説教『取引ではなく真実と善意の生き方』(創世記14:8~24)

◎6月も明日から下旬となります。昨日・一昨日と梅雨の晴れ間に猛暑が続きました。体調には十分、気を付けてお過ごしください。来週は創立40周年記念日礼拝を捧げます。この1週間、この日のために祈りをもって過ごしたいと思います。さて、今日の礼拝では、旧約聖書の創世記第14章に記されているアブラハム物語を取り上げたいと思います。聖書における最初の戦争の話です。戦争の中でアブラハムがそれとどう関わって行ったのかを見ていきながら、戦争について、また、アブラハムの人柄・信仰について深く学んでいきたいと思います。

◎まず、創世記14章に書かれている話はどのような話か。それは最初に東のチグリス・ユーフラテス河流域の4国がカナン地方の5つの町を12年間、支配したこと、ところが、5つの町が13年目に背いたために、翌年、4国が戦いを挑んで戦争になったこと、そして、5つの町の内、ソドムとゴモラの王は穴に落ち、財産と食糧のすべてが奪われたということ、さらにソドムに住んでいたアブラムの甥のロトが財産もろとも連れ去られたということです。そのことを聞いたアブラムは、自分の奴隷で、訓練を受けた者318人を招集して敵国を追跡しすべての財産を取り返し、ロトとその財産、女達やそのほかの人々も取り戻した。そのようなことが書かれています。そしてさらに、戦いに勝利したアブラムを二人の王、ソドムの王とサレムの王が出迎え、サレムの王がアブラムを祝福したのに対し、ソドムの王が取引をしようとして、その取引をアブラムが断ったことが書かれています。

◎この話は一体、何をメッセージとして私たちに伝えようとしているのでしょうか。今日は、この話から3つのメッセージをお伝えしたいと思います。まず、第一のメッセージは、聖書は戦争をどう受け止めるのかということについてのメッセージです。ここでは東方の4国がカナンの5つの町を支配したことに対して5つの町が背いたことで戦争が起こります。アブラムは甥のロトが連れ去られたことで戦争に関わり、連れ戻すために奴隷を招集して追跡してロトと財産、その他の人々、すべての財産を取り戻します。このアブラムの戦いは、甥のロトを連れ戻すための戦いであり、しかも、最小の部隊によって必要最小限の戦いをしていますから、正当防衛的な戦いと言えます。ある意味で正しい戦いだったと言えなくもありません。しかし、宗教改革者のカルヴァンも書いているように、正当防衛を合法化したり、戦争を聖書的・神学的に基礎づけたり正当化してはいけないと思います。

◎確かに旧約聖書においては「正しい戦争」が描かれています。しかし、結論から言えば、そこが旧約聖書の限界のように思えます。なぜなら、私達は新約聖書のイエス様の教えに立っているからです。イエス様は「剣を取る者は剣にて滅びる」「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と教えられました。核兵器が数万発ある現代世界においては、核兵器に対して核兵器で応じるならば人類は滅びます。今こそ、イエス様の教えが必要です。戦争を放棄し、武力を無くしていく、敵をなくし、憎しみを愛に変えていく、その道によって生きるしかありません。どんな戦争も犠牲者が出ます。正しい戦争はない。いかなる戦争もなくしていく。これが新約聖書の立場です。

◎第二のメッセージは、アブラムの人柄・人間性・信仰に関するメッセージです。それは14:21~24のやり取りにおいて良く示されています。ここではアブラムに対してソドムの王は「財産はお取りください。人は私にお返しください」と言います。彼は人と財産を取り戻したアブラムに対して取引をしているのです。それに対してアブラムは「私は何も要りません。ただ共に闘った者達には分け前をとらせてください」と言います。ここには、アブラムの人柄・信仰が現れています。哲学者の森有正は「アブラハムは取引の道を捨て、善意と祝福と感謝の道を選んだ。それを基礎として生きて行くことにしたのです」と語っています。アブラハムは人生を損得で考えなかった。ただ真実と善意、他者への思いやりに生きたのです。その背後には信仰があったと言えるでしょう。そのように、ここには損得ではなく真実と善意によって生きたアブラハムの人格と信仰が示されているのです。

◎それでは、そのようなアブラハムの信仰を促したのは何だったのでしょうか。それは14:18にある祭司であり、サレム(平和)の王であるメルキゼデクの存在です。勝利して戻ったアブラハムに対して彼は「天地の造り主、いと高き神にアブラムは祝福されますように。いと高き神がほめたたえられますように」と、祝福と讃美を祈ります。ソドム王がこの世のこと、損得に目が向いていたのに対し、メルキゼデクの目は天に、神に、垂直方向に向けられていたのです。そのようなメルキゼデクに対してアブラハムは10分の1を捧げています。メルキゼデクは、アブラハムに神の祝福と感謝、讃美の心を教え、アブラハムの信仰を促しているのです。メルキゼデクは祭司でした。神と人の仲介者・仲保者です。ヘブライ書には祭司メルキゼデクが祭司イエス・キリストを指し示していると書きます。そしてまた、祭司イエス様が義と平和をもたらしてくださった王でもあると書いています。主イエスは十字架と復活の出来事によって救いをもたらし、和解と平和、勝利と祝福をもたらして下さいました。
このアブラハム物語は、祭司メルキゼデクを通して遠く新約のイエス・キリストを指し示していると言えます。