説教『希望をもって喜び、たゆまず祈ろう!』(ローマ12:9~20)

hana_009

◎5月最初の主の日を迎えました。今、新緑が日に日に輝きを増していく姿に圧倒されながら日々を過ごしています。そのような中、先週も熊本地震で被災された方々のために祈りながら過ごしました。一日も早く、安心してすごせる日が来るように祈ります。さて、先週は教会総会を開催し、新年度の目標・課題も決まり、新役員も選出され新たな歩みが始まりました。今年度の目標聖句は「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」(ローマ12章12節)です。今日は、この聖句の意味、込められた思いを知り、心に刻みたいと思います。

◎このローマの手紙を書いたのは伝道者パウロです。若い頃、熱心なユダヤ教徒であった彼は、復活の主に出会い、主に変えられてキリストを宣べ伝える伝道者になりました。彼の伝道と書いた手紙によってキリスト教は発展し、確立されたと言えます。その中でも「ローマの手紙」は福音を体系的に書いたもので、キリスト教を知る上で最も重要な手紙です。紀元55~56年に書かれたと言われ、パウロも55~56歳の円熟期にローマの信徒に宛てて書いたものです。1~11章までは福音とは何かが書かれ、12章には福音によっていかに生きるかが書かれています。今日は12:9~21を読みましたが、今日は12:12の言葉を「希望をもって喜び」「苦難を耐え忍び」「たゆまず祈りなさい」の3つに分けて、それぞれがどのような意味を持ち、思いが込められているのかを探っていきます。

◎まず「希望をもって喜ぶ」とはどういうことでしょうか。コリントⅠの13章に「愛の賛歌」とよばれる美しい文章があり、13:13には「信仰と希望と愛、この3つはいつまでも残る」とありますが、「希望」は、信仰において必要不可欠のものです。では、希望とは何でしょうか。それはイエス・キリストを通して示された神の愛が与える希望です。神は大切な独り子・イエス様の命を犠牲にしてまで私達を愛し、救い出して下さいました。その神の愛は今も豊かに注がれています。その神の愛がある限り、私達は滅びることはありません。ローマ8章に「誰がキリストの愛から私達を引き離すことができましょうか。艱難か、苦しみか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。(いかなるものも)私達の主キリストイエスによって示された神の愛から私達を引き離すことはできないのです」とあるように、神の愛・キリストの愛がある限り、どんな試練や困難も乗り越えることができる、どんなに辛く苦しくても神の愛が乗り越えさせてくれる。この神の愛こそ私達の揺るがない希望なのです。

◎しかし、パウロにとって希望はもう一つありました。それは「神の栄光にあずかる希望」(ローマ5:2)つまり、主が再臨され、この世の救いが完成する終わりの日への希望・終末的希望です。パウロはローマ8:18以下で「現在の苦しみは、将来、私達に現されるはずの栄光に比べると取るに足りない。被造物はすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっています。(しかし)この被造物だけでなく、私達も神の子とされること、体のあがなわれることを心の中でうめきながら待ち望んでいます」と書いているように、終わりの日の希望が彼を生かし、力を与えたのです。現代は希望の見えない時代です。世界には混乱と困窮、苦悩と悲しみが満ちています。しかし、私達には神から与えらえた希望があります。神学者カール・バルトは、亡くなる前夜、友人への電話の中で「意気消沈だけはしないでおこうよ!全世界を上から、天から治めておられる方がおられるのだから。神は私達が滅びるままでさせはしない」と励ましたと言います。私達はこの希望によって喜んで生きうるのです。

◎次の勧めは「苦難を耐え忍べ」です。「苦難」とは「圧迫」に由来する言葉です。パウロにとっての苦難とは、迫害を意味しました。私達の人生には、迫害のみならず貧困・病・人間関係・仕事など多くの苦難があります。では、この苦難をどう耐え忍ぶのでしょうか。一つには神の愛によってです。先ほど希望は神の愛にあると言いましたが、この神の愛によって苦難を耐え忍ぶことができます。神の愛は苦難の意味を変えてくれます。ヘブライ人への手紙12章には「苦難とは父なる神が私達を我が子として鍛えるために与えたもの」と書かれています。神の子・主イエスも十字架の苦しみを耐え忍ばれ、復活され神の右にお座りになりました。苦難の後には喜び・幸い・祝福・栄光があります。どんな時にも神様の愛は注がれています。神の愛が苦難を耐え忍ばせるのです。

◎もう一つ、苦難を耐え忍ばせるものがあります。それは希望です。「現在の苦しみは、将来現されるはずの栄光に比べると取るに足りない」とありました。希望があるから苦しみに耐えられるのです。ローマ5:3には「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」とあります。苦難と忍耐が真の希望を生むと言えます。パウロは「キリストのために苦しみことも恵み」と書いています。「神の慰めをもって苦難の中にいる人を慰めることができる」とも書いています。苦難はキリストのため、苦しむ人のために与えられた恵みでもあります。私達・クリスチャンに与えられた苦難は恵みに変えられるのです。神様の愛と希望が苦難を恵み変えてくださるのです。

◎最後は「たゆまず祈りなさい」です。祈りがある時、苦しみの中でも希望をもって喜び、苦難を耐え忍ぶことができます。私達の生活が祈りとなること、最終的には愛にもって隣人に仕えて生きること。これが私達の目標です。