説教『人生の決断、新生活の開始』(創世記13:1~18)

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◎4月最初、今年度最初の主の日を迎えました。今、桜の見頃、春爛漫の季節を迎えています。先週、私達は復活 祭・イースターを祝いました。牧千暁兄の受洗もあり、喜びに満ちたイースターでした。そのような主のご復活 を祝う復活節の中、私たちの敬愛する今村一男兄が天に召されました。世にあって医者・医学者として貢献され た方でしたが、鶴川北教会にも創立以前から尽くされた方です。ご苦労の多かった人生であったと思いますが、 特愛の聖句「すべてのことに時がある」に示されているように、人生のすべてにおいて神様の愛と恵みの計らい があったという信仰を持っておられました。私達もまた、その信仰を模範として歩んで行かなければなりません。

◎さて、新年度最初の主日礼拝に選んだのは、創世記13章1~18節です。アブラハム物語の3回目になりますが、 この記事を通して信仰とは何か、また、神様の恵みがいかに深いかということを心に刻んで参りたいと思います。 今日は、与えられた記事を3つの部分に分け、それぞれから3つのメッセージを共に聴いて参りたいと思います

◎まず、13:1~4を見て行きます。前回、私達は12:10~20を取り上げました。飢饉のためにネゲブからエジプトへと向かったアブラハムは、妻サラを妹だと偽って入国します。サラは宮廷に迎えられます。妻を失い、妻に 姦淫の罪を犯させる危機に直面します。しかし、主は、宮廷の人々を恐ろしい病に罹らせ、危機を回避します。 エジプトの王・ファラオは与えた贈り物を持たせてアブラハムをエジプトから追い出します。今日の記事には、その後のことが描かれています。13:1~2によれば、アブラハムはエジプトを去ってネゲブへ、さらにべテルとアイの間、最初に祭壇を築いた場所、主の御名を読んだ場所へ帰ったとあります。祭壇とは神に祈りと礼拝を捧げる場所です。これは何を意味しているのでしょうか。恐らく、アブラハムはエジプトにおいて犯した罪、妻を妹だと偽り、妻と王に姦淫の罪を犯させようとした罪を深く悔い改め、神の前にその赦しを乞うためでに祭壇へと向かったのではないかと思います。その罪に気付かせてのは「あなたは私に何と言うことをしたのか」というファラオの言葉でしたが、元をたどると、病を起させた神の介入によって危機を救われたことによるものです。つまり、神の救済によってアブラハムは自分の罪に気が付き、悔い改めたのです。私達を悔い改めへと導くのは、自分の犯した罪によって苦しむ人の姿であり、また、愛と恵み、赦しです。私達を悔い改めへと導くのは十字架における罪の赦しと主の愛です。アブラハムは祭壇の前に帰り、悔い改めることから再出発しようとしました。私達にとっての祭壇とは教会であり、礼拝です。週ごとの礼拝が、常に私達の再出発の時であり、場所なのです。

◎第二の場面、13:5~13に移ります。ここには、羊・牛の群れ、たくさんの天幕(使用人)を得たアブラハムと甥のロトの間に争いが起こったことが書かれています。貧しい時は分かち合ったのに、豊かになると奪い合う。古今東西、それは変わりません。財産が多くなり共存できなくなりました。そこでアブラハムは争うのは止めて別れようと提案し、「お前が右にいくなら、私は左に、お前が左に行くなら、私は右に行く」とロトに優先権を与えます。ロトは見渡す限り潤っていたヨルダン川の低地一帯を選びます。アブラハムはその逆の方へ向かいます。ここに示されているのは、アブラハムの信仰です。争いを避けて平和の道を選び、さらに、ロトに優先権を与えました。年長者であり、力のあったアブラハムが年少者の甥のロトに譲ったのです。ここには、何によって人生を選択するかが問われています。ここには富・豊かさ・力と言ったこの世の価値観によってではなく、ただ神の御心に沿って選択したアブラハムの信仰を見ることができます。主の御旨に従って困難な道を選ぶのが信仰者です。主イエスもそうでした。主の祈りも主の御心を第一に祈ります。信仰者もまた神の御心に従って人生を選択します。私達はアブラハムの選択から愛と平和と共存の道、神の御心を第一に選んだ信仰を教えられます。

◎最後の第3の場面を見てみましょう。ここには、そのような選択をしたアブラハムに対する神の言葉が語られています。主はアブラハムに対して、「さあ、目をあげて見渡すがいい」と呼びかけ、「見える限りの土地を永久にあなたとその子孫に与える」「あなたの子孫を砂粒のようにする」という約束をし、「さあ、この土地を縦横に歩き回るがいい」と出発を促します。アブラハムはべテルを出発し、約50キロ南下した所にあるヘブロンに移り、そこに祭壇を築き、新たな拠点としたのでした。ここに示されていることは、どういうことでしょうか。ここで主はまず「目をあげよ」と呼びかけます。神に御心に従って歩み始めた時、アブラハムは不安を感じたのでしょう。若いロトがいなくなり、老夫婦に何ができるのか。孤独と不安がアブラハムを襲いました。その時、主は「目を上げよ」と呼びかけ、土地と子孫を与えるという約束をします。これは最初の約束「あなたを祝福の基とする」を思い起こさせるものでした。これは、神の御心に従って歩む者には必ず神の恵みと祝福があることを教えています。神の御心に従って歩む時、必ず神の恵み祝福があるのです。たとえ時間がかかっても、いかに困難が多くても神様は必ず最善へと導いてくださいます。私達もそれを希望としてさらに前進して参りましょう。