説教『最後まで忍耐し、命を得よ』(ルカ21:5~19)主日礼拝説教要約

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◎2月最初の主日を迎えました。教会歴では、今週の2月10日からレント・受難節に入ります。3月27日がイースター・復活日です。寒さが続く中、主の御受難を覚えながら祈りつつ、復活の春を待ち望みたいと思います。今日、取り上げる聖書の箇所は、ルカ21:5~19です。21章はこれから起こるエルサレム滅亡とこの世の終りについての預言の言葉が語られています。イエス様は十字架におつきなるまでに終りの日のことを教えられたのでした。私達はここから、世の終わりの日に向けてどんな信仰をもって歩んだらいいのかを学んで参りましょう。

◎さて、私達はこの世界と時間・歴史は永遠に続くと考えている所がありますが、聖書ではこの世界には始まりがあり、終りがあることをはっきりと書いています。聖書には天地創造によってこの世界が誕生し、この世の終りの時、すなわち、主イエスの再臨の時に主の裁きと救いがあることが書かれています。それでは私達は終わりの日に向けてどう生きていったらいいのか。そのことを21章を通して3回にわたって学んで参りたいと思います。

◎今日取り上げるのは21:5~19ですが、まず21:5に話のきっかけが書かれています。ここには、ある人が神殿の見事な石と奉納物で飾られているのを見て話しをしていた、それを聞いたイエス様が話し始めたとあります。マルコ13章には、弟子の一人が神殿を見て「先生、ご覧ください。何と素晴らしい石、素晴らしい建物でしょう」と感嘆したことが書かれています。神殿の壮大さ・荘厳さに心打たれた弟子に対して話をされたのでした。このエルサレムの神殿を建てたのはイスラエル統一王国時代(BC1020~BC922)のソロモン王時代(BC960~922)です。ソロモン王は15万人の労働者に3万人の労役者にレバノン杉と良質の石を切りださせ、7年の歳月と莫大な費用をかけて壮大な神殿を建てます。神殿は後に破壊されますが、最終的に、ヘロデ王が40年近い年月をかけて神殿を再建し、さらに壮大・荘厳になっていました。それを見た弟子達が驚いたのも無理はありません。

◎ところが、イエス様はこう言われます。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」と。つまり、神殿が崩壊する日が来ると予告されたのでした。それは、その40年後、紀元70年に現実のものになります。ローマ軍によってエルサレムと神殿は破壊されるのでした。しかし、なぜ、イエス様はそのようなことをおっしゃったのでしょうか。それは人間が作ったものは有限であり、やがて消えてなくなる日が来ること、絶対化してはならないことを教えるためではないかと思います。列王記上
8:27以下にあるソロモンの祈りにあるように人間と人間の業に対する謙虚さが必要です。神殿は絶対的な物ではないし、王などの権力者、宗教者も絶対ではない。ただ神のみを畏れよとイエス様は教えておられるのです。

◎それに対して彼らは「それはいつ起こるのですか」と尋ねます。イエス様は、その問いに対してさらに終わりの日について教えられます。それが21:8~19です。ここには終わりの日のことについて3つのことを教えておられます。第一に教えておられるのは、この世の終りと思うことがあっても、世の終りはすぐには来ない、ということです。たとえ戦争や暴動が起こり偽メシアが現れても、惑わされるな、だまされるな、恐れるなと教えるのです。20世紀においても二つの世界大戦を初めとする戦争や災害があり、世の終りを感じ、恐れと不安、恐怖
と絶望を感じた人も多くいます。しかし、イエス様は、それは世の終りではない、恐れるな、惑わされるなと教えるのです。神学者カール・バルトの文章の随所に「ニヒテルン」というドイツ語が出てきます。「酔わない、冷静である」ことです。信仰とは落ち着きです。神のみを畏れるところで、この世を冷静に落ち着いて客観化し、相対化して見ることができるのです。何が起こっても落ち着いて冷静である信仰を持て、と主は教えるのです。

◎第二に教えておられるのは、たとえ迫害され捕えられ、王や総督などの権力者の前に引っ張り出されるようなことがあっても恐れるな、むしろ、イエス・キリストを堂々と証しせよということです。ルカ福音書が書かれた時代、紀元80年代は迫害が始まっていました。その中で初代教会の人々は命をかけて主イエスを証ししました。ルカが書いた使徒言行録にも使徒ペテロ、パウロが王達の前で堂々と主を証しする場面が描かれています。それは人間的な力によるものではなく、聖霊の働きによるものです。神の働き、聖霊に委ねることを教えるのです。

◎第三に教えておられるのは、すべてを神に委ね、あらゆることを耐え忍び、忍耐によって命をかち取れ、ということです。迫害の中で家族から憎まれ、裏切られ、殺されるようなことがあっても神は必ず守って下さる。神様にすべてを委ねよと教えるのです。たとえ体が殺されても、髪の毛一本まで数えておられる神様は、私達の魂を守ってくださる。ただ神のみを畏れ、信じ、すべてを委ねよと教えるのです。終わりに日までに大切なことは、忍耐することです。主は「忍耐によってあなたの命(魂)をかち取りなさい」と教えます。私達の人生には辛く、
苦しいことがたくさんあります。そのような私達に必要なことは、忍耐することです。その見本は主です。主は、十字架に架かるまで耐え忍び、勝利されました。私達も耐え忍んでこそ勝利します。忍耐して命を得るのです。