説教『奇跡は起こる ヘレン・ケラー』(ヨハネ9:1~3) 「花の日・子どもの日」主日礼拝・説教要約       

◎今日は、6月第二日曜日、教会では「花の日・子どもの日」となっています。この日は、アメリカの教会で始まりました。教会学校の子ども達が、お家の庭からお花を持ってきて、その花を病院に入院しておられる方々や、お家で寂しく一人で過ごしておられるご高齢のおじさん・おばあさん、また、消防署や警察でみんなのために働いておられる人達に届けました。そして、この世の中で寂しくしておられる方々の心を慰め、励まし、また、世のために働いておられる方々に感謝する心を子ども達の心に育て、神様のため、この世の人達のために仕え、働く心と信仰を育てるために、この「花の日・子どもの日」を毎年、教会で行うようになったのでした。今日も、私たちは「福音の家」に行って、おじいさん・おばあさんにお花とカードを持って行きました。おじいさん・おばあさんたちも喜んでおられましたね。そのお顔をみて、私たちもうれしくなりました。すばらしい時でしたね。この世の中には苦しんでおられる人・悲しんでおられる人達がたくさんおられます。でも、神様は、そのような人達をいつも守り、支えておられます。そして、そのような人達と優しい心・愛の心をもって関わる時、神様のすばらしい御業が生まれ、そこに人間として大きな喜びが生まれ、神様のすばらしい栄光が現わされていきます。

◎そのことを教えているのが、今日の聖書の言葉です。さきほど読んでいただきましたヨハネによる福音書の9章1~3節の言葉です。イエス様が道を歩いている時、道ばたに一人の目の見えない人が座っていました。それを見たひとりの弟子がイエス様に尋ねました。「先生、この人の目が見えないのは、この人が悪いことをしたからですか、それとも、両親が悪いことをしたからですか」、こう尋ねたといいます。このお弟子たちのように、目が見えない人、耳が聞こえない人、手足が不自由な人達に対して、「あれは本人が、あるいは、両親が、あるいは、先祖が悪いことをしたからだ」という人たちがいたのです。それに対して、イエス様はこう答えます。「本人が悪いことをしたからでもないし、両親が悪いことをしたからでもない。この人の上に神様の御業が現れるためである」、こう答えられたと言います。この後、イエス様は目の見えない人の目に手で触れてから、その
見えない目が見えるようにしてくださいました。人々はそれを見てびっくりしました。神様の力がいかに大きいかを知ったのです。イエス様がおっしゃったように、目の見えない人の上に神様の偉大な御業が現れたのでした。

◎この聖書の話から私が思い出しのは、ヘレン・ケラーのことです。ヘレン・ケラーさんのことは知っていますか。
ヘレン・ケラーは1歳7か月の時に、病気にかかり、高い熱が出て、次第に目が見えなくなり、耳も聞こえなくなりました。そして、ついに目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、言葉も話せなくなりました。目と耳と口が不自由になり、三つの苦しみを負うことになりました。幼いヘレンは暴れ、物を投げつけ、乱暴な子ども、手の付けられない子どもになってしまいました。恐らく、言いたいことがうまく言えず、伝えられず、もどかしく、苦しんでいたのかも知れません。両親は悩み、ヘレンに色々なことを教える家庭教師に来てもらうことにしました。その家庭教師がサリバン先生です。サリバン先生は文字を教えました。どのように教えたのでしょうか。

◎それは指文字と言うもので、指の形で文字を表します。頭のいいヘレンは指文字を覚えました。でも、それが何を意味するのか分かりません。人形(ドール)を指文字で教えますが、その文字が何を意味しているのか分かりません。ある時、井戸のそばにきました。サリバン先生は、井戸のポンプを握り、水を流します。その水をヘレンの左の手にかけます。そして、右の手に水(ウオーター)と指文字で伝えます。それを何度も何度も繰り返すうちに、ついにヘレンは「水」が「ウオーター」という文字で表すということが分かりました。それ以来、ヘレンは「これは何と言うのか」と身振りで尋ねます。するとサリバン先生は、これは机(デスク)、これはイス(チェアー)と一つ一つの言葉を教えていきました。ヘレンは毎日毎日、言葉を覚えていきました。そして、3か月で300の言葉を覚えました。その後、点字を覚えるようになり、本を読めるようになりました。さらに、10歳時には、盲学校に入り、言葉を出す練習をしました。次第に、お話ができるようになっていきました。そのように、ヘレンはたくさんの本を読み、勉強して大学に入ります。そして、大学を卒業すると、目の見えない人達のために働きたいと思うようになり、ついに世界中の目の見えない人・耳の聞こえない人達を励まし、支える働きをするようになりました。そのようにしてヘレン・ケラーは、目が見えず、耳が聞こえず、言葉も話せなかったのに、世界中の「障がい」を持った人たちのために、87歳で亡くなるまで、その全生涯を捧げたのでした。

◎ヘレン・ケラーはこう言っています。「世の中には辛いことが一杯ありますが、私達はそれに打ち勝つことができるのです」「目が見えず、耳が聞こえないといった障がいを持っていることは不便ではありますが、不幸ではありません」「私に障がいが与えられたことを神様に感謝しています。なぜなら、私は障がいを通して自分自身と出会い、仕事と出会い、神様と出会ったからです」と。彼女は神様の御業をあらわした人と言えるでしょう。