説教『救いの時は近い』(ルカ21:20~28)

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◎受難節第2主日を迎えました。2月も下旬となりましたが、寒い日が続いています。讃美歌「球根の中には」の歌詞に「球根の中には花が秘められ、さなぎの中から命はばたく 寒い冬の中、春はめざめる その日その時をただ神が知る」とあります。寒さの中に春はもうめざめています。あと少し、希望の春を待ちたいと思います。

◎今日も御言葉を通して神様の御声・イエス様のメッセージを聴いて参りましょう。今日取り上げるのは、ルカ21:20~28です。21章には、終わりの日について語られた神の啓示の言葉・黙示が語られています。理解が難しい箇所ですが、ここを3回にわたって取り上げます。今日は2回目です。前回は21:5~19を取り上げ、3つのことを心に刻みました。今日は、21:20~28を取り上げ、終わりの日のメッセージを聴いて参りましょう。

◎この箇所は前半部分と後半部分に分けて見て行きましょう。まず、前半部分21:20~24を見て行きます。ここには「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい」と、エルサレムの滅亡が予告されています。前回もそうですが、まずエルサレムが崩壊する話がきっかけとなって世の終りの日のことが語られていました。それはなぜかと考えると、この世の終りのことを理解するには、この世の歴史的な出来事で、終末を思わせるような出来事を通してしか理解できないからではないかと思います。エルサレムの崩壊は、
ここでは予告として語られていますが、ルカ福音書が書かれた80年代には、既に起こった出来事でした。独立を求めて立ち上がったユダヤ人に対してローマ軍が包囲し、エルサレムの都は70年に徹底的に破壊されたのでした。私達にとっては第二次世界大戦に匹敵する大きな出来事でした。エルサレム崩壊の出来事はまだ記憶に新しかったに違いありません。その出来事を語りながら、イエス様は終わりの日について語られたのでした。

◎では、なぜ、エルサレムは崩壊したのでしょうか。21:22には「書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである」とあります。「書かれていること」とは旧約の預言の書に書かれていることです。ユダヤの民が神に背いて離れて行った。神は民を立ち帰らせるために預言者を送ったが耳を傾けなかった。その報いとしてエルサレムが崩壊することが預言されていたが、その通りになったのだと言うのです。エルサレムが崩壊した原因は、神に背き、神から離れ、神の言葉に聴き従わなかったことにある。神の裁きによって崩壊したのです。

◎では、そのような神の裁きとも言える悲劇・悲惨な出来事が起こったら私達はどうしたらいいのでしょうか。イエス様は「逃げろ」と教えます。神の裁きに逆らうことはできないからです。では逃げてどうするのでしょうか。マタイ福音書24:14には「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る」とあります。つまり、神の国の福音が宣べ伝えられなければならないのです。そのために逃げるのです。終わりの日が来るまで神の国の福音を宣べ伝えること、これがキリスト者、教会の使命、務めなのです。

◎ここまでが前半です。続く後半の21:25~28では、このエルサレムの崩壊が予告された後、いよいよ終わりの日のことが語られます。冒頭には「それから太陽と月に徴が洗われる」とあります。「それから」とは、マタイ・マルコによると「大きな苦難のあと」ということです。大きな苦難の後、太陽や月に異変が起こるというのです。つまり、神の創造と支配の元に秩序正しく動いていた世界に異変が起こり、その秩序が大きく変わる、一新される日が来るというのです。終わりの日とは裁きの日です。しかし、それは救いのため裁きです。終わりの日とは
救いの完成の日なのです。そして、世界にとってはその秩序が一新される日、万物が回復し、新しくなり、更新される日なのです。終わりに日には、この世界・万物・宇宙もまた完全に救われるのです。世の人々はそのことを知りませんから不安と恐れに怯えます。しかし、終わりの日とは、この世の最後の日ではなく、滅亡の日ではなく、救いが完成する喜びの日なのです。そのことを知っているのは、クリスチャンだけであり教会だけです。ここにクリスチャンの、そして、教会の最後の希望があります。この希望が幾多の苦難を乗り越えさせるのです。

◎先日の2・11集会で安保法案などに反対する若者達の話を聞きました。彼らは最後に、どこに希望がありますかとの質問に対して「やがて神の国が来ることです」と話してくれました。その答えに驚きました。神の国の信仰、終わりの日の信仰が希望だというのです。その希望と信仰があるからこそ、この世の様々な矛盾と不正、不正義、理不尽と闘えるのです。神学者のカール・バルトは1968年12月10日、82歳で生涯を終えましたが、その前日、友人への電話でこう話したと言います。1968年は東西の対立が激化していた年です。「でも、意気消沈だけは
しないでおこうよ、絶対にね。なぜなら、全世界を上から、天から治めたもう方がおられるのだから。僕は恐れない。どんな暗い時にも僕達は確信し続けよう。希望をなくさないようにしよう。神様は滅びに任せられることはない。治めたもう方がおられるだから」と。これは恩師・宮田光雄先生から送られた年賀状にも書かれていました。今や世界は絶望的です。しかし、私達には希望があります。御国への希望こそ我らの生の源泉なのです。