怖であり悲しみです。特に愛する者を失った悲しみは大きなダメージを与えます。仏教の影響もあって日本人にとって死はあきらめるべきものでした。死の苦しみは生への執着心から来る、世はすべて無常なもの、死もまたあきらめるべきものだったと言えます。

◎では、聖書・キリスト教では「死」はどのようなものなのでしょうか。中世の修道士達の合言葉は「メメント・モリ(死を覚えよ)」でした。死から逃げず、死を熟慮せよというのです。ただし、死を直接、熟慮するのではなく、神様・主イエスを通して死を見つめます。人々は死を通して神の愛と恵み、命を思ったのです。私達の生は神が与えたもうたもの。であれば、死もまた神が与えたもうたもの。「主は与え、主は奪う。主はほめたたえられよ」(ヨブ記)。死は単なる生の終わりではありません。永遠の命・復活の命への旅立ちであり、入り口です。

今日はそのことを心に刻み、私達に与えられている永遠の命・復活の命という恵みを心に留めたいと思います。

◎最初に取り上げたい聖書の箇所は、ヨハネ福音書11:17~27、「ラザロの復活」の記事です。エルサレム郊外の村ベタニアに住むラザロが瀕死の病に罹ります。主イエスのことを知っていたその姉妹マリアとマルタは主に使 いを遣り、ラザロの病を癒すように頼みますが、主はすぐに行かず、ラザロが死んで葬られた4日後に到着されます。主は悲しむマルタに向かって「あなたの兄弟は復活する」と言われ、葬られたラザロに向かって「ラザロよ、出てこい」と主が叫ぶとラザロは手と足に布を巻かれたまま墓から出てきたこと、死者が復活したことを伝えています。この物語は何を伝えているのか。それは「私は復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる」ということです。マルタの言葉に「終わりの日の復活の時に復活することは存じています」とありますが、「終わりの日の復活」は遠い出来事として知ってはいても信じられていなかったのではないでしょうか。しかし、主は「私は復活であり、命である」と言われる。つまり、復活と命は今、目の前の主イエスにあること、主が復活であり命であることを主は自ら教えているのです。そして、その言葉を証明するかのように死んだラザロが復活します。主は自ら復活の命の主であることを証しされたのです。このラザロの復活の出来事とやがて起こる主の復活は重なります。主の復活は十字架の死を克服するもの、罪と死への勝利であり、すべての人に起こる出来事であることを見せてくれたと言えないでしょうか。主こそ復活であり命であり、死んでも生きるのです。主によって死の壁は突破され、主を信じる者に復活の命・永遠の命は与えられる。主はそのことを示されたのです。

◎この御言葉は、今日取り上げたもう一つのみ言葉、ヨハネ福音書14:1~6につながっています。この最後の晩 餐の席で主は最後の言葉を語ります。「どこにいくのですか」と心配して尋ねる弟子達に対して、主はこう言われます。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして私をも信じなさい。私の父の家には住む所がたくさんある。行ってあなたがたのために場所を用意したなら戻ってきてあなたがたを私の元に迎える。こうして私のいる所にあなたがたもいることになる」と。死んで神の元に帰ること、主が迎えてくださること、主と共にいることになることを教えます。そして、「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ誰も父の元に行くことができない」ことを教えます。私達は主を通って、神の元に帰り、神の元に永遠の命に生きるのです。そして、そこで愛する者と再会できるのです。主は私達が死んだ後、必ず永遠の命に生きることを約束されたのでした。

◎最後にこの永遠の命・復活の命を信じて天に召された16歳の少女の話をします。この少女、絵里子さんのことを 知ったのは、先日のNHK・Eテレの「こころの時代」で医師であり牧師である下稲葉康之先生のお話によってです。枝里子さんは、8歳の時に神経芽細胞腫に罹り、手術されましたが、16歳の時、ガンが背骨に転移し、ホスピス病棟に入院します。彼女は死を恐れ、「死にたくない」と号泣します。死を恐れる絵里子さんにどのように死に向き合うことができるかを悩んでいた先生は、彼女が小1の頃、聖書を読んでいたことを知り、イエス様のことを話します。「イエス様は見えないけれど、どんな時でもエリちゃんを見つめているよ。忘れてはおられないよ。イエス様におすがりすれば必ずエリちゃんを天国に迎えてくれるよ」。イエス様のことを話したとき、死について向き合い、話し合うことができたと言います。主こそ死の壁を壊し、永遠の命を確信させたのでした。