説教『母の愛、神様の愛』(イザヤ66:12)

 説教『母の愛、神様の愛』(イザヤ66:12)
◎今日は、子ども達と大人の人達が一つになって礼拝を捧げる全体礼拝を捧げます。子どもも大人も父なる神様の子どもであり、兄弟姉妹であり、神の家族です。今日は、神様の家族として心を一つにして礼拝を捧げましょう。

◎さて、今日は、5月8日、5月第二日曜日ですが、何の日か知っていますか。そう、母の日ですね。今日は母の日を覚えて礼拝を捧げます。この母の日と言うのは教会から生まれたのですが、どういう日か知っていますか。
そう、お母さんにありがとうと言う日ですね。毎日、ご飯を作ってくれたり、お掃除やお洗濯をしてくれたり、病気になった時には一生懸命に看病してくれるお母さん。そのお母さんにありがとうと感謝の思いを伝えるのが母の日ですね。今から100年以上前に、教会学校の先生もしていた亡くなったお母さんに感謝するためにアンナさんと言うアメリカの女の人が教会で感謝会を開いたことで、母の日が生まれました。たとえ、亡くなってもお母さんへの、いとしく、懐かしい思いはなくなりません。お母さんへの感謝の心が失われることはありません。

◎お母さんと言うのは、私達にとってどういう存在でしょうか。お母さんはなぜ、大切なのでしょうか。それは、第一に、お母さんは、私達をこの世に産んでくださった方であり、何もできない私達を大事に育て、今に至るまで大きく育ててくださった方だからですね。お母さんはこの世でたった一人です。だからお母さんを大切にしなければなりませんね。第二に、お母さんは、私達がどんな時でも、どんな状態になっても私達を支え、助けてくださる方です。私達に何があっても慰め、励まし、応援してくださる方です。お母さんは最強の応援団です。

◎大坪直史という牧師さんがおられます。1980年生まれの36歳の若い牧師さんです。大坪先生は3人兄弟の末っ子です。大坪先生が小学校1年生の時に、ある事件が起きました。自習の時間にクラスの男の子が一人の女の子の持ち物を取り上げて嫌がらせをしていました。いつまでもやめないので注意をしました。すると、その男の子が直史君に向かって飛び掛かってきて直史君の髪の毛を思いっきり引っ張りました。そして、ケンカになりました。次の日から髪の毛が抜け初め、ついに髪の毛が全部抜けました。原因は分かりません。すると、皆が直史君のことを「ハゲ」「つるっぱげ」と言っていじめるようになります。ある時は、皆から水鉄砲で水をかけられ、水浸しになったこともあります。このことはお母さんには言えませんでした。お母さんが悲しむからです。学校から家に帰る時は泣かないように我慢しました。でも、ある時、家に入ってお母さんの声が聞こえると、玄関に立ったまま家の中に入れませんでした。すると、お母さんは玄関の所まできて、家の中に入れてくれました。そして、直史君の前に座ると、直史君の顔をじっとみてにっこりほほえんでくれました。そして、お母さんは、抱き締めてくれました。直史君は思いっきり泣きました。悔しくて悲しい。でも、安心したような、幸せな思いでした。直史君は、お母さんのほほ笑みによって元気になり、また学校に行くことができました。その後、二人の兄さんが直史君を守ってくれ、友達も守ってくれるようになりました。お母さんのほほえみが救ったのです。

◎大坪先生は、こう書いておられます。「あの時、母のほほえみが無かったら、今の私は存在し得なかっただろう。あの母のほほえみがあったからこそ、今のわたしがあるのです。全身の体毛を失いアトピー性皮膚炎に悩まされ、病気がちだった私は大変辛い幼少期を過ごさなければなりませんでしたが、そのような私の傍にはいつも優しい母が寄り添っていてくれたのです。このような母の存在は、私の帰るべき場所であり、私の命と力の源です」と。

◎でも、他方、こうも書いておられます。「しかし、今は、あの頃、私より辛かったのは、私より苦しかったのは、私の母だったのではないかと思うのです」と。子どもが苦しんでいることほど、母親にとって辛いことはありません。お母さんは、子どもの苦しみを自分の苦しみとし、人知れず苦しみ悩んでおられたのです。でも、信仰を持っておられたお母さんは、聖書の言葉によって強められ、讃美歌によって心を慰め、神様によって支えられて、その苦難を乗り越えていかれました。人間は弱い者です。また、欠点もある不完全なものです。お母さんも弱い存在です。でも、神様がお母さんを支え、慰め、励まし、強くしてくださいました。また、愛と憐れみの神様はお母さんを深く愛し、その罪をゆるし、深い愛をもって子ども達に愛を注げるようにしてくださったのですね。

◎今日、読んでくださった聖書の言葉に「母が子を慰めるように、わたしはあなたがたを慰める」(イザヤ66:13)とありました。「わたし」とは神様のことです。神様は、お母さんが子どもを慰めるように、私たちを慰めてくださる方だというのです。父なる神様は、母親のような方でもあるのです。そのような神様の愛と慰めを受けて、私たちはどんな苦難や試練も乗り越えることができます。私たちはお母さんを通して愛を知りました。神様は、私達も、お母さんも愛しておられます。そして、神様は、お母さんに豊かな愛を注ぎ、私達は、その愛をお母さんを通して受けてきました。私達はお母さんを通して神様の深い愛を知るのです。そう考えると、何とありがたいことかと思います。私たちは、これからも、お母さんにも、神様にも感謝して生きていきたいと思います。